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店内に数人いる客のところを回った後、高山隆一の前に立った桜庭花音が、涼やかな表情でタバコに火をつける。
真面目だけが取り柄とみんなに言われる隆一が花音と出会ったのは、忘年会の二次会が花音が働くスナックで行われたからだ。当時、店には三人の女の子がいたが、隆一は一瞬で花音に恋に落ちた。同僚たちからは、水商売の女なんかにアプローチしたって、どうせいいカモにされるだけだからやめろとさんざん忠告を受けたが、それを無視した。
どうしても付き合いたいと何度も店に顔を出したが、その後花音とはなかなか出会えなかった。アルバイトで働いていた彼女が店に出るのは不定期だったからだ。せいぜい週に一日か二日しか店に出ないという。しかも、気まぐれな性格なので、いつ出るかはマスターですらわからないという。
隆一が花音に惹かれたのは、ただ美しかったからではない。一見柔らかな笑顔はもろく危うげで、その裏に底なしの孤独感が隆一には見えたのである。子供の頃に母親を亡くしている隆一は、明る過ぎる女性は苦手であった。花音の放つ寂しげな光は、奇妙な磁気となって隆一を強く惹きつけた。
花音の情報を得ようと、マスタ-に昼間は何をしているのかと聞いても、わからないという。その後、何度か店で出会うようになっても、隆一との会話に発展はなく、一向に前には進まなかった。美人で、25歳にしては妖艶で秘密めいたところがあり、客の中にも花音ファンが多かったことも、その要因だったかもしれない
実際に付き合うことができたのは偶然街中で出会ったことがきっかけだった。その日、隆一は客先での会議が終わり、自社へ戻るため新宿の通りを歩いていたところだった。
真夏の太陽が、白く光るアスファルトに濃い影を落としている。あまりの暑さに、日に照らされたおもての光景は静止しているように見えた。考え事をしながら歩いていた隆一に、ビルから出てきたスーツ姿の一人の女性が近づいてくる。しかし、隆一は知らない女性なので無視する。そして、その女性の前を通り過ぎようとした時、声をかけられた。
「高山さんですよね」
「はい、そうですが」
よく顔を見ると、花音だった。夜の顔しか知らなかった隆一には、それが花音だと気づかなかったのである。
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