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美野里が駆け寄った先には、色鮮やかなベビーカーが置かれていた。そこから、赤ん坊の人形を大事そうに抱き上げると、ポンポンと背中を叩いてあやし始める。
「よしよし、良い子ね。ママが来たから泣かないで。」
物言わぬ人形を頻りに宥める美野里。
愕然とそれを眺める薙の傍らに立って、一慶がポツリと呟く。
「あの人形は、俺だよ。」
「え…」
「父の慶之は、俺の顔を見る事もなく逝ってしまったからな。お袋は、余程それが無念だったんだろう。最近は、ああして独りで人形遊びをする様になった。」
「そう…辛かったんだね。」
悲し気に呟く薙の頭を、一慶はクシャリと混ぜて言った。
「行こう。」
「え、でも…美野里さんは??」
「良いんだ。ああなると、暫くは誰の声も耳に入らない。たった今、俺達と会った事さえ忘れてしまう。」
「…そう。」
ベンチに百合の花束を置くと、素っ気なく踵を返す一慶。それに従って、薙も静かにその場を立ち去った。
一度だけ肩越しに振り向くと、美野里は赤ん坊の人形を抱いて、幸せそうに子守唄を歌っていた。
『わかばの園』を後にした二人は、早目の昼食を取る為に、市内の繁華街を目指した。
フロントガラスに流れる夏景色を、ぼんやりと眺める薙。重く沈む車内で、一慶が気遣う様に口を開く。
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