二話

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二話

 裏通りの路地から左に二回折れた、アジトの裏口。正面の街灯は、使い回しで供給されたマナに嫌気が差したのか、やる気のない明滅を繰り返している。春先の夜風はまだまだ冷たいが、耐えられない程ではない。  俺はいつものように、扉の前の石段に座り込み、たまに通る酔っぱらいや、目をギラつかせたチンピラに、無言の牽制を送っていた。それがバイト。学生の身でもやれる仕事と大差ない賃金だが、その先にあるかもしれないメリットを重視して、こんなバイトに明け暮れている。  この場所の警備、と言うよりは見張りに近い。背後の扉の中では、非合法の闇取り引きか、漏れたらマズい政府要人のスキャンダルを纏めている最中かもしれない。中に居るメンツを想像すると、その予想には首を傾げたくもなるが、そう思っておく方が腹も決まる。  俺には生まれた国へ帰る為の金が必要だった。学校で学んでいる魔法は、どうやら将来の職として役に立ちそうもない。もっと言うと、落ちこぼれで成績の悪い俺が、卒業出来る保証もない。多少はリスクを犯してでも、稼ぎの良い働き口に繋がる何かを得たいワケだ。  この国。ダリア公国主要都市・アンディシュダールでの暮らしも4年目に入った。学校というのは、王立魔法学園・ブルーウィンアカデミーのことで、俺は魔導衛士科の二年。特殊科の天才達や、工学科の職人志望ならともかく、衛士科で成績の良くない奴に、魔法で大きく稼げる仕事は見込めない。  このバイトにありついたのは去年の冬。学園の短い冬季休暇にかまけて、街をブラブラしていたら、他校の学生と鉢合わせた末、目つきが悪いだの、マナが淀むだのなんだので、お決まりのケンカになった時だ。  五対一だった開戦を、なんとか二対一まで持っていったタイミングで、本職が間に入ってきた。ソイツは俺達に腹まで響く恫喝をかますと、勝手に場を仕切って、ケンカを仲裁しだした。俺は裏社会に詳しくないので知らなかったが、相手の学生にとっては、ソイツの所属してるクランの看板が効果的だったらしい。あっさりするほど拍子抜けな解散になって、俺はその場にへたり込んだ。  本職は鼻血を拭いている俺を見下しながら、ナメた調子で言った。どういうつもりでそんな事を言ったのか、未だに訊いた事はない。 「黒いの。金やるから俺らのシノギ手伝えよ」  この国では、黒髪黒目は不吉で不良のトレードマークらしい。その日から、灰色クラン・ジキタリスの幹部構成員。ガルシア・リタンから、半ばお使いじみたバイトを請け負っている。  向こう見ずでいい加減な俺でも、それなりに警戒はした。調べてみると、ジキタリス自体は大きな組織ではなく、メンバーも比較的若い。灰色クランとしてはまだまだ駆け出しで、シノギもしょぼくれたもの。魔法紙おしぼりを納品してみかじめ料を取ったり、ドッグレースのノミ屋とか、潰れそうなカジノの経営とか、無難で害の少ない立ち回りをしている事が、早々に分かった。  ただ、アンディシュダールの最大派閥ギルドであるフォックスグローブの直系という事で、市民からは(良くも悪くも)一目置かれている。この点は、金が必要で、真当な職に就けるか分からない俺にとって、好材料だった。  以来、バイトと称してジキタリスに出入りするようになった。もっとも、会議などは当然追い出されるし、アジトの掃除だとか、生活用品のお使いだとかで、正規のシノギは与えられていない。もちろん、学生の身分というのもあって、名目上は構成員でもない。比較的、気楽な立場で小銭を与えられ、卒業後の就職にワンチャンスあるかも……というところだろうか。  今やっているの裏口の見張りも定番の仕事だ。月に二・三度、大事な会議や秘事がある時に、こうして見張りに立たされる。  とはいえ、気を張り過ぎていても疲れるから、こうして座っているわけだが。定時報告の時間だけ気を付けていればいい。灯りの代わりにもなる通信用のマナギミックを傍らに置いて、周囲の警戒をさほど力まずに続けていた。  灰色クランに関わる仕事ではあるが、身の危険を感じた事は無い。この退屈を良しとするか、もっと実入りの良い仕事を要求するべきか。思いを巡らせながら、街灯の一点を見つめる。屋根に張り付いていた小さな蝙蝠が、羽音も無く夜空に溶けた。表通りの喧騒は遠く、自分が世界の端で息を潜めているような気になった。それは意外と心地良い気分だ。  木剣を精製して、素振りでもしておくか。わざわざ才の無い魔法を使ってまで強くなりたいとは思わないが、剣は日課になっている。  右手に柄をイメージして、前方に振り下ろす。現れた質感を握り込むと、無骨な黒檀の剣が形を取った。今日はいつもより早く出来た。俺はたぶん、夜の方が調子が良い。  ゆっくりと型を繰り返しながら、時々通りの方に意識を向ける。こうしていれば、暇を潰しつつ、見張りも兼ねるだろう。  さて。相手を想定するならどんな奴か。  路地に迷い込んだ酔っ払いのチンピラか。無駄に鼻の効く王立警備か。ジキタリスにカチコミするような対立クランは存在するのか。 ―形あるものは必ず斬れる。だから敵を明確に想像しなさい―  必ず斬れるわけねえだろ。それに、この国に敵なんていねえ。 ―そうか。それは何よりだ―  アビコ家に仕える指南役のジジイによる寒い問答だ。頭の中の声を百回は叩き伏せてから、息を整える。見張りという仕事は、いざとなったら戦ってもいいのだろうか。仕事として、騒ぎを起こさない方が良いのは分かるけれど。  思い出したように路地に目を向けると、暗がりから学生服の女が出てきた。雲の切れ間、月明かりの下。