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それは苦渋の決断だった。
施設に預ける事に対して、異を唱える者も在るかも知れない。引き取っておきながら無責任だと、批難する声もあるだろう。
──だが。現実的に考えた時、適切なケアが受けられる環境に希美を措く事は、決して間違いではないと思った。
結局。この件については、祐介も交えて、前向きに検討する事で話が纏まった。薙の心労が、また一つ解消する。
食後のコーヒーを愉しみながら…薙は、チラと一慶を盗み見た。
もしかすると、このデートの真の目的は、薙が抱える悩み事を、一つでも多く拭い去る事だったのかも知れない。否、きっとそうなのだろう。
如何にも彼らしい、心憎い遣り方である。
食事を終えた二人は、コンサートホールへ向かう道すがら、夏色に染まった公園をブラブラと散策した。
盛岡市の中心地に位置する岩手公園は、その昔、南部藩主の居城として築城された『不来方城』の跡地である。
漫ろ歩く並木道。
陽射しに反射する堀の水。
堅牢な石垣の跡が、嘗ての栄華を偲ばせる。
詩人・石川啄木は、この古城跡をこよなく愛し、詩に謳った。
不来方の お城の草に寝転びて
空に吸われし 十五の心
風を孕み、柔らかに枝をそよがせる柳を眺めながら、薙は言う。
「…ありがとね、一慶。」
何時に無く殊勝な面持ちの彼女に、一慶は、ふと片眉を上げた。
「何だよ、出し抜けに?」
「ちょっとね、お礼が言いたくなったんだ。」
「…ふぅん。変な奴。」
わざと素っ気無く返す一慶に、薙は小さく微笑って、悪戯に手を取った。
「早く行こう?のんびりしていると、演奏会に遅れちゃうよ。」
無邪気な笑顔にほだされて、彼の表情も優しくなる。
その日──。
二人は、遅くまで自由を楽しんだ。
迫り来る過酷な運命を前に、貴重で平和な一時を共有したのである。
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