一話

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一話

 せっかく視界を空で埋めていたのに、目障りで耳障りな火花が、大気を侵している。尖った支柱の先を取り囲むように渦巻く魔力は、熱が生んだ陽炎に歪み、校舎の上空数十メートルの範囲を取り囲んでいる。普段からその辺を飛んでいる野鳥も、その結界の薄膜には近付かない。一つ鳴いてから、小さな森へと帰っていく。外敵である人類の檻に近づく理由など、その羽根の先ほども無い。  そういえば、カラスはこの国でも不吉なイメージを抱く害鳥らしい。光る物は見境なく咥えて持っていってしまうし、廃棄場の残飯を巡って野良猫と大騒ぎする。下劣な種族に限って繁殖力が高い。  学年主任の先生が言うには、俺の髪色と目が、そのカラスを連想させるそうだ。直接言われたのではなくて、面倒を見てる後輩が、説教をされている時に漏らしたらしい。「魔導衛士科のアヤセ·アビコとは付き合うな。験の悪い奴といると、魔力が淀むぞ」。わざわざ口調を真似て報告してきた。一応、笑えるクオリティだったので、そいつは尻を蹴るだけで許してやった。  周りの大人は嫌いな奴ばかりなのに、どうして俺は、毎朝律儀に登校するのだろう。こうして授業をサボってみるものの、それなら最初から来なきゃいいのにといつも思う。勝手に窓際の一番後ろに席を決めた教室でも、周りからそう思われていることだろう。進級してからのクラスは、どうもお堅い調子の奴らばかりで、話が合いそうにない。早々に名前と顔の神経衰弱を降りて、屋上で寝転ぶ日々が続いていた。  今年は進級できる気がしない。でもどっちでもいい。頼んでもいないのに、学費は家が三年分払ってしまった。留年したらその分はどうなるのか。学校をクビになったら、勘当されるのか。どっちにしろ、それは望ましい結果だ。  だいたい、アビコ家の目論みは、既に破綻していると言っていい。  そこそこ上手く回っていた事業を畳み、資産を売り払ってまで求めたのは、生まれた地で影も形も存在しなかった『魔法』の力。どこの誰に唆されたのか、万能の力とその存在を知った当主は、家族ごと海を渡ってこの大陸に居を構えた。もちろん魔法の力を得て持ち帰り、国と一族に財と名声を残すため。  しかし、只の富豪では満足出来ない、どこまでも欲深き現当主の新事業は、この地に降り立ち、新たな情報を集めたところで頓挫した。そもそも、俺の産まれた極東の国、ヒノモトでは『魔法』の概念は夢物語だった。なぜ夢物語なのかと言えば、その地ではどう工夫しても、魔法が使えないからだ。何もかも、こちらに渡ってから知ったのだが……。  魔法を操るための魔力。それの元となる自然エネルギー『マナ』。なんでも、魔力を汲み取るには、そのマナとやらが一定量存在している必要があるらしい。なぜ、極東の地、ヒノモトでは魔法の概念が無かったのか。マナが大陸レベルで枯渇していたからだ。ヒノモトの祖先は、想像を捨て、魔法を諦め、地に足をつけた国を起こしたのだ。  そして、この大陸に存在していた魔法も、徐々に万能性を失っているらしい。研究者によると、完全に使えなくなるのは数千年後……、だそうだが。  歴史で語られる戦争兵器としての力も、奇跡を呼び込んだ聖女の存在も、遠い過去にあったかどうかも知れない物語……だ。  この学校で学べるのも、風を起こしたり、電力を生んだりする程度の自然魔法。外傷を塞ぐ程度の治癒魔法。あれば便利で身を守る術となるが、これでは戦争も奇跡も起きない。五感に影響を与える精神系魔法は、上級クラスの一部でしか習得できない。しかも、特例法以下で使用すれば、未成年であっても国から罰せられる。そんな大した効果を持たない魔法でも、屋上にそびえ立つ制御装置が、きちんと抑制を担っている。  当主は俺を学園に入れたものの、その後は何も言ってこない。家の為に生まれた地を出て、海を渡る羽目になり、覚えたくもない手品を学ぶ日々。  見た目で避けられ、言葉は足りない。この地の言語は難しく、会話が可能になるレベルに達するまで、三年も掛かった。その間に何度も嘲られ、疎まれた。安いプライドが傷付いて、怒りに任せて拳を振るった。  不吉な容姿の不良魔導士がいて、そいつは空ばかり見ている。  気配を感じて、体を起こした。向けた視線の先、屋上のドアが開かれる。 「……アヤセくん」  俺は制御塔の日陰に座り直した。誰だこいつ。  殆どの奴が着崩している学園の制服を、上から下まで律儀に揃えた女だ。目が合っても、俺の方で名前が出てこない。 「授業に出てない時は、ここにいるんですか?」  だったら何だというのか。 「……何か用?」  女はびくりと跳ねて、立ち竦む。五秒経ったが、死ぬほど簡単な質問は返ってこない。女が俯くと、前髪で表情が隠れる。その様子に俺は若干、イラついた。  俺が授業に出てない時を知っているという事は……。 「ウチのクラス?」 「は、はい。アヤセくんと同じ魔導衛士科のナツスミレ·フォン·リィンベルト……で、です」  貴族のセカンドネーム。見た目と名前の通り、良いとこのガキだ。ナツスミレは恐る恐る近付いて来る。 「私のこと、知りませんでしたか?」 「知らねえし」 「そう……ですか……」  小さな声でそう漏らすと、ばつが悪そうに頭を掻く。背中まである長い髪が、屋上の風で小さく揺れた。  面倒だが、適当に取り繕うか。 「俺、人の顔あんまり覚えないから。クラスで顔と名前が一致する奴いないし」 「もう新年度になって一月経ちましたけど……」  だったらなんだ。 「そんなハイレベルな記憶力はねえんだよ。ほっとけ」 「あ、いや。そんな……」 「今、授業中じゃねえの?」 「えっと……そうですけど……。体調が良くないって言って、出てきました」 「じゃあ、保健室に行くか、帰るかすれば?」 「いや。仮病ですので」  皮肉は通じないのか。よくわからないシャバ子。  ナツスミレは二メートルほど俺と間隔を空けて、制御塔に寄りかかった。また空を見上げると、西から流れていた雲がちぎれて、進行方向を変えていた。 「あっ」  ナツスミレは小さく声を上げて、こちらを伺っている。が、俺は無視した。 「『記憶力がねえ』っていうのは、もしかしてフォローだったのですか?」  どういうことだ。 「『覚えてなくて申し訳ない』という気持ちが、僅かに、わずかーにあったから、私が傷付かないように……きゃっ!?」  何を言っているのかよくわからない話の途中。俺は目の前にあった鉄柵を蹴飛ばした。ガンッという金属音と共に、近くの大木から一斉に野鳥が飛び立った。手刷りの振動が収まってから告げる。 「悪い。なんか虫がいたから」  ナツスミレは再び固まった。小さな顔の白い肌が青ざめていく。シャバ子らしい、良いリアクションだ。 「早く帰った方がいいんじゃないか?仮病じゃなくなったら大変だ」 「……」  黙ったまま、唇を引き結ぶ。もはや、ハッキリ消えろと言うのも面倒だったので、それ以上は俺も何も言わなかった。  ナツスミレは、俺との距離を更に一メートル空けてから呟いた。 「今日、伝えるって決めたんです。だから帰れません」  制御塔の作り出す結界が安定してきた。いちいち跳ねていた火花が、いつの間にか、大気に溶け込んでいる。こうなると、授業中の屋上は静かだ。階下の演習場が空なのも幸いで、属性魔法の演習でもあると、これがまた騒がしい。  