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10年前、彼の記憶
澱んだ青が、目の前に広がっている。掻き分けても掻き分けても水が入った服は持ち上がらず、体は沈んでいく。
「誰か助けて!」
しかし僕の必死の叫びは無骨なコンクリートにかき消されて誰にも届かなかった。
僕が全てを諦めた瞬間、
「死なないで!」
ガシッ
何かが水を切り裂いて僕を掴んだ。
感触から手と分かる。
でも、歩道から手を伸ばしても水面まで届かない。どうやって?
考えている時間は無い。体が水の流れとは反対の方向へ引き寄せられる。
ザパン
風が肌を切り裂いた。陸に激しく体を打ち付ける。
硬いコンクリートに体を横たわらせていると、手の主が覗き込むような体で僕を見下ろした。
「よかった」
あれは幻、だったのかもしれない。だけど途切れかけた意識に映った彼女の顔だけは目の裏に今も残っている。
ーそれは、安心と優しさが混ざり合った、だれも見せたことがない無垢な笑顔だった。
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