私が小学生の頃

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私が小学生の頃

 私は子供の頃から本が好きで将来は大学で日本文学を学びたかった。きっかけは子どものころ、母が聞かせてくれたおとぎ話だった。次がどうなるのか胸が高鳴り、眠るはずが余計に眠れなくなったことが何度もあった。  本は無限に続く人生だ。私は本の中では、亡くなった名探偵になり、友人の恋人を奪った男になり、毒虫になり、白血病を患った美少女になり、山椒魚になった。同い年の子どもたちが友だちと遊び、人形遊びやおままごとに興じることと本質は変わらないと思う。読書も遊びも、大人への憧れや変身願望が根底にあり、ただ私の場合は読書という私よりも遥かに知識や経験のある人々が紡いだ人生に没入することで、より本物になれると思ったのだ。  しかし母は私が子供の頃から、女に学は要らない、それよりも女には妻になる力が必要だと繰り返し諭してきた。母は料理も家事も完璧だった。だから小学生の頃には大根の桂剥きやミシンを使わない刺繍といった学校でも習わない高度な家事のイロハを叩き込まれて、いつも指先は切り傷と刺し傷が耐えなかった。その頃の私はきっと孤児院で拾われた子なのだと思い込んでいた。だからこれだけ母の技の何一つもが身につかず、そして父親の顔すら知らないのだろう、と。  母は優しくちょっとの失敗ぐらいでは怒らないが、父のことだけは決して聞いてはいけなかった。母は怒鳴り喚き散らし薫は私一人では駄目だとなじるつもりなのねと勝手なことを宣い、そして最期に電池が切れる前の人形のようにお父さんは死んだのよと呟いた。小学二年生のことだった。私はただ学校の宿題の作文のために父親について聞こうとしただけだったのに。  結局その作文には昔読んだ物語の言葉を勝手に拝借して、星になった父と題し、自分が好きだった物語の父親像をそのまま合わせるようにでっち上げて提出した。そんな作文で東京都の作文コンクールを最優秀賞を受賞してしまったので我ながらずるいことをしたもんだと罪悪感も感じた。とはいっても父のことを知らないので仕方が無い。  ただその作文も保護者会の翌日、自宅のゴミ箱で見つけたとき、ああこれがタブーという言葉なのかと理解した。それ以来父のことは口にしないようにした。
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