ナツスミレは膝を抱えて座り込んでいる。先に居た俺が、この場を離れるのは癪なので、こっちも動く気はない。 「アヤセくんは魔法が嫌いなんですか?」  それはナツスミレが発した、七個目の質問だった。  好きな食べ物はありますか。ご実家は何をなされているのですか。魔導二輪は怖くないのですか。魔法剣技のテスト、好成績でしたね。……私、迷惑でしょうか。二限からは授業に戻りますよね。  ここに何をしに来たのかわからないが、ようやく、俺の返答を引き出す質問をしたようだ。不機嫌を露にしつつ、簡潔に答えた。 「嫌い」 「そうですか……」  横顔は苦笑い。手摺よりももっと向こう、遠くを見ていた。小さな顔と高い声。細い身体。少し紫がかった薄い銀髪。  理由は訊かないのか。そう思った時にはもう、俺の口は滑っていた。 「俺の産まれた国では、魔法なんて文化は無かった。この学校に来たのも、親に無理やり入れさせられたからだ」 「東の大陸にある、ヒノモトという国ですね。  サクラ、という美しい花がある……」  そういえば……。何年も見かけていない。 「この地方には無いのか?  春先になると、どの地域でも見れたものだったけどな。何故か知らんが、咲くとありがたがって、木の下で宴会をやる」 「へえ。よほど綺麗なんでしょうね。見てみたいです」  ほとんどの奴は、俺の出身国の存在を知らない。魔力の無い土地に興味が無いのか、あるいは、行くのに金が掛かるからか。そこそこの名家だった、アビコの事業と財産を売り払う程度に。 「よくヒノモトの事なんか知っていたな。こっちにはなんの情報も無いのに」 「友達が教えてくれたんです。長い歴史と文化、美しい四季を持つ国だと」  街の本屋で関連書籍を見掛けた事はない。すると、わざわざ図書館で調べたのだろうか。ずいぶんと酔狂なツレがいるようだ。 「アヤセくんはこの国の歴史に興味があるんじゃないですか?」  八個目の質問は、どこか断定したような口調だった。 「……何で?」 「ええと……。他の科目はわりとサボり気味なのに、歴史の授業は欠かさず出席しているじゃないですか。もしかして好きなのかなぁと……。  正直、魔法の向上に直接関係ないから、一般生徒には不人気の科目ですよね」  俺がこの大陸に来たのは三年前。言語を含めて知らない事が多過ぎた。これでも自分なりに、地域の文化なり、しきたりだとかを知ろうとしたのだ。好き、という言い方はちゃんちゃら可笑しい。 「実習とかテストよりはマシだ。聞いてるフリしてゃいいしな」 「……良ければ、お聞かせ下さい。アヤセくんが、この国の歴史をどこまでご存知で、どんな印象を持っているかを」  ナツスミレは、声のトーンを一段下げて、そんな事を言った。 「何で俺が。知りたきゃテキストでも読んでりゃいいだろ」 「駄目ですか?」  深い碧の目が俺を覗き込む。不思議な感覚だった。何故この場で俺にそんな要求を、と思う反面、別に構わないという気持ちが生まれている。  柔らかな陽射しを注ぐ太陽は、まだ浅い位置にある。サボると決めた一限は、半分も終わっていない。  だから、ただの気まぐれと時間潰しのつもりだった。柄にもなく、俺がペラペラ喋ったのは。 「……いちいち突っ込むなよ?俺はお前らからしたら、外様なんだからよ」 「わかりました!」  いったい何が楽しいのか。ナツスミレは笑顔を浮かべ、何度も深く頷いた。  西暦を数え始めたのは、約2700年前とされている。大陸全土を巻き込んだ大戦が、恒久的平和条約によって締め括られた年だ。  今の時代ではにわかに信じ難い事だが、当時は魔法が主だった戦争の兵器だった。各国の武力とは、そのまま魔力であり、強力な魔導士を抱える国こそが、敵国を制圧し、領土を広げていく戦争。現代に伝承され、残存している魔法では、人を一人、殺傷させるもの、それが可能なものは限られている。森を焼き尽くす炎の魔法も、岩をも砕く雷の魔法も、会得できる者は限られていて、それも使用するには、年月を費やしてやっと得られる資格が必要だ。  今の時代、魔法で生き物を殺め、摂理を乱さんとする者は、国の機関によって、終身刑に近い罰が与えられる。だが、この時代では多くの人間が、魔法による殺し合いを、余儀無くされていた。  潤沢なマナに恵まれた土地は、街ごと標的にされた。そこに住む人々は、兵器としての魔力によって蹂躙された。力無き者、逃げる術を持たない者は、為す術なく、自然へと還っていった。怨嗟の交換が新たなマナを生み、命の奪い合いは、二代、三代と続いていた。  その果て無き戦争は、やがて、二極化を迎える。  大陸の先住民でありながら、各地に分散する小国をまとめ上げ、最大勢力となったダリア公国。  天皇家の正当な血筋を主張し、圧政で支配を続けてきたエキザカム王家。  人々は予感した。どちらかの国が覇権を掴み、大陸の長となるだろうと。大戦は歴史を分かつ、最終局面を迎えていた。  ダリア公国とエキザカム王家。二つの勢力にはそれぞれ象徴となる、絶対的な魔法を保有していた。条理を破り、天性を持つ者しか扱えない、究極魔法だ。 「ダリア公国が次元魔法『ディメンション』。  時間と空間を操り、事象の操作を行う。魔力によって、起きた出来事を過去のものしてしまったり、生物を老化させたり……。時間と空間を弄れたら、何でもアリじゃねえかって魔法。  エキザカム王家が無尽魔法『エンドレス』。  本来、大地や人が限られた分だけ与えられるマナを、永続的に引き出してしまう。つまり、無限の魔力だ。こんなモン、戦闘に持ち込んだら、負けるわけがない。  これらは、その桁違いの威力·効果から『絶対魔法』と呼ばれ、この戦争はそれにちなんで……」 「『絶対戦争』……。アブソリュート·ウォー、と歴史上の名前が付けられました!  こういう通称ってちょっと燃えませんか?」  ナツスミレが嬉しそうにして、指を二本立てる。流行りのネイルもリングも無い。俺に聞かせろ、茶々を入れない、と言った癖に、勝手に引き継いだ。 「ふ。こんなおとぎ話で盛り上がってんじゃねーよ」  なんだか馬鹿馬鹿しくて笑ったぐらいだ。 「あ、ごめんなさい……」 「……もういいか?」 「えっ!?も、もう少し話して欲しいです。そこからが良いところじゃないですか……」  そんなに面白い歴史だろうか。魔法の存在を知らなかった俺からすれば、テキストの解説も、発掘された展示品も、嘘臭くてしょうがない。  天下を分ける両国の対峙は、今から2695年前。西暦で0020年。『ブルーウィントップの戦い』。絶対魔法を駆使して、領土を広げていった二つの国。ダリアとエキザカム。次元と無尽は、どちらが優れた魔法で、大陸を制するに相応しいのか。  双方が戦の大義を戦旗と共に掲げ、魔導士達が詠唱を始めた。民衆は話し合いによる和平をとうに諦めていて、この戦争の行方に身の振り方を委ねていた。殺し合いは避けられず、どちらかの国は確実に、絶対に、滅びる。  夜明けの開戦から、半日を費やした。次元の魔法で草木は枯れ、無尽の魔法で大気が焼かれる。多くの命が失われる中……。 「突如、ブルーウィントップに第三勢力が現れた。と言っても、ソイツは一人で、しかも若い女。  後に『透徹の魔女トレニア』と呼ばれるんだが……」  トレニアは最戦線の真ん中に、陽が沈まんとする空から降り立ったと伝えられている。