ソイツの顔を確認して、俺は思わず固まった。 「あ!居ました。アヤセくん。お仕事お疲れ様です!」  こんな時分のこんな場所に、どんな奴が現れるのかと思いきや。まさかのクラスメイトだった。それも、あの口調。暗がりで瞳の色が確認出来なくても分かる。  この大陸で二千七百年を生きる伝説の魔女。奴とはちょっと前に知り合った。 「……何をしに来た?」  トレニアは物珍しそうに辺りをキョロキョロ見渡してから、あっけらかんと答えた。 「夜勤中、お腹が減っているかと思いまして。  はい、これ。差し入れです」  目の前に差し出された布製の巾着を、思わず手に取ってしまう。手触りは柔らかく、仄かに温かい。おそらく、片手で食べられるサンドウィッチか何かだろう。 「もちろん、作ったのは私ではありませんよ?勉強と習い事で忙しいスミちゃんが、その合間を縫って、一つ一つ丁寧にこしらえた絶品です。  どうですか?嬉しいでしょう?」  夜中に起きていれば腹も減る。しかし、その分の食費を出していては、節約にならない。 「ああ……。そりゃまあ……」 「意中の相手の胃袋を掴む、というのは、王道にして常道の手段です。これで、スミちゃんの事がよりいっそう好きになったでしょう?」 「ナツスミレじゃなく、お前の人格で来たのは?」  質問はシカトして、質問を返した。トレニアは一瞬、不服を表情に浮かべたが、直ぐに取り直した。 「恥ずかしいそうです」 「はあ?」 「男の子にお弁当を渡すのって、かなりハードル高いじゃないですか。普通無理ですよ。それは察してあげて下さい。なので、スミちゃんが眠って意識を手放してから、私が代わりに来たのです。  もっとも。お屋敷をバレないように抜け出さなくてはいけないので、魔法を駆使しました。それは、私の方が上手くやれますし」 「そういうものなのか?例の絶対魔法、トランスパレントは、ナツスミレにも影響しているんだろう?」  トレニアは、小さな顎に指を添えて、考え込む仕草をした。 「通常の魔法は別です。私が使える魔法は、私が表に出ていないと……」  知識と魔力の貯蔵は別なのか。そういえば、ナツスミレが『魔力回路が変わる』とも言っていた。正確な理屈は分からないが、他の例が無いだけに、当人達の事象が全てだ。  俺は二人の間のメカニズムを、自分の中で整理した。  肉体はトレニアが憑依する形で共有。意識があれば行来が可能で、裏でも表の会話を聞いて記憶している事がある。トランスパレント以外の魔法は各々。トレニアが表にいる時は瞳に碧色が入る。口調が若干違う。  そこまで理解してから、思い付きを言った。 「家を抜け出してから、お前がナツスミレを叩き起こせば良いんじゃねえか?」  すぐに返答が来る。 「恥ずかしいそうです」 「……そうだったな」  受け取った巾着の紐を伸ばして、石段の手摺に掛けた。 「後で食う。礼を言っておいてくれ」 「それはスミちゃんに直接言ってあげて下さいよ。その方が嬉しいに決まっているじゃないですか。ちゃんと美味しかったって……」  俺が恥ずかしいのは問題では無いらしい。これだから女子は厄介だ。 「実はですね。アカデミーの方でも時々、お弁当を用意していたんですよ。アヤセくん、いつも購買だからって。  でも人目を気にしたり、やっぱり恥ずかしいとか言い出すし。私が何度、渡しそびれたお弁当を処理した事か……」 「処理って……。食べたのか?だって身体は……」 「スミちゃんのお手製ですからね。アヤセくんが食べないなら、私が食べます」  また情報が増えた。味覚と食欲は各々で別なのか?胃袋はもちろん身体の一部だが……?  少し考えたところで馬鹿らしくなった。どうでもいい。集中が途絶えて、手にしていた木剣も消えている。俺は再び石段に腰を下ろした。 「それにしても、ずいぶん変わった場所を警備していますね。ここはお店か何かの裏口なのでしょうか?」  お店ときたか。確かに、少し前まではフォックスグローブの息がかかった風俗店だった。それが経営難で潰れて、今はジキタリスの仮アジトになっている。  コイツらに、俺のグレーなバイトについて、詳しく語った事はない。適当に深夜の警備だとか、倉庫掃除だとか言って誤魔化している。俺のちっぽけな魔力量を探知して、ここまで嗅ぎつけるような奴だ。勘違いしているならそのままにしておいた方がいい。 「まあ、そんなところ。小さい呑み屋なんだけど、オーナーが用心深くてな。  営業中の空き巣も流行ってるし、こんな裏道だと、柄の悪い奴が溜まり場にしたりするからよ」 「そうですか。アンディシュダールの深夜犯罪も、なかなか減りませんね。政治を離れて久しいですが、私の力を介入させるべきでしょうか……」  トレニアは腕を組んで、何やら思案に耽っている。コイツの「久しい」は少なくとも百年単位だろうに。どこまで本気なのか。 「お前が透徹の魔女の名前で何かするっていうのか。それこそ世の中めちゃくちゃになる」 「ふふ。言ってみただけです。  スミちゃんの姿では、発言できませんから」  トレニアは口元を隠して静かに笑った。隣の空き地の柵に腰掛けて、月を見上げる。もしかして、居座る気だろうか。 「アヤセくんも、深夜のバイトは程々にして下さいよ?校則で禁止にしている訳ではありませんが、何かあっては親御さんに顔向けが出来ません」 「……今度は理事長かよ」 「そうです。ブルーウィンアカデミーの理事長ですよ。元、ですけど。  衛士科なんですから、どんな時でもちゃんと自衛をしてですね……。あの黒檀の剣は、いつでも素早く精製出来るように普段から修練を……」  そろそろ定期連絡の時間だ。通信用のマナギミックに触れて、時間を確認してから、異状なしのシグナルを送る。  