非-我について

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『草枕』は君にはあまりおすすめできないと言おうとするとノックの音が部屋に響いた。振り返ると入り口が開き、助産師の若い女が入ってきた。女は僕を見ると「こんにちは」とにっこり笑った。 「星尾さん、赤ちゃんの様子を見にきました」と助産師が言うと、妻は布団をどかせてから妊婦用の薄いピンク色の服の下腹部分をはだけさせ、膨らんでいるお腹を出した。助産師は「失礼しますねー」と言い、詩子の腹にペタペタと線の繋がったシールを貼り付けていく。線の伸びている先には子犬ほどの大きさの機械が台の上に乗っていて、助産師がスイッチを入れるとウーと静かに唸りながら紙を吐き出しはじめた。紙にはギザギザの線で胎児の心音が記録されていた。その後、助産師は詩子の体調について二、三の質問をし、「また一時間後にうかがいますね」と言って部屋を出て行った。その間も、子犬はうー、うーと唸りながら紙を吐き出し続けて、紙は受け皿の中へ折りたたむようにたまっていった。 その後も時間は静かに過ぎて行った。詩子は「ちょっと羊水が漏れたかも」と言って時折トイレに入ったり、穏やかな陣痛が来ると「もうすぐ会えるんだね」と微笑んでお腹を撫でた。僕はできるだけ詩子が楽になるよう、用事があれば率先して動いて彼女をサポートした。水が欲しいと言われれば病院内にあるコンビニで購入し、トイレに立つときはふらつく彼女の身体を支えた。一緒にトイレに入ろうとすると流石に恥ずかしいからと怒られた。彼女がトイレに入っている間、僕はドアの前で待機し、何かあればすぐに動けるよう、あらゆる事態を想定していた。 時が過ぎていくと、だんだん詩子の表情に余裕がなくなってきた。陣痛はおよそ5分に一回のペースになり、その痛みも激しさを増していった。詩子は陣痛のたびに顔をしかめるようになり、「ものすごく痛い」と僕に言った。助産師の話によると、陣痛の間隔は更に狭まっていって、最終的にその間隔が5秒ほどになるのだそうだ。
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