そして、真円の月が夜空に浮かぶ頃、ようやく双方の前線に異常が浸透した。  血飛沫と黒煙の中で、平和を訴える少女が存在した。空間ごと切り裂いても、退化·老化の呪いを与えても、眉一動かさない。雷を落としても、魔力で強化した剣を突き立てても、静かに佇んでいる。幽霊のように透明な少女が、限りある生を訴え続ける。  他国を侵略し、武勲を上げてきた歴戦の魔導士達が、一人、また一人と膝を折る。ある者はその少女の姿に神を見て、涙を流した。ある者は少女の纏う魔法が、悪魔の魔術だと叫んだ。  開戦から丸一日が過ぎても、少女には傷一つ、衣服の汚れ一つ、付いていなかった。彼女は全てを透かしてしまうのだ。魔法や剣はおろか、血も泥も付かない。いつしか戦場は水を打ったように静まり返っていた。 「透徹の魔女トレニアが駆使したと云われている、透過の魔法『トランスパレント』。悪意と危害を完全に遮断する究極回避。  その場で『絶対魔法』の仲間入りだ」  トレニアの介入により、戦線は膠着状態に陥った。そして、この若き女魔導士が、聖女ではなく魔女として後世に伝えられたのには、理由がある。  最前線の魔導士達、その戦意喪失を見届けると、トレニアはまず、ダリア王の元へと現れた。  もちろん、その場は最上級の結界と警護の魔導士で守られていた。しかし、一切の魔法を透過させるトレニアに、ダリア陣営は為す術が無かった。  臣下達が固唾を飲んで見守る中、トレニアはダリア王に告げる。 『次元の王にして大陸の覇者、ダリア王よ。戦争から手を引きなさい。  さもなくば、人々が時を窺知せず昏々と寝る真夜中に、私は小剣を手に現れよう。この意味がわかるな?  私のマナが老いる事は無い。全ての悪意と危害を透過させる。  私は透徹の魔女トレニア』  そう残してトレニアは文字通り消える。もちろん、直ぐにエキザカム王家の元へと向かったのだ。  尽きる事の無い魔力を駆使し、贅を尽くしたエキザカムの皇室でも、トレニアは高らかに宣言した。 『無尽の皇にして正統な血族、エキザカム公家よ。戦争から手を引きなさい。さもなくば、富と贅を尽くした饗宴の場に、私は毒を手に現れよう。この意味がわかるな?  私のマナが朽ちる事は無い。全ての悪意と危害を透過させる。  私は透徹の魔女トレニア』  二人の王はトレニアの訓戒を受け、平和調停を結ぶ席を即座に用意した。その後は王位を子息に譲り、後見を担う。領土は綺麗に等分され、ダリアとエキザカムの従属国は、数年ごと、時間を掛けて解放されていく。  こうして、大陸全土に及んだ長き戦争は終わった。二大勢力の争いに、突如介入した魔女が仲裁を引き受け、遺恨を残さない真の平和が訪れた。  その後も、魔女トレニアは多くの功績を残した。領土分配の監督、細分化された平和条約の制定、難民や孤児のための住居施設の建造、戦場となって傷付いてしまった自然の修復·保護。トレニアは絶対魔法だけでなく、あらゆる魔法にも精通していたようだ。今も各地に彼女を称える記念館がある。  同時に、謎多き人物でもあった。政治も行い、公的な場にも現れていたのは確かだが、出身や血縁者は不明とされている。ブルーウィントップに降臨した時の二十歳という年齢以外、殆ど分かっていない。それも、見た目が何年も変わらないものだから、残された歴史書の記述にも相違がある。  トレニア出生の秘密については、今も歴史研究家の間で熱のこもった議論が交わされている。聖女か魔女か。大いなる神か、ただの人か。 「俺なんかは……本当にそんな奴いたのかって思っちまう」 「それはどうしてですか?」 「出来過ぎだからよ。トランスパレントとかいう魔法も、戦争後の功績も。見た目が二十歳の女ってのが、いかにも作り物の伝説みたいじゃねえか」  俺の感想を受けたナツスミレは、手の平を合わせて言った。 「なるほど。架空の魔女をでっち上げて、平和調停の美化を図った……なんて、考えもありますしね」 「そういうこと。  それよりお前、知ってるだろ?魔女トレニアが最後に残した功績と……歴史から姿を消した場所」  俺は屋上の床を拳で軽く小突いた。 「このブルーウィンアカデミーだってよ」  間違いなく、これが一番酷い言い伝えだ。 「法案をいくつか通して、政治から退いた後は、魔法学校を建てて、数年間そこの理事を勤めていた。そして、ある日突然消えた」 「はい。存じています」  込み上げる笑いを喉の奥に押し込めながら、俺は言った。 「信じられるわけねえだろ。こんな何も変哲の無い学校が、実はこの大陸の伝説が用意した、由緒あるモンでした。なんてよ」 「確かに、そうですね」 「なんならもっとちゃんとした魔法学校もあるんだぜ?偏差値で言ったら、他校と比べて下の方だ。歴史ばっか長くて、衰退した魔法を教えるだけの学校なんて、本当だったらトレニア様もがっかりだろう」 「魔法の価値が下がってしまったのは事実でしょうね。昔は戦争で使用される程の威力があったわけですから」 「俺の家……アビコの家系は、事業の発展を目論んで、その強力だった魔法を求めていたんだ。馬鹿みたいにな」  ナツスミレ発した二個目の質問、その返答。今日は天気が良いから俺の口も滑る。 「魔法に関して、何の知識も教養も無い大陸から来たんだ。  学んで得られる魔法が、手品のレベル。才があって、多少強力な魔法を習得できても、国の許可と制限がある。とどめに、ヒノモトではマナが無いから持ち帰っても使えない。  その辺の詳細を知らなかったから、財産を手放してまで来ちゃいました。  ……救いようの無い間抜けだ」  斜向かいの実習棟で聖詠が始まった。パイプオルガンの伴奏に、一糸乱れぬ歌声が追いかける。精神統一と魔力の効化に一役買うそうだが、聴いていてもつまらない音楽だ。 「ただ、ここが伝説の魔女が作った学校という事だけは知っていた。国でカビ臭い伝記を掴まされてな。  いくら突っ込んだか知らねえけど、高かったんだろう。だから信用しちまった」 「……」 「間抜けの癖に諦めの悪い当主に言われたんだ。  『なんとかして、使える魔法を習得してこい。可能なら、伝説の絶対魔法トランスパレントの秘密も探ってこい』だとよ」  今でも思い出すと気分が腐る。一年も前の事なのに。 「俺は嫌気が差して、グレることにした。  街ではケンカもするし、グレーなバイトもする。この国で気に入ったのは魔導二輪だけ」  これで三個目の質問も返答。本当に、柄にもない事をしたものだ。  俺は目を閉じて横になった。息を吐いて、瞼の裏の明かりを消す。 「喋りすぎた。じゃあな」  静かになった制御塔の駆動音。パイプオルガンと聖詠。野鳥の囀ずり。地面は硬いが、仄かに熱を持っていてちょうど良い。このまま、鐘が鳴るまで寝れそうだった。 「最初は魔法学校ではなく、魔法研究所として設立したんです。  学園の理事を勤めたというのは、間違いではないけれど、結果としてそうなった形ですね」  ナツスミレのか細い声が、環境音に加わる。 「トランスパレント自体は攻撃性を持ちません。けれど、永続的に発動し、全ての悪意と障害を透過させる、というのは、この世の理から大きく外れる事にも、摂理を見出し混乱を招く事にもなります。  傷付かない、老いない、朽ちない、……死なない。  それはあってはならない事です。たとえ、偶然の産物として生まれ、大陸の平和を導いた魔法だったとしても。  