夜のざわめき、間の抜けた夜鳩の鳴き声に、トレニアの小言がその隙間を埋める。見張りの仕事を任されてからこれまで、何かが起きた事もない。楽して金になるなら、それはそれでは良いけれど、もう少し自分を売り込む機会があればいいのだが……。  俺のような学生を使ってまで、見張りを増やしている日なのだから、アジトの中ではそれなりに意味のある会議か取引が行われているかもしれない。その疑いは常にあった。そうであれば、ここで雑用をしている立場も、れっきとしたチャンスだ……。盗み聞きでも何でもいい。どうにかして一枚噛む事はできないだろうか。 「卒業後も警備の仕事を考えているなら、国家資格の取得を目指しましょう。衛士科での卒業資格は、就職に有利に働きます。けれどその後に、重要施設警備や貴重品運搬の任に就くとなると、国家試験を受けないといけません。これらは単に戦闘能力を重視したものではなく……」  とりあえず、この伝説の魔女がすごく邪魔だ。まず先に、トレニアを追い払う方法を考えなくてはならなかった。  その時。表通りの方から、低く抜けのいい駆動音が聴こえてきた。  腹に響くその音が、徐々に近付いてきたかと思うと、裏路地の入口に魔導二輪に乗った二人組が現れた。後ろの奴がステップから飛び降りると、運転手は大きく一つ吹かして、エンジンを切る。二人組が一言二言何か交わした後に、正面にいた俺と目が合った。そのまま、こちらに向かって来る。  トレニアが慌てた様子で俺を見た。 「何でしょう、あの人達は……」 「さあ」 「見た目が怖い人です。アヤセくんのお友達では?」  殴っても無駄なので無視する。こんな深夜の裏道の奥で待ち合わせるようなツレはいない。そういう奴は、大抵見た目通りのアウトローだ。案の定、後ろに乗っていた方は、派手な茶髪のサイドバックで顔面ピアスだらけ。運転手の方は、頬に切り傷のようなタトゥーを入れた、艶の無い黒髪ときている。  ピアスの方が、俺の視線を絡めたまま喋った。派手な顔立ちだが、表情は人形のように動かない。 「マジでユリウォみたいな黒髪。サマじゃん」  運転していた奴の事か。黒髪でユリウォ……。名前と特徴に思い当たる節がある。  ユリウォとやらも近付いてきて、座ったままの俺に一瞥をくれた。 「ソイツのは地毛らしい。外人なんだってさ」 「へえ。ガッコーどこ?」  ユリウォは黙ったままでいる。という事は、ピアスは俺に訊いているのか。可能な限り丁寧に答えた。 「ブルーウィン」 「あっそう。あそこ、こんな奴もいるんだ」 「アンタは何?」 「リード」  続く言葉を待ってみたが、それ以上は何も出てこない。簡潔な奴だ。気に入らない。  リードとの睨み合いが数秒続く。二人組だから尊大に構えている、というわけではなさそうだ。細身だが強気を滲ませた立ち姿に、喧嘩慣れしていそうな雰囲気がある。  不穏な間を嫌ったのか、今度はユリウォが訊いてきた。 「お前。最近、ここで立ち番をやっているみたいだが、ジキタリスのメンバーなのか?」 「違う。ただのバイト」 「そうか。今日、中で何やってるのか知っているか?」  ユリウォは薄い笑みを浮かべながら、親指を扉に向けた。それに合わせて、俺も口の端を持ち上げる。 「知らない。知ってても教えないと思うけど」 「それはそうかもな。  でもお前、ここの幹部やってるガルシアの下なんだろう?」  下、という単語の意味を咀嚼する。 「舎弟とかって事か?全然そんなんじゃない。雑用受けて小銭貰ってるだけ」  俺の答えが気に入らないのか、ユリウォは眉を寄せた。淡々と吐き出される言葉は、一つ一つが冷たい刃物のようだった。 「しらばっくれても、良い事無いぞ。お前がガルシアと絡んでるのは、いろんな方面から聞いている。  あの男がこれまでに街の不良を手懐けた事なんて無い。売出し中のジキタリスに、何か動きあるんじゃないかって、アウトロー共のクランじゃ、専らの噂だ」  あのオッサン、そこそこ名前の通っている奴だと察していたが、思っていた以上に影響力があるようだ。でも、俺は金が欲しいだけで、悪目立ちはしたくない。 「俺みたいな学生に訊かれてもね。知らないものは知らない。ガルシア……サンとも、たぶん、アンタが聞いているほど絡んでない。あっちは俺のフルネームも知らない」  ユリウォは言葉の真偽を探るように、真っ直ぐ俺の目を覗き込んだ。まるで、そうしていれば、相手が屈服する。自分に都合の良い展開が訪れる。そう信じて疑わないような、驕慢な視線だった。脇のリードもだらけているが、隙を感じない。三秒後に殴り合いになったとしても、有利は取れないであろう気構えを汲み取った。  やがてユリウォは、不服そうな表情を引っ込めて、フッと息を漏らした。 「アビコ・アヤセ……だろ?  知ってるよ。俺が面倒見てる学生クランは、ここのところ、お前が生意気だっていう話題で持ち切りだからな」 「学生クラン?アンタ、そんなのやってたのか」 「やむなくな」  会ったのは今日が初めてだが、ユリウォ・グラスハイムの名前とアカデミーぐらいは知っている。  アンディシュダールを東西に分けるリベス川の近く。ブルーウィンより品等の高い、コルザアカデミーの最終学年、そのトップ。  とは言っても、トップなのは、もちろん魔法の成績などではない。  忌み嫌われる黒髪と不遜な態度。腕力と統率力で、街の不良少年のカリスマとなった男だ。どこぞの誰を叩きのめしたなんて話は、武勇伝のオマケみたいなもので、先物で店を建てるほど稼いだとか、議会が噛んでいる地下パーティーのスポンサーだとか、とにかくグレーゾーンで名前を売っている奴だ。  