一冊

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「芽衣、置いていってしまってごめん。読みたかったやつ、見つかったよ。それにしても、ここは埃っぽいね。ほら、これをあげるよ」  ようやく姿を見せた彼が、ピンク色の飴玉を芽衣に差し出す。 「いちご味?」 「いちご味」  袋をあけると、微かに甘い匂いがする。芽衣の大好きな匂いだ。 「あれ? 芽衣が本を持っているなんて、珍しいね」  彼が目を丸くしながら背表紙を覗きこんだ。ちょっと気恥ずかしくなって、芽衣は本を背中で隠す。そんな芽衣の様子を見て、彼は口角を上げた。 「読書ってね、平行ができないんだ」 「え?」  平行、とはどういうことだろうか。芽衣の頭に浮かんだのは、緑の上に白く書かれた数字だが、書かれていた内容など思い出せない。  眉尻を下げた芽衣を見て、彼は優しく微笑んだ。 「多くのものを好きでいられても、同時に本は読めないだろう? 今、この本だらけの空間で、その一冊を、君が手にとっている。何千とある本の中、君がその一冊を選ぶと言い切る自信をもてるほど、僕は君のことを知らないんだ。それどころか、君の選択に、僕は驚いてすらいるんだよ。とても微笑ましいじゃないか」  彼の穏やかな笑顔につられて、芽衣の頬も緩む。  あなたのことを知りたい。こんな単純な思いを、彼はどれだけの言葉を重ねて伝えてくるのだろうか。 「そうだね……。探してた本、読み終わったら、どんな話か聞かせてほしいな」  私たちは、わかり合っている。彼は本好きで、私は漫画の方が好き。でも、それ以外にも、たくさんの興味がある。  そのひとつひとつを、言葉を重ねて、これから知っていけたらいいと、のど飴を転がしながら、芽衣は思った。
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