私は親しき者や弟子達にそう告げました」  眠気はじわじわと出てきたが、頭の位置がちょっとしっくりしない。枕代わりのテキストでも持ってくれば良かった。 「研究所はトランスパレントを封印する為に建てられたのです。  長い時間、研究と実験の繰り返しでした。世情が安定し、有難いことに、協力者も増えました。ですが……。  叡智盛んなダリアの魔導士も、理を重んじるエキザカムの魔導士も、自ら取った弟子達も……。みんな老いて逝きました。いつまでも若い姿の私を残して」  ブレザーを畳んで敷いてみたら、収まりが良かった。初夏の屋上では、そよ風が吹いていて、昼寝をするにはもってこいの気候だ。 「トランスパレントは、悪意と障害を通しません。攻撃可能な障害、つまり、生物が射程内に存在……、遠距離からの呪法もそうですね。これらを悪意と認識する為の、永続性を内包しています。  方法としては、やはり自決しかない。という結論は早くからありました。しかし、これも簡単ではありません。まず、他者との完全な断絶を図り、武器や魔法に頼らない方法を考えなくてはいけませんでした。  数百年の時を費やして、そうして得た結果が……。  肉体の死。これだけでした。精神体は見ての通り、無様にも生き残っています」  一応、聞いてはいた。当然の質問をする。 「お前、何の話をしているんだ」 「歴史で語られる、私の唐突な失踪·消失の理由です。  研究中は人を遠ざけていましたし、さっき言ったように、他者との完全な断絶が不可欠でしたから……。ある日突然、この学園から消えたように見えたでしょうね」  そうじゃない。いったい何を言い出したのかと訊いたのだ。 「魔力相性の良い肉体には憑依が出来ます。もちろん、目や耳を少し借りるだけで、当人を操作したりはしません。私の魔力と知識を貸す代わりに、世情を少し学ばせて貰おうと……。  憑依した私の精神体を感知し、意識を共有できたのは、このナツスミレ·フォン·リィンベルト……。スミちゃんが初めてでした。  私の没後、同世代の女の子と、会話らしい会話ができたのは、とても嬉しかったですね」  俺は起き上がって、ナツスミレを睨んだ。そこに、からかうような笑顔はなく、真剣な表情で膝を抱え座っている。 「お前、ただのシャバ子だと思ったけど、なかなかオモシレーじゃん。自分が伝説の魔女だってネタ。大事に暖めとけよ?いい線いってるぜ」  深刻ぶってぼそぼそ語っていたナツスミレだったが、これには一変して声を張り上げた。 「ね、ネタじゃないです!!  私、身体はこの通りスミちゃんだけど、トレニアなんです!!」 「はっ!あーはっはっは!!」  俺はいよいよ大声で笑っていた。こいつ、マジで面白いかも。 「えーっと、ちょっと待てよ」  俺が顔も覚えていなかった、ナツスミレの妄想を整理する。  おとぎ話のような歴史で、最も有名な人物。聖女とも呼ばれた魔女トレニア。全ての悪意と障害を透過させる絶対魔法『トランスパレント』を駆使し、戦争を仲裁し、大陸を今なお続く平和にと導いた。  強大過ぎる絶対魔法を封じるために研究所を設立し、自決を図るが失敗。精神体が残り、ときおり憑依して世の中を見守ってきた。ナツスミレの肉体は相性が良く、意識下での共有が可能。  現在、暇そうな不良をからかって遊んでいる。 「身体はそのナツスミレで、精神は魔女トレニアか。  意識下で共有となると、表に出たり裏に回ったり?」 「もちろん、普段はスミちゃんですよ。私が表に出ているのは久しぶりです」 「口振りから察するに、二人はその……仲良しなワケ?」 「はい!親友です!  ある日スミちゃんが、鏡に向かって『友達になって』って言ったんですよ!!すっごい可愛くないですか!?」 「ぎゃははははは!!」  退屈な学校で、久々の大笑い。たまにはクラスの奴と話してみるものだ。 「アヤセくんがそんなに笑ってるの、初めて見ました。スミちゃんにも見せたかったなぁ」  ナツスミレは目を丸くして、そんな事をぼやいている。そのキャラとネタを守ってくれれば、俺はまた爆笑するだろう。腹筋が吊りそうなので、また寝転がる。 「ていうか、……信じてないですよね?」  深い碧の目が真上から覗き込んできた。 「当たり前だろ。  でも、マジで面白かったから、良いんじゃねえか?」 「うう……。どうしたら信じてもらえるでしょうか?」 「そりゃあ、お前……」  俺は至極当然の返答をしかけて、飲み込んだ。もう少し遊んでやるなら……。 「教えてくれりゃあいいんじゃねえか?  さっき俺がベラベラ喋らされた、この国の歴史を改めて……な」 「と、いいますと?」 「お前、トレニア本人なんだろ?  伝わっている史実が合っているとか違うとか。本人しか知り得ない生い立ちの話だとか。当然、何かあんだろ」  ナツスミレは、俺の提案に少し困ったような表情を浮かべた。流石に、これ以上の仕込みは用意していない、という所か。それ見たことか、と吐き捨てて、再び横になる。まあ、暇潰しにはなったか。いや、むしろ、少々がっかりしたぐらいだ。  だが、ナツスミレはだいぶ遅れて「そうですね」と小さく呟いた。 「多少、史実と異なるとしても……。学校として生徒に教えている内容ですからね。あまり野暮な添削はしたくないのです……。  私の出生も、公にするものではないと思っていますし」 「はあ?」 「アヤセくんは、正確な把握をしていますよ。テキスト通り、という意味で」  俺のような素行不良を捕まえて、テキスト通りとは。なかなかナメられたもんだ。天然とは恐ろしい。男だったらとっくにシメてる。  しかし、続くナツスミレの言葉に、俺は思わず息を飲んでいた。 「私はダリアの魔導研究施設で育ちました。親の顔は知りません。  孤児として拾われて、次元の魔力を仕込まれて、戦争の兵器として、何年も教育を受けていました。  あの頃は、別段珍しい話でもないので、悲観することもなかったのですが……。  中立な立場であったこともなく、ましてや、神の使いとしてブルーウィントップに降り立った……なんてことはありません」 「……」 「トランスパレントは、研究と実験の過程で、偶然生まれた魔法です。  次元魔法『ディメンション』を編み出し、大国を築いたダリアですが、象徴である魔法が、思わぬ形に変異するとは、想像だにしていなかったでしょう」 「……そりゃ、どういうこと?」 「実験体の周囲に新たな次元、宇宙を作り出し、ブラックホールを纏った、言わば人型の魔導爆弾を作ろうとしたんです。  送り込まれた次元の魔力、それが、私の精神と同調する事で失敗し、別の作用を生みながら、溶け合い、その果てに透過の魔法となりました。  トランスパレントは、透過の魔法と言われていますが、実際には通過するエネルギーを、一度別次元に移し、視覚情報以外を別の時間軸に流しているのです」  一度全て聞いてから、反芻する。ダリアの研究機関の実験体……。その次元魔法の魔力が同調して……。視覚情報以外は別次元……。その間、ナツスミレは不安そうに俺を覗き混んでいた。 「……なんとなく解った」 「あ、はい!理解が早くて助かります。  アヤセくん、地頭は悪くないんだから、授業も真面目に受ければ……」 「あぁ?」 「す、すいません。えっと、あとは何を話せば……。  そうですね……。ブルーウィントップの時、私は二十歳前後と言われていますが、正確ではありません。