二人の背後、街灯の下で鈍い光を跳ね返す、ゴールドロッド社の魔導二輪。あれがユリウォの愛車か。見た目こそ品行方正といったナリをしているが、地を伝うような排気音は、まだ耳に残っている。どんな改造を加えたのだろう。  ユリウォは俺の視線を目聡く捉えて、薄く笑った。玩具を自慢する魔導学生のトップ。 「なんだ。もの欲しそうな顔もするんだな。お前も『バイク』に乗るのか?」 「バイク?」 「魔導二輪の事だ。他の大陸じゃそういう呼び名らしい。動力は魔力じゃなくて別のモンみたいだが」  バイク……。どういう文字を書くのか……。わからないが、なんだかしっくりくるような気がした。ユリウォがあえてそう呼んでいるのも、同じ理由なのだろう。 『おい、何かあったのか?』  傍らのマナギミックから通信が入る。定時連絡は遅れていないが、話し声が漏れてしまったようだ。俺は集音のメモリを少し弄ってから返事をした。 「通行人が迷い込んだ。直ぐに追い返す。その他は異状なし」 「おい、コゾー」 「よせ」  ユリウォが短く告げて静止を促すと、リードの奴はすんなり引き下がった。相変わらず起伏のない表情で、苛つかせたのか、そうでないのか、よく分からない。 「ここに来たのはただの確認だ。遊びに出たついでのな。  近頃騒がれてる奴が、ジキタリスに出入りしているかもしれない。ただのスカウトか、何かの儲け話しか。もし、大きな動きの前触れだとしたら、ギルド及び、傘下クランの勢力図はどうなるのか。そういうパワーバランスを気にする奴も多い」  くだらない、とは思うけれど、口は挟まなかった。ユリウォ自身がそういった凡庸な考えを持つ人物ではない事がなんとなく分かったから。俺がガルシアの下だのなんだの言い出す事で、出会い頭のカマを掛けている。見た目と噂通りの抜け目の無さだ。 「今は信用してやる。女連れで灰色クランの見張りなんて、協調性が無いか、天然ボケのどっちかだ」  ……すっかり忘れていた。  傍らに目をやると、トレニアはいつの間にか、空き地の背の低い柵を盾にして、青白い顔を浮かべている。その視線は所在無し、というように、ユリウォ達と俺の間で彷徨っていた。いったい何に対してビビっているのか、本当に分からない。コイツがその気になれば、無傷で街の極道ギルドを、全て更地に出来るだろうに。 「カノジョ?」  冷やかしでも茶化すでもないリードの質問に対し、俺達は声を揃えた。 「違う」 「違います」  ……かに思えた。 「でも、身体の方はカノジョです。そっちは大好きなんです」  この場がこんな形で凍りつくとは思わなかった。テンパって意味不明な事を言い出したトレニアは、相変わらずぎこちない顔付きで、今度は口を半開きにしたまま、小刻みに震え出した。  野良猫がゴミ袋を漁る音と、調子っぱずれな呼び込みの声が、かろうじて間を埋めた。張り詰めていた空気が抜けていくの肌で感じ取る。 「……こんな真面目そうなコに、スゲエ事言わせるな。お前」 「ヤベえ奴かも」  街でもコルザでも影響力のありそうな奴らに、妙な誤解をされたまま、というのは良くない。こいつらみたいな不良は、まともな女子には手を出さない。  正直、俺は先程まで、突如現れた他校の不良に、ナメられないようスカしていた。見栄というより、そういう態度を取るのが、マナーみたいなところもある。  今は暑くもないのに嫌な汗をかいていた。引きつった笑いに、無理やり余裕を滲ませる。 「コイツはちょっと変わってるんだ。気にしないでくれ」  返事はない。息苦しい沈黙が、また路地裏を支配した。  やがて、ユリウォが無言で踵を返すと、リードの奴も「シラケた」と呟いて、停めてある『バイク』へと向かっていった。二人乗りの後ろ姿を見送ると、低い轟音の余韻も、月明かりの夜に溶けた。  俺は魔導二輪……バイクに乗り始めたばかりで、やってみたい改造に手が出せるほど金も無い。でも、ユリウォのバイクは良い低音を鳴らしていた。どんなパーツでどういう改造をしたのか、いっそ訊いてみればよかった。  アジトの裏口に見張りを置くのは、構造上の理由からだと聞いている。  正面入口のある表通りは、王国祭などで出店を並べる程度には広いが、一本裏に入れば、たちまち黴臭い日陰になる。空き巣やひったくりの被害があるとトレニアに言ったのは、別に嘘というわけではない。野良猫とカラスのバトルも、特等席で観戦できる。  ジキタリスがもっとまともな場所にアジトを構えるのは、いつになるのか。雑用扱いでも、俺が関係している内に、クランとしてのグレードを上げてくれればいいのだが。  ユリウォ達が去ってから数分。唐突に裏口の扉を開けたのは、組織の幹部。俺を気まぐれのように拾ったガルシア・リタンだった。 「おう。……今日はお前だったか。黒いの」 「……どうも。オツカレサマ、です」  ガルシアは胸のポケットから煙草を取り出すと、片手で器用に石を擦って火を着けた。声を掛けたくせに、こちらを見ない。紫煙を向いの低い屋根に向けて吐き出す。 「知り合いでも来てたのか?」  俺は素直に起きた事を話した。 「いや、今日初めて会った奴ですけど……。ちょっと絡まれただけっす」  ガルシアは一応聞いたという風情で、興味無さそうに続けた。 「今度から報告する時に風体と特徴も加えとけ。なんかやらかして逃げたら、追わなきゃなんねーからよ」 「はあ。ワカリマシタ」 「で、どんな奴?」 「コルザアカデミーのユリウォって奴。知ってます?俺ら学生の間じゃ、わりと有名みたいなんですけど」  ガルシアは少し眉根を寄せて、思い出すような仕草をした。が、すぐにやめてしまった。 「名前は聞いた事ある気がする。  けど、最近は悪知恵でこっちの稼業に出張ってくるガキも増えたからな。