トランスパレントが完全に定着した直後でしたので、数え年で十八歳です。  あと、絵画などで、その場面の私が夜空の満月と合わせて描かれる事が多いのですが……。あの夜は曇り空で、それも三日月でした!」  小さな身体を反らせて言う。それが果たして、自身が伝説の魔女トレニアであることの証明になるのか?というところだが……。  もう少し聞いてやるか。俺は得意気なツラを浮かべるナツスミレに、話の先を促した。 「それで?」 「うーん。では、ダリアとエキザカム。二人の王に述べた『透徹の魔女トレニアの口上』はどうですか?  さっき、アヤセくんも引用してましたね。『さもなくば、人々が時を既知せず昏々と眠る真夜中に~』っていうアレです。学力試験にも出やすいから、わりと有名ですが」 「ああ。あれがなんだっていうんだ?」  両手を腰に添えて、堂々と言うナツスミレ。 「私はあんなそれっぽい言い方してません。  王を守る最強の近衛兵団と魔導士達を、同時に相手にしていたんですよ?槍で突かれて、剣で斬られて、雷の魔法や炎の矢が飛んできて……。そんなの、当たらなくても怖いじゃないですか?  だから、実際は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、王の足にしがみついてお願いしたんです。  『どうか戦争をやめて下さい。やめてくれないなら、こうして一生取り憑きますよ』って」  馬鹿な……。だが待てよ。目の前のシャバ子が本当にトレニアだとしたら……。そんな威厳の欠片もない姿も、さもありなん、という気になってくる。  ナツスミレは二の句が継げない俺に、なおも畳み掛ける。 「あとは、うーん……。  これ、内緒でお願いしますよ?知れ渡ったら大変な事になります」 「お、おう」 「現在、国のトップとして、エキザカムの皇室からも代表を選出して、政治や外交、災害地への行幸啓などを行っていますよね?」  口元に指を立てるナツスミレ。俺は頷きを返した。 「あの方達は、実のところ、正統なエキザカムの血族ではありません。  天皇家の血は、戦争終結から八十年ほど後に途絶えています」 「……何だって?」 「正確には国の動力となる為に、その御身をこの大地へ返戻なさいました。  戦争の時代を自らの罪と捉えた末、大陸のマナが永遠に保たれるようにと、無尽の魔力を差し出したのです。  私はその場に立ち会いました。一族の総意ということで、ついぞ、止めることは出来ませんでした」  信憑性に欠ける突飛な話だ。が、それだけに興味深い。 「この大陸のマナが、徐々に目減りしてるっていう話は……?」 「方便でしょう。強力な魔法に頼らなければ、それだけ争いの種は減ります。もっと言えば、それもエギザカム公家の願いでした。自分たちが引く代わりに、魔法を衰退させること。それを後世、ダリア側に要求しました。もちろん、私がそれを監督しています」  ナツスミレは、政府が隠し事をしていると言う。二千年以上伏せてきた秘密。スケールの大きい嘘……なのか。 「エギザカムは命を捨て、平和を託しました。ただ、当時も糾弾された、間違ったやり方です。犠牲の上に積む平和は、歓迎されるものではないと。  しかしながら、彼らの決意に言葉は通じませんでした……。その事に、私は今もやるせない気持ちでいます」  ナツスミレは薫風に揺れる髪を押さえて、誰もいない演習場を見下ろしていた。その横顔は、確かに言葉通り、取り返しの付かない過去を想起している様にも見えた。  用意していた嘘だとしても。頭のイカれた妄言だとしても。度が過ぎている。そんなはずはないと思っていても、俺は確信を得られないでいた。 「どうでしょう?そろそろ……。  私が確かに『透徹の魔女トレニア』であると、信じては頂けませんか?アヤセ·アビコくん」  屋上の風が俺たちの間を抜けてゆく。互いの言葉を待つだけの、静かな時間が流れていた。  虚実を探る効果的な質問を考えたい。が、何を訊けばいいのか……。 「……魔女って呼ばれんのは、どんな気分だ?」 「実は気にいっています。  二人の王に、『聖女』はやめてねって言った結果ですが」  屈託のない笑顔は、俺が顔も覚えてなかったクラスメイト、ナツスミレとかいうシャバ子のものか。 「……もちろん、今からちゃんと見せますよ。  私を証明する『絶対魔法』を」  そう告げた瞬間だった。  怖気が足元から吹き上がり、全身の毛穴が開いていた。高い耳鳴りが脳を突き抜ける。しかし、寒いと感じたのは一瞬で、次の瞬間には額に汗を掻いていた。  ゆっくりと屋上の中央に歩いていくナツスミレ。その周囲で光の粒子が渦巻いている。それは視認できるはずのない、空気の層を押し込めたように、濃密な魔力の奔流だった。  陽射し受けて七色に瞬き、風を受けて波のように揺らぐ。ただ、その膜の向こうはハッキリと見える。深碧の瞳を輝かせたナツスミレも、森の向こうの空も。  魔力で作られた膜は、何処までも透明だった。滅茶苦茶な言い方だが、この目に映るほど色濃い透明だったのだ。  俺は不良魔導士らしく、魔力の探知なんか苦手中の苦手だ。けれど、これほどの魔力を近くにしていて、まったく気付かずにいたというのは、さすがにおかしな話だった。 「……隠していたのか?」 「いえ。さっきも言いましたが、トランスパレントは永続魔法です。2700年前から常に発動しています。私への悪意と危害、その可能性が生まれた瞬間からずっと。  もちろん、肉体を借りているスミちゃんにも、効力は及んでいます。普段は誰も感知出来ません。今は必要があるので、アヤセくんが感知できるようになった。という事ですね」 「今は俺だけに、ね。  ずいぶん、都合が良いじゃねえか」 「そうなんです。この魔法は融通が利き過ぎるんですよ。私にとって」  まあ、こんな魔力を常に纏っていて、それが感知できるとしたら……。周りが黙っちゃいない。授業中とはいえ、教員の誰かがすっ飛んできているはずだ。 「さて、アヤセくん。何をして欲しいか、解りますよね。  武器を精製して頂けますか?せっかくなので、あの黒檀の剣をリクエストします」 「……」  俺は無言で挑発に応えた。  掌を合わせて集中を高める。そうして、長さと重さ、構えている自分を描く。柄の手触りを感じて、体の前でその感触ごと袈裟に振り下ろす。一本の木剣が目の前で、形を持って現れた。 「では、いつでもどうぞ。もちろん、全力で構いません」  両手を広げ、完全な無防備を晒すナツスミレ。どこにも気張った様子がない。  間合いを詰め、渦巻く魔力と対峙する。  けれど、俺はそこまできて、やっと我に返る。思わず取ってしまった構えを解いていた。 「どうしました、アヤセくん?遠慮は要りませんよ」 「いや。つい作っちまったけど……。気が進まない」 「?」 「お前がヤバい奴だって事は、今纏っている魔力で充分に理解した。  でも、見た目はその辺にいるシャバ子だ」  俺がそう告げると、ナツスミレは肩を落とし、小さく息を吐いた。 「街でケンカはしても、一般生徒や女性には優しいんですね。スミちゃんが言っていた通りです」  そんなのは当たり前だ。俺への印象についてはちゃんちゃら可笑しいけど。 「仕方ありません。では、ちょっと失礼して……」 「……っ!?」  精製した木刀が突如、俺の手から抜き取られた。中空で旋回し、ナツスミレの前で一度停止してから、再びゆっくりと回転させた。刀身に触れ、何かを確認している。 「以前から関心していたのですが……。これ、よく出来ていますよ。  この大陸で、木をマティエールとして扱う発想は、わりと珍しいですし、その上で高い強度を実現出来ています。何かモデルがあるのでしょうか?」  今となっては本当かどうかもわからないが。生家の倉に、柄の部分を神木から作ったという御神刀が飾ってあった。子供ながらに、それを由緒ある一振りだと思っていたのかもしれない。  ただ、俺はその辺りをなんとなく伏せた。 「べつに。下手だから鉄製を選ばなかっただけだ」 「そうですか?アヤセくん、真面目にやれば、もっと良い魔導士になれると思うのですが……」 「理事長気取りの説教は沢山だ。大きなお世話な……だ……っ!?」 「お説教じゃなくて、激励のつもりなんてすけど……」  話している途中で、俺はまた度肝を抜かれた。ナツスミレの周囲で回転していた木剣が増えている。二本から四本……。四本が八本に……。俺の魔力だった木剣が音もなく次々と増殖してゆく。それも、オリジナルより強力な魔力を帯びて。 「なんだそりゃ……。冗談だろ……」 「これでも長く魔導を研究してますから。  それに、見せたいのはこんなありふれた魔法じゃないですよ?」  しれっとそんな事を言いながら、顔の前で両手を振る。その間にも、数多の木剣は、互いの魔力に弾かれるようにして、空へと昇ってゆく。  他人の魔法の支配と多重複製。それも、見たことの無い速さと精度。目の前で起こっている魔法は、すでに上級クラスの教員レベルを軽く凌駕していた。 「では、行きます!危ないから離れていて下さいね!」  制御塔の遥か上で、増殖した魔剣が大きな円を作る。倍々で増えていたとしたら、その数はおそらく六十四本。それが加速しながら一斉に降ってきた。  強力な魔力が渦巻いて、大気を揺るがす。あんなもん、一本でも触れたら、斬れるというより、消し飛んで跡形も残らない。 「うわあああああ!!」  凄まじい轟音と衝撃だった。俺は仰け反り、バランスを崩した末、みっともない尻餅をつく。魔剣同士がぶつかり合い、地面に衝突して弾け飛ぶ。魔剣の雨は十数秒も続き、屋上は魔力の残骸と土煙に覆われた。だが……。  色濃い透明の膜に包まれたナツスミレは、かすり傷一つ付いていなかった。立ち上がる土煙すら奴をすり抜けて、小さな女生徒のシルエットだけが浮かんでいる。その立ち姿は、風の無い湖のように静かに。冬の夜空の如く澄んでいた。足元に撒き散らされた魔剣の残骸が、光に包まれて消えてゆく。深い碧の目は、ただそれを見送っていた。  透徹の魔女トレニアと、絶対魔法トランスパレントは実在した。遥かなる伝説の時を経て、今、俺の目の前で得意気に笑顔を浮かべている。 「……信じるしかなさそうだ」    屋上両端に立つ制御塔を見ると、火花を散らして放電していた。魔力の暴走や効果の緩和を担う装置が、威力を抑えきれずにオーバーヒートしたのだ。  それも、強力で多彩な魔法の一つに過ぎない。それすらも霞む、絶対回避の奇跡を、俺は確かに目撃したのだ。 「これでやっと話が……」  その時、校内のスピーカーの音声が、トレニアの言葉を遮った。 『こちらは緊急放送です。屋上で不審な魔力を感知しました。指示があるまで生徒は教室で待機。警備団は直ちに武装して、屋上へ向かって下さい。  繰り返します。こちらは緊急放送です……』  放送を受けて、教室の窓から生徒達が顔を出す。とっさに入口側に向かって、隠れようとしたが、何人かに顔を見られた。ざわめきは収まらない。ここからでも、学校全体が騒然としているのを感じ取れた。 「あー。めんどくせえな。警備の教師がすっ飛んで来る。  お前が派手にやったからだぞ」 「ご、ごめんなさい!攻撃に回す魔力は隠しようがなくて……。  この場は私の魔法でやり過ごしますから」 「どうすんだ?」 「こちらへ」  手招きされて、トレニアに近付く。もうあの馬鹿げた魔力は感じない。俺の肩にも満たない小さな身体は、ナツスミレという女のもので、精神体が憑依しているという。とりあえず、そういう事だと認める他にない。 「手を取って、私の目を見て下さい」  言われるままに右手を差し出す。トレニアがその手を両手で包み込むように添えた。深い碧の目が、俺を映しながら妖しい輝きを放つ。  すると突然、屋上の景色が水の底にでもなったかの様に揺らぎ出した。その揺らぎは、俺の正面から背後へと波打ちながら、色と質感を形成していく。  ほんの数秒の間に、俺とトレニアは小さな部屋に移動していた。  四方は木目の粗い木造の壁で、天井はやや低い。中央に凝った意匠のデザインテーブルと、長い背もたれの椅子が二つ。右手は全面ガラスの窓で、シンプルなレースのカーテンが窓枠の上で丸まっている。窓からの陽射しは、入射角のある南向きのもの。方角の概念があるとしたらだが。  木の香りと紅茶の香りが、ふんわりと漂っている。テーブルクロスの表面を撫でると、僅かに輪郭が歪むが、見た目通りの質感がした。俺の意識自体もはっきりしているし、五感もちゃんと活きている。幻覚魔法の類いでなければ……。 「これは、何かの空間魔法?」  トレニアは俺に椅子を勧めながら、こくんと頷いた。変わった形のわりに、収まりが良い。 「私とスミちゃんが共有する、意識下の精神世界です。平たく言うと、トランスパレントの内側に作った部屋ですね。そこに、アヤセくんをお招きさせて頂きました」  もう、大抵の事には驚かないつもりでいたが、伝説の魔女は流石に容赦がない。また訳のわからない魔法が出てきた。  自分で自分に指を指し、トレニアに訊く。 「俺のこの身体は、精神体ってやつなのか?」 「いえ、現実の肉体ですよ。この部屋だけが、トランスパレントの膜を境にした、別世界だと思って頂ければ。私の意思でいつでも戻れますし、安心してくつろいで下さい」  俺は透過の魔法の内側にいるらしい。授業なら、魔法の仕組みを理屈や計算式で説明するのが流れだが……。この状態の解析に、黒板が何枚必要だろうか。 「千七百ほど前だったでしょうか。トランスパレントの効力を広げようと試みました。それで、成功したのが、この部屋と、箱庭一つぶんの広さでした。  それからなんとなく、憩いの空間になってしまいましてね。何が要因なのか、私の趣味も内装に出て来るし……」  そう言って、トレニアは部屋中を見渡す。俺もその様子に倣った。  年代物の振り子時計や、若干、奇怪に映る花の置物。本棚にはやはりというか、分厚い本がぎっちりと詰まっている。少女趣味の中に、現代では見かけない家具の数々。これらがトレニアの趣味だと言う。  苦笑いを浮かべるトレニアの背後には、薔薇の蔦でがんじがらめにされた棺らしきものもあった。とりあえず、アレには触れたくない。 「まあ、二人きりでお話するには便利な場所です。当然、外部からの干渉もありません。姿を消して逃げ込む魔法としては、優秀でしょう?」  部屋を見渡して返事をする。一人用の部屋としても、決して広くないのに、圧迫感がまるで無い。程よく涼しくて快適だ。 「全くだ。今日見たお前の魔法の中で、間違いなくコイツが一番イカしてる。コツが知りたいぐらいだな」 「……授業をサボるのに使いそうなので、アヤセくんには教えられません」  クソ真面目か。こんなぶっ飛んだ魔法を、俺が習得出来るわけがないだろう。