プロがそういう小僧をいちいち相手にしてたら笑いモンだ。よっぽど調子に乗ってたら釘刺すけどよ」  それもそうだ。ユリウォ達がどれ程の規模の学生クランを纏めているのかは知らないが、本職に目を付けられるような真似はしないだろう。それ故に、ガキの方は、クラン同士の動向や勢力図を気にしているのだろうけど。 「それより、コルザアカデミーだっけ。あそこは魔法学校ってやつだろう。そこの奴と知り合いなのか?」 「さっきも言ったけど、会ったのは今日が初めてっすよ。俺も一応ブルーウィンの学生なんで。その辺コミで絡まれたというか……。いや、わかんないスけど」  すると、ガルシアは怪訝そうに俺を見た。厳つい人相と悪態は、グレークランの幹部だが、口調は比較的温和だ。 「……黒いの。そしたらお前。もしかして魔法使える?」  質問の内容も唐突だったので、思わず反応が遅れた。いきなりなんだ。 「あんまり。確かに習っちゃいるけど、成績悪いんで」 「でも、その辺の奴よりは魔法に詳しいんじゃないのか?」  俺はトレニアの方を伺った。相変わらず固まっていて、碧い瞳を自分の絡めた指先に向けている。必死にガルシアと目を合わせないようにしているのだろう。 「俺はともかく……。コイツは結構、魔法出来る」 「ほう」  ガルシアは煙草を立ち灰皿に押し込むと、感心したようにトレニアに視線を送った。が、小刻みに震えるトレニアを見て、すぐに訝しむ。 「……いいとこのお嬢さんって感じだが?」 「ある程度、金持ちじゃないと、魔法学校に入学出来ないっすから」 「お前もそうなの?」  事実を言っただけだが、軽くやぶ蛇になった。 「……昔は」 「ふうん……。  まあいい。ちょっと二人供、中入れ」  ガルシアはそれだけ言って、勝手にアジトの中に戻っていった。慌てて背中に声を掛ける。 「代わりの見張りは?」 「いいよ別に。  元々、俺は見張りなんて必要ないと思ってたし」 「な……」  思わず出かけた文句を、なんとか飲み込んだ。  ここ数日の見張りで、俺は小銭を受け取っている。要するに、組織は裏口に人を置いておきたいが、幹部であるところのガルシアとしては、別に見張りを置くような大事ではないと捉えているのか。  よく分からないが、来いと言わたのだから付いていけばいい。手摺に掛けた巾着を摘み上げて、ガルシアの後を追った。  ……が、敷居を跨ぐ前にトレニアに腕を掴まれた。 「アヤセくんアヤセくんっ!」 「何だ?お前も来いってよ。ほら」  トレニアは俺の腕にしがみついて、嫌々と首を振った。 「む、無理です無理です!なんで普通に入ろうとしてるんですか!今の人、どう見てもその筋の方ですよ!話が違います!呑み屋さんの裏口警備じゃなかったんですか!?」  ドッグレースのノミ屋。というシャレは駄目だろうか。流石に言わなかったが。 「別に筋モンじゃねえよ。極道ギルドより何歩も手前の、いわゆる灰色クランってやつ」 「同じですよ!学生の身分であのような方達と、付き合ってはいけません!」  全くもってその通り。だが、俺には金が要るのだから仕方がない。相手を選んで上手に世渡り出来るなら、不良魔導士なんかやってない。  それなりの覚悟はしているつもりだ。人を遠ざけ、暴力も辞さない、世の中が気に食わないものだと決めつけて、粋がった十代を送っているのだから。 「もう理事長ごっこはいい。せっかく来たんだから付き合え。俺がバイトだって知ってて、こんな時分にのこのこ来たお前も悪い」  腕を引き剥がすと、トレニアは泣きそうなツラで俯いてしまった。  季節の変わらない静かな夜が、無言のまま更けてゆく。夜食を包んだ巾着の紐が、その軽さを指に伝えていた。  ……少し、言い過ぎただろうか。 「だいたい、お前の魔法があるんだから何も……」 「うう……。顔を覚えられたから逃げても無駄……。という事ですね……。風体がスミちゃんのものでなければ、私だってとっくに逃げてますよ……」 「……」  俯いたまま唇を尖らせて、ぼそぼそと呟く。あろうことか、さっきの俺とガルシアのやり取りを、大真面目に受け止めたらしい。張ってもない気が更に抜けていく。 「いや、ほんと。大丈夫だから……。心配すんな。  何も起きないし、何かあっても責任取ってやるから」  俺は辛抱強く返事を待った。十秒は待った。  そうしてやっと、トレニアは顔を上げる。 「そういうの……」 「……なんだよ」 「たまにはスミちゃんにも言ってあげて下さい」  まるで意味が分からなかったので、返事はしなかった。  新鋭の灰色クラン、ジキタリスのアジト内部……とは言っても別段珍しい造りをしているわけでもない。元々は小規模の風俗店だから、元厨房の台所以外は、広くも狭くもないし、賃貸価格もそれに応じた額。という話だ。  フロアの西側に横長のテーブルを二つ並べていて、リーダーのレイアース・マクハイトが座る装飾の付いた椅子が上座。側面に幹部用の椅子が数脚。地べたに敷かれた趣味の悪い敷物は、他の平メンバーが適当に座るスペースになっている。俺が出入りするのは基本的に夕方だったので、これだけメンバーが詰めている状況を見るのは初めてだ。  壁際に見慣れない箱が積み上げられていたので、なんとなく中身を覗いてみると、大量の魔法紙おしぼりだった。ちなみに、これは通称であって、魔力は込められていない。  窓は東側に大きく取ってあるが、立地が悪く、あまり陽は差さない。初めの頃は、もっと殺伐としていて、酒と煙草、あるいは火薬の匂いでも充満しているかと思ったが、それは陳腐な想像だった。むしろ、家具や置物の少ないシンプルな間取りで、堅気を招いても差し支えはないだろう。  