たとえ、二千七百年を生きたとしても。   窓の向こうには、現実と同じような春の風景が広がっていた。正面に一本の大木が真っ直ぐ立っていて、枝先に青々とした葉を風に揺らしている。透明に澄んだ川のせせらぎと、小さな風車が軋む音。天窓から差し込む陽光で、部屋の中は自然な明るさだ。 「ええっと。とりあえず、お茶でも飲みます?」  トレニアがテーブルの上で小さく指を振ると、ティーカップが二つ現れた。これの柄もまた、デフォルメされた兎がデザインされていた。 「……呑気だな。貰うけど」 「お砂糖は?」 「いらない。  なあ、屋上はどうなっている?」  俺の疑問にトレニアは、紅茶を注ぎながら答えた。 「私たちは今、学園の屋上にはいません。魔力の痕跡は残していませんので、ここでほとぼりが冷めるのを待ちましょう」 「学園の創設者で元理事長が、不良生徒と一緒にサボりかよ」 「今回は特別です。次の授業はちゃんと出て下さい」  返事をするのが面倒だったので、紅茶を口にする。 「紅茶は普通だな。ああ、学食にたんまり置いてあるやつか。どっかの部活で栽培してるっていう」 「……スミちゃんは園芸部なので。分けて貰いました」  こういう隠れ家も悪くない。自分の好きに作り込んだ部屋なんて、伝説の魔女でも庶民的な真似をするものだ。 「なんか不思議だけど……。いい部屋だな」 「それは……どうも」  この魔法を褒めたのは、紛れもなく本心だ。この小さな部屋はやけに居心地が良かった。窓の外の穏やかな景色が、日々の中で溜め込んだ険を、ゆっくりと削いでいく。  学校の魔法を習得する事に、意味を見出だせない。生活を保護されているから、当主には結局逆らえない。早く一人立ちして故郷へ帰りたいが、なかなか金は貯まらない。見た目と態度が暴力を呼び込み、それを暴力で返す。  世の理を越えた存在が見せる、この小さな世界で、俺はちっぽけな自分を感じていた。それが不思議と悪くないと思える。己を知るのもまた、魔導だというのなら、この退屈な学園も、もしかしたら、価値ある日々になるのかもしれない。  柄にもなく、俺はそんな事を思う。  静かな時間に一区切り付けて、俺はずっと気になっていた質問を振った。 「なあ。どうして俺に正体を晒したんだ?今までは誰にも言わず、黙っていたんだろう?」  トレニアはカップをコースターに置くと、やけにかしこまって俺を見据えた。胸に手を当てて言う。 「そうです。スミちゃん……。ナツスミレ·フォン·リィンベルトから、あなたに伝えたい事があります。  私は今日、その為に身体を借りて、あなたの前に現れたのです」 「お前の宿主のナツスミレに?  正直、まともに話した記憶もねえんだけど……」 「はい。スミちゃんもそう言っていました。このブルーウィンアカデミーに入学してから、一度も話した事はなく、ただ、遠くから見ているだけだったと」 「……だったら尚更わかんねえな」 「何か、覚えがありませんか?全くの心当たりも?」 「……無い」  ナツスミレに限らず、俺は学園の連中との付き合いは殆ど無かった。熱心に魔法の勉強をしている奴らとは、どうにも話が合わないし、行事にも参加しないものだから、はっきりいって今もクラスから孤立している。入学直後、上級生に絡まれて、ケンカをしまくったのも、たぶん浮いている原因だ。  そんな俺に、見た目シャバ子のナツスミレが、いったい何だと言うのか。  強いていうならそう……。現状、特別な事と言えば……。  こいつの正体が伝説の魔女であること。その一点しかない。今日のように不思議な出来事が、これ以上起きないと、どうして言い切れる?  不良魔導士の想像力を、無理矢理働かせてみる。  実は、絶対魔法の制御に難儀しているとか?トレニアの憑依が原因で、家族か知人を貶めてしまったとか?知り得ない歴史の闇に気付いて、政府から追われているとか?  全然駄目だ。どれもこれも、馬鹿げている。第一、俺には一切関係無い。ならば、訊いてみるしかない。 「それは……トレニア。お前の魔法だとか存在に、何か関係があるのか?」  伝説の魔女は首を振った。 「ありません。  私は伝える役を請け負っただけです。スミちゃんの友人として。  ……アヤセくんの方に覚えが無い、というのは、少々残念ではありましたが。  それでは、お話ししましょう。よく聞いて下さいね?」  俺は伝説の魔女の言葉に身構えた。授業をサボって、不思議な部屋で、紅茶を飲みながら。  トレニアは一つ深呼吸をして、一気に言った。 「スミちゃんは、アヤセくんの事が好きなんです!!  入学して、初めて見掛けた時、去年の春からずっと!!」 「……は?」 「どうですか!?よく見て下さい!!こんなに可愛いでしょう!?  何より、優しい子なんです!自然を、魔法を、人を愛し、何事にも一生懸命です!名家の期待にも努力で応え、大人しいけど人望があります!大きな夢も持っています!私はスミちゃんの夢を必ず見届けます!」 「ちょっと待て」 「男の子なら、お付き合いしたいに決まってます!見た目だって可愛いし、最近はお料理も上達しています!可愛いイラストも描けます!笑うと目尻が下がって可愛いです!魔法式の演算と水泳は苦手ですが、そんなのお付き合いする事には関係無いでしょう!身体は全体的に……その……小さい……ですが……。  ……これから成長します!!」 「いや、待てって……」 「アヤセくんに今現在、彼女と呼べる女性がいない事はわかっています!私の魔法で調査済みです!今はこれといった印象が無くても、きっと好きになれます!こんなに可愛い子が、はっきりアヤセくんを好きだと言っているのだから、悩む必要はどこにもありませんよね!?一途でおしとやかで愛嬌があって品もあって教養もあっておっとりしているように見えますが、こう見えて機転も利きます!二千七百年前からこの手の女性は当たりです!最初はお友達としてでも構いません!どうせ好きになりますから!アヤセくんは確かに格好いいけど、怖い見た目で損をしていますから、こんな大チャンス滅多に……」 「待てっつってんだろ!!」 「ひぃぃ!!」  思わず怒鳴ってしまった。トレニアは興奮気味だった様子から態度を一変させ、小刻みに震えている。コイツ、トランスパレントを始めとした、あり得ないレベルの魔法をいくつも使いこなす癖に、何故かビビリだ。  いや、そんなのはどうでもいい。 「お前……。俺にそれを伝える為に、表に出てきたっていうのか?」 「そうです……けど……」 「伝説の魔女っていう正体を晒してまで?」 「スミちゃんはいつまでたっても告白しようとしないんです。すっかり恥ずかしがっちゃって。言わなきゃ何も始まらないというのに。  だから私が請け負ったのです。この姿で気持ちを伝えるなら、ほとんど直接告白しているようなものでしょう」  それはどうだろう、と指摘仕掛けたが……やめた。 「絶対魔法の暴走とか、政府に目を付けられた、……とかじゃない?」 「どういう意味でしょう?差し当たっての危険は何もありませんよ。二千七百年前からずっと。世界は平和そのものじゃないですか」  小首を傾げて不思議そうに俺を伺うトレニア。生まれた沈黙に秒針の音が刻まれる。  窓の外に映る空は、現実の空と遜色が無い。その先に宇宙の暗闇があるから青いのだ。ここが外と同じ仕組みであるならば。  俺は空になっていたカップを突き出した。 「おかわりくれ」 「あ、はい。どうぞ」  飲み慣れた味の紅茶をすすりながら、頭の中で整理する。  要するに、『告白したいけど、直接は勇気が要るから、友達に頼んだ』っていうやつなのか?それだけの為に、俺は絶対魔法を見せられ、隠された歴史を知らされたと?  俺のこの体験は……そんな事の為に起こってもよかった話なのか?  この短い、たったの授業一コマ分の時間で、とんでもない出来事が起きたと、そう思っていた。それに違いは無い。けれど、こいつらには、そんな気は一切なく、ただの色恋話を成立させるためだけのものだったのだ。 「いや、女子ってすげえな」 「?」  思わず漏れていた俺の感想は、おそらく、トレニアに伝わらないだろう。きっと、男女間で起きる感覚の齟齬、そういう類いの話なのだ。 「さて、私からお伝えする事は以上です。  是非、良いお返事をしてあげて下さいね」  トレニアは席を立ち、自分の食器を台所へ運んだ。かと思えば、また新しいティーカップを出して、テーブルに乗せる。取っ手が茎の形をした、花のデザイン。 「どうした?何をして……いる?」  訊いてから嫌な予感がした。トレニアは椅子に座り直して、両目を伏せる。 「スミちゃんと代わります。  安心して下さい。この部屋はちゃんと残しますので」  何を言っている?そうじゃない。そういうことじゃない。 「おい、待て」 「アヤセくん、この部屋が気に入ったと言ってくれましたね。とても嬉しかったです。  誰にも邪魔されず、二人きりになれる場所なんて、素敵だと思いませんか?  私はその点が最も気に入っています」  反射的に立ち上がり、腕を伸ばす。ひとまず、肩を掴んで引き止めようとしたのだが……。 「うおっ!!」  手応えが一切無い!  そのままバランスを崩した俺は、足をもつれさせてしまい、アンティークの棚に突っ込んでしまった。床に転がった俺に容赦なく、積んであった紙束と本が容赦なく降ってくる。紙束はともかく、書籍類は地味に痛い。 「くっそ……。ちょっと掴もうとするのも『危害』かよ……」 「あ、アヤセくん!大丈夫?」  駆け寄ってきた女は、さっきまで顔を突き合わせていたはずの奴だ。けれど、少し近づいただけで、明確な違和感を感じた。 「ごめんなさい……。私……」  同じ声だが、やや抑揚が抑えられている。目が合った時に、違和感の正体に気付くことができた。 「目の色……」 「あ、うん。私は元々この色で……。  トレちゃんが出てると、碧色が入るの。魔力の回路が変わると、網膜に影響が出る事があるんだって……」 「知らなかった」 「それは私も……」  それで見分けろとでもいうのか。もっとも、トレニアの口振りでは、あまり表に出る事も無かったようだから、無駄な知識で終わるかもしれない。  立ち上がって、椅子に戻った。一拍遅れてナツスミレも座り直す。  そうだ、コイツの方が本人だ。さっきまでの奴は、中身の違う別人なのだ。  それを意識すると、なんだか妙にソワソワしてきた。  席に戻っても、探り合いの空気は続いている。耐えきれなくて、俺から切り出した。 「……ナツスミレ」 「う、うん」 「あー……。  アイツの方はどうなってんの?」 「トレちゃんの事……だよね。  今は私の意識……というか、頭の中にいるような感じで……」  向かい合っているのに、目が合わない。ナツスミレは視線をさ迷わせながら、何度も紅茶を口に運んだ。 「……さっきまでのやり取りとか、会話とかは?」  カップの持ち手が見てわかるほど震えている。緊張は移る、と誰かが言っていたのを思い出す。 「……聞いてた。意識が寝てなければ、感覚も共有……だから」 「最初から?」  二度、三度の頷き。  このシャバ子、ナツスミレは、俺とトレニアの会話をずっと聞いていた。大半はトレニアの自己紹介みたいなものだったが、真の目的は、それとはまったく関係のない内容だった。  普段、学園内で孤立している俺だ。けれど、俺から喋らないと、コイツは一生紅茶を飲み続ける気がする。この手の状況は経験も無いし、正直キツい。 「えーっと……。  全部、本当の話ってことでいいんだよな?」 「トレちゃんのこと?伝説の魔女で、透過の魔法で……。ええっと、私の身体とたまたま相性が良かったから……」 「その辺りはもうとっくに認めた。……この部屋に来てからの話だよ」 「あっ」  ナツスミレは顔を真っ赤にして俯いてしまった。そういう様子を見せられては、こっちも反応に困る。俺はカップの紅茶を飲み干して、窓の外に視線を送った。  そこにあったのは、ひどく懐かしい景色だった。 「お前、あの庭のデカイ木。なんだか知っているか?」  俺の質問に、ナツスミレは、小さく首を振った。 「ごめんなさい。よく知らないの。  トレちゃんの心証風景が映るみたいだから。現実にあるものかどうかも、はっきりしなくて……」 「ふうん」  この異空間にも昼夜があって、……季節があるのか。 「早く伝えないと駄目だよって、トレちゃんが急かしたの……。 『やりたいこと、伝えたいことは、今すぐやって、伝えましょう。人生はあっという間だから』って」 「説得力ねえな」 「私も言った。でも、その通りなんだよ。  アヤセくんは、早く故郷に帰りたいんでしょ?」 「……」  自分の人生じゃなくて、相手の人生という意味か。  親しい人と、弟子たちに先立たれたトレニア……。  俺は唐突に思い出した。 -もちろん、肉体を借りているスミちゃんにも、効果は及んでいます-  そうだ。ナツスミレもまた……。  視線を戻す。名前も知らなかったクラスメイトは、静かに微笑んでいた。 「意識の共有が出来るほど、相性が良かったのは、私が初めてなんだって。魔法の才能があったとかじゃなくて、ただの偶然なのに。  でも、なんだかそれが嬉しくて」 「お前……」 「魔導の良家なんて言われちゃう家に生まれたけど、大した事はできそうにないし、ずっと息苦しかった。  でも、頭の中に何でも話せる友達が出来て、人並みに素敵な恋も出来たの。それだけなのに、魔法も勉強も、なんだか急に楽しくなったな」  ナツスミレは視線を落とし、紅茶のカップ両手で包み込んでいた。それが大切なものであるというように。あるいは、贈られたものなのかもしれない。 「私、トレちゃんに新たな肉体を与えてあげたいの。そうして、ちゃんと友達になりたい。最終的には、トランスパレントも破るんだ」 -大きな夢も持っています!私はその夢を必ず見届けます!-  俺は窓辺に寄って、庭の大木を見上げた。本当に大した仕掛けだ。さっきまでは青葉を付けていたはずなのに。 「あ、ごめんなさい。勝手にペラペラ喋っちゃって……。いきなりあんなこと言っておいて、それなのに……」 「良いんじゃねえの?頑張れよ」 「えっ?」 「でも、この空間魔法は残しとけ。  それで……たまに呼んでくれ」  ナツスミレは、間抜けヅラで五秒も停止してから、やっと返事をした。 「う、うん」  風が吹いて、薄桃色の小さな花びらが舞う。視界を埋め尽くすほどの、大量の花びらは、空を埋めるように、一つ一つが風に乗って、遠くへと消えていく。この空間にも、果てというものがあるのだろうか。  昔見た春の風景は、俺に故郷を想起させた。  アイツ。サクラを知っているじゃねえか。
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