俺とトレニアがフロアに入室しても、ジキタリスのメンバー達は一瞥くれただけで、思い思いにすごしている。酒をやりながら新聞を広げている者、輪を作ってカードに興じている者、普通に雑魚寝している奴もいた。どこもかしこも緊張感は皆無。見張りを置いた意味はどこにあったというのか。 「あー!できねえ!いや違う!わっかんねえ!  なんの反応も出やしねえじゃねえか!これの通りにやってんのによぉ!」  誕生日席で声を上げたのは、クランの長、レイアースだ。アウトローのモデルのような服装と、短く逆立てた白髪。野生味鋭く血走った三白眼。回りを数人のメンバーが囲んで、なにやら意見と提案を交わしている。テーブルの上には、古くさい教本と朱色の怪しい鉱石が乗っていた。 「ボス。やっぱこの『まてぃえーる』ってのが合ってないんじゃないですかい?さっきまで熱持ってたのに冷えちまってるし……」 「いや、それは店でオススメの札が付いてたから間違いねえよ」 「そしたらやっぱ詠唱ですよボス!俺が前に見た魔導師は、なんかそれっぽい呪文をぶつくさ言ってましたもん!」 「うぬぬ……」  部下の言葉が届いているのかいないのか、レイアースは腕組みしたまま獣のように唸っている。以前、遠目で一度だけ見た事があるが、その時の印象とだいぶ違う。もっと暴力的というか、それでいて隙のない悪党だと思っていたのだが……。 「とっとと諦めろレイ。時間と金の無駄だ。俺らみたいなモンに魔法が使えるわけねえだろ」  呆れた様子でそう吐き捨てたのは、長テーブルの上で胡座をかいたガルシアだ。空になった葡萄酒の瓶を、独楽のように回して遊んでいる。  それを受けたレイアースは、身内にも躊躇う事なく凄んだ。 「ガルよぉ……。できねえって思っちまったら、魔法は使えないんだ」 「誰がそんな……」 「これに書いてある。ほら、最後のページだ」  教本を開いて見せられたガルシアは、またため息を付いて首を振った。  そこでようやく、入り口に突っ立っていた俺達と目が合った。取り巻きの訝しげな視線を一斉に受けて、正直なところ、俺もかなり戸惑った。  たった数秒だが、凍りつくような間……。体裁を取り戻したレイアースが、低い声で訊ねる。 「誰だ。このガキ」 「俺がこの間拾ったガクセーだよ。ブルーウィンの坊っちゃんだってさ。  黒いの、ちょっと言ってやってくれ。アホに魔法は無理だって」  冷ややかだった視線が、好奇なものに変わる。俺は成績最低の落ちこぼれだが、魔法学校の学生というだけで、そういう目で見られる事も少なくない。 「ブルーウィン、つーと……」 「この国で一番古い魔法学校だよ。伝説の魔女が建てたっていう逸話のある……」 「へえ……。そりゃあ、おもしれえ。縁……ってヤツを感じねえか。なあ?」 「そうか?まあ、こじつけたいのは分かるが……」  ガルシアの軽口はお咎め無しで流された。序列は有るのだろうけど、クランのトップとはそういう間柄らしい。 「あーっと……。どういう状況すか?」  俺の質問には答えず、レイアースは頷きだけを返した。 「……まあ、座れ。そっちの嬢ちゃんも。  おい、飲みモン出してやれ」  座れと言われたので、近くにあった丸椅子を二つ取る。トレニアは硬直していたので、俺が両肩を掴んで座らせた。デカい長テーブルだから、正面では会話をするのに遠い。レイアースとは自然と斜向かいになった。夜の街で散々イキり散らしていそうな強面の若衆が「オレンジジュースでいいか?」と俺達に確認した。  教本を閉じて、レイアースがこちらを向く。こうして対峙してみると、やはりそれなりの迫力というか、雰囲気がある。だからといってびびったりしないが……。 「このクラン、ジキタリスのトップをやってる、レイアース·マクハイトだ」 「……アヤセ·アビコです」 「なな、なっつすみれ·ふぉん·りぃんべるとっです!ごめんなさい!」  レイアースは、いくぶん落ち着きを取り戻したようだ。「まあ、楽にしろ」と薄く笑って、泡の抜けていそうなエールを呷る。 「腹は減ってないか?そのへんにあるモンも適当につまめや」  そう言って、木製のボウルにグラスを向ける。酒のつまみのような乾きものが何種類か盛ってあったが、どうにも手を出す気にならない。差し入れもあるし、丁重にお断りした。  この場の雰囲気から読み取れたのは、大事な会議も取引も行われていないということ。現在のジキタリスは、街の噂に反して、大きなヤマもシノギも無さそうだ。トレニアだけが、ただただ無意味に緊張している。  数人の取り巻きが壁まで離れるのを待ってから、レイアースが切り出した。 「来年の話ではあるが……。 『オーロフの揺り篭』を移葬する、王国祭があるだろう」 「ええ、そうですね」  大陸を挙げて行われる王国祭は、年に一度、実の月第二週に始まる。  平和調停を結んだダリアとエギザカムの両国間で、記念式典やパレードが、七日間に渡って盛大に行われるのだ。ダリアの首都アンディシュダールでは、道路を全面封鎖して、出店や催しもので溢れ返り、人々は平和への感謝を捧げる。  来年は更に大規模なものになるだろう。というのも、『オーロフの揺り篭』をエギザカムの首都ペルシャンへ移す、百年に一度のメモリアルイヤーだからだ。  この『オーロフの揺り篭』とは何かと言うと……。 「おおお、おうこくさい!大変っ!喜ばしいことででですっ!」 「お、おう。……そうだな」  大陸の戦争を終結させた最大の功績者、伝説の魔女トレニアの遺骨を納めた棺なのだ。これは百年ごとに両国間で移葬され、平和の象徴として、厳重丁重に保管される。俺のすぐ隣でおかしな事になっているコイツの遺骨が。 「王国祭の時期を見越して、ウチの本家、フォックスグローブでもデカいヤマを張ろうと考えている。まあ、当然だな。  その為の定例会議……。と言っても、王国祭まで何ヵ月もあるから、今回は内容的に前期の打ち上げの話題になるだろう。それが来週行われるんだが……。本家の会長がその日、七十才の誕生日を迎える。  それで、大小関わらず、直系のギルドやクランは、出物や催しを考えている」 「出物や催し、ですか」 「そうだ。そこで俺は……」 「他の組じゃまずやらんような『魔法』を使って、一つ目立ってやろうなんて思っちまったわけさ。ウチのボスは」  ガルシアは新たな葡萄酒を開けてグラスに注いだ。薄紫の液体を大きく淵まで揺らしてから一気に飲む。飲み方とは逆に、品のある果実の香りが、長テーブルに広がった。  なるほど。思った以上に馬鹿馬鹿しい状況が理解できた。  長としてクランを売り込もうとしているレイアースと、それに付き合わされているガルシア以下部下達。魔法を習得したくて魔導書とマティエールを用意してみたが、難航していると。 「こんなネタ、心配しなくてもパクられたりしねーよ。  魔法を使いたいけど出来ない、なんてザマを他の組に知られたくないから、戒厳令まて敷く始末だ」  俺がこのところ、裏口の見張りをやっていた理由はそれか。確かに、正規のメンバーに振る仕事ではない。 「そうは言ってもよぉ、ガル。俺らは面子が第一だろう?上はともかく、横並びのクランにナメられたら仕舞いじゃねえか」 「……とまあ、そんなワケだ。  悪いけどコイツの気が済むまで付き合ってやってくんねえか?  俺達はみんな、育ちの悪い出来損ないだからよ。魔法なんて学ぶ機会は、これっぽっちも無かったんだ。何かアドバイスできねえかと思ったわけ」 「アドバイス……ですか」  そう言われて、俺はテーブルの上にある教本と、マティエールに定めたらしい朱色の鉱石を手に取った。  斜め読みしてみた教本の方は、俺が机に入れっぱなしにしているテキストと比べて、記されている内容が明らかに古い。魔法の研究がそれほど進んでいない、何代も前に出版されたものだろう。指南書としては、いい加減で感覚的なことばかり書いてある。おそらく、これに金銭価値があったのは、古くて一般には出回らない代物からだ。魔法学校のテキストは、基本的に街で売られるようなことはない。素人や小さな子供が扱うと危険だから。  鉱石の方は、きちんと火竜格の刻印が刻んであり、探知が下手な俺でも高い魔力を感じ取れる。しかし……。 「これを使って、どういった魔法を使おうと?」  俺の質問に、レイアースはふんぞり返って答えた。 「そりゃあお前、アレだよ。火花を散らしてバチバチー!ってド派手に音と光を出すヤツだ。  前にそれで文字を浮かべる芸人を観てな。あれを祝いの席でやれたら、会長は大喜びするんじゃないかってよ。珍しいのと派手なのが大好きなんだ」  間違いなく高等魔法だ。出そうになったため息をなんとか飲み込む。  属性魔法を具現させるには、ウチのアカデミーでも才能のある奴が三年掛けて出来るか出来ないかというレベル。それも、危険の無い程度に威力を抑えた上で、派手に見せなくてはならない。魔力のコントロールと柔軟性と創造性。大気中のマナも、それに見合った質が求められる。レイアースが言うその芸人も、どこかの学校を卒業して、相当な修行を積んだはずだ。 「正直、その魔法は条件が揃っても難しいですね。マナを取り込む訓練を受けた上で、最低でも二·三年は訓練しないと……」 「何だって!?二年も訓練してたら、会長は間違いなく死んでるじゃねえか!」 「レイ……。滅多なことは口にするなよ?  今の、他の組の奴が聞いてたら、このジキタリスが潰れてるぞ」 「なんてこった……。半月も無駄にしちまったのか……。他のネタを仕込むにも、もう時間が……」  レイアースはみるみる渋面になり、取り巻きの若衆もそれに合わせて狼狽えだした。荒くれ者が集う灰色クラン。トップがヘソを曲げて暴れ出したりしたら、色々と面倒な事になる。  考えようによっては、俺がジキタリスのトップに顔と名前を売るチャンスだった。どうにかして魔法を習得させ、レイアースが会長とやらの機嫌を取る事が出来れば、別のシノギにありつけるのでないだろうか。火文字の魔法は無理でも、何か手はないかと思い、隣のトレニアを伺う。 「よう、何とかなんねえの?お前ならなんか上手いこと使えるように出来るんじゃねえのか?」 「どうだろう。トレちゃんでも、心得の無かった人に、属性魔法を一朝一夕で習得させるのは、難しいんじゃないかな」 「……そりゃそうか。そもそも、この大将に炎の属性魔法の基盤が無いと、絶対的に無理だし」 「そうだね。火文字の魔法は諦めてもらうしか……」  俺でも知っている基礎的な話だ。ただ魔法を使う、魔法具を使用するだけでも、最低限の洗礼を受ける必要がある。それは、魔法が学べる学校や特殊な機関でないと、違法かつ紛いものの魔法になってしまう。  さて、どうしたものか。  ガルシアは思い付きで俺達をアジト招いたようだが、不可能という現実を突き付ける結果になってしまった。魔法に関する事なら役に立てるかもと思ったが、成績不良の落ちこぼれに術は無い。こんな事なら真面目に勉強しておけば良かった……などと反省する俺でもない。  出されたオレンジジュースを一口つける。酸味が強く、濃度の高さを感じさせる。これは良いやつだ。その辺で売っているものより、明らかに高級品だ。 「ぶほっ!」  それを盛大に吹き出した。 「……大丈夫か?」  呆れた様子のガルシアに、俺は目の前で手刀を作る。 「す、すいません。今、拭きます……」  すると、素早く横からハンカチが差し出された。 「あ……。これ、使って……」 「……悪い。洗って返す」  不思議なもので、入れ替わりを察知すると、雰囲気がまるで違うのが分かる。花柄のハンカチを受けとると、髪の色と同じ薄紫の入った銀の瞳が、静かに微笑んだ。  諦めの悪いレイアースが、他の教本を街で探せと部下に命じ、それを「いい加減にしやがれ!」と堪忍袋の尾を切ったガルシアが掴み掛かる。聞くに耐えない罵詈雑言と、加減を疑う拳が交わされる中、ジキタリスのアジト内部は、部下達の囃し立てもあり、大いに盛り上がった。  酒が回され、どちらが勝つかの賭けも始まっている。そのあまりの手際の良さに、束の間のゲストであった俺達は、呆気に取られていた。幹部とトップの小競り合いを越えた喧嘩。これが日常茶飯事である事が、容易に想像できた。  乱痴気騒ぎの輪を外れて、壁際に避難する。そこで俺はナツスミレの横顔を盗み見ていた。  驚き、戸惑ってはいるが、それ以上に珍しいものを見ているという目だ。魔導の良家のお嬢様には、刺激が強過ぎるのではないか。 「お前、いつの間に代わってたんだよ……」  口元を両手で隠したまま、ナツスミレはこちらを向いて答えた。 「ごめんね。トレちゃんが可哀想になっちゃって……。  ちょっと前に私も眠りから覚めてたから、タイミング図ってたの」  無敵の絶対魔法がある癖にバックレか。伝説の魔女が聞いて呆れる。 「どうすんだこれ。今夜の俺の稼ぎは大丈夫なのか?」 「アヤセくん、凄い所でバイトしてたんだね。驚いちゃった」 『凄い所』で済ませるのはどうなんだ?やはり、このシャバ子もどこかズレている。 「でも、こんな調子じゃ、このバイトも続くかわかんねえな。  クランに出入り出来れば、金策にありつけるかも、と思ったけどよ……。話題の新鋭って評判だったのに、リーダーがアレだからな」  レイアースは今、肩関節を極められて、苦悶の表情を浮かべている。あれは抜けられない、と思った矢先、内股の足払いから器用に背負い投げを繰り出した。派手に投げ飛ばされたガルシアもまた、空中で前後不覚のはずの状態から、絶妙のタイミングで受け身を取る。野太い歓声と拍手が両者に贈られ、大勢はまた五分に戻った。 「金策かぁ……。  アヤセくんは、早くお金を稼げるようになりたいんだね……」  魔法の習得などとっとと諦めて、故郷に帰りたい。俺の希望はそれだけだ。ナツスミレもそれを知っている。  それについての感想は知らない。言うのを躊躇っているのは……知っている。 「……一人でも生きていけるようになりたいだけだ」 「……そっか」  夜分、街の片隅にある灰色クランのアジト。大騒ぎのそのまた片隅。見知らぬ大陸に来て、独りを決め込んでいた俺に、ナツスミレは何故か寄ってきた。ある日突然、伝説の魔女を介して。  透過の魔法をこの目で見たあの日から、俺も少しは口を開くようになった。  このシャバ子は、たまにこうして隣にいる。アイツと違って余計な無駄口が少ないのは、まあ悪くない。邪険に出来ない自分を情けなくも思うが、仕方がない気もする。 「魔法って……別に、無くても生きていけるもんね」  背中を預けた壁が妙に暖かい。俺も完全に気が抜けた。 「人に依るだろ。俺やコイツらみたいな落ちこぼれには必要ない」 「そんな風に言わないで」  仕方がない気もする。コイツの控えめな笑顔は面倒くさいから。 「無くても生きていける。  けど、あればきっと楽しめるよ」 「楽しいだぁ?学校で習うもんが、楽しいわけあるかよ」  本心で吐き捨てた言葉も、ナツスミレには毒にならない。こいつの厄介なところだ。 「魔法はもう、戦争で使われるような兵器じゃないんだよ。正しく抑えられた力なら、行使する事で、暮らしは豊かになる。覚えたいという人がいるなら、学ぶ機会を示したい。  私、実感したの。戦争の時代を体感した友達が、そう言ったから」  ナツスミレはゆっくり立ち上がって、制服のスカートの裾を払った。そのまま乱闘の中心に向かって歩を進める。  俺はその言葉に危うさを感じていた。漠然としていて、上手く表せないが、確かにそう思ったのだ。  貴族が抱きがちな博愛心理か。擦れていない心が魅せる甘さか。……実感という単語を採択したのは何故だ。  その時。 「喰らえやオラァァァ!!」 「ぐはぁっ!!」  丸太のような足から繰り出されるガルシアのミドルが、レイアースの横っ腹に入った。吹っ飛んだ衝撃で傍らの椅子が大きく跳ねる。片足を折ったそれが、ナツスミレがいる方向に飛んでいった。  一瞬の出来事。俺は立ち竦むナツスミレの腕を、とっさに掴んで引いた。  ……つもりだった。  壊れた椅子は、床で転がるように跳ねてから、剥き出しの石壁に激突した。片方の足も、そこで折れている。 「……おい。今の、あの娘に当たんなかったか?」 「いや?大丈夫だろ」  二人のバトルから目を切った若衆が、そんなやり取りをしていた。件の魔法を実際に見た者でなければ、何事も無かったように映っただろう。  飛んできた椅子は、ナツスミレの肩口をすり抜けている。その身体に傷一つ付ける事なく。俺の右手には、腕を掴んだ感触はあっても、引いた感触は残っていない。当たれば傷を負う飛んできた椅子も、他人の手で強く引っ張る事も、透過の絶対魔法·トランスパレントにとっては、同じ『危害』だった。  ほんの数秒。俺達の視線は、すり抜けた腕で交わっていた。 「アヤセくん……。ありがとう……」  見送った小さな背中は、濃密な魔力の膜で揺らいでいた。視認を可能にさせるほど、色濃い透明の波。馬鹿騒ぎが続くフロアで、そこだけが深森の湖のように静かだった。 ―虚勢恬淡。明鏡止水の方が通じるか?究極とはかく、静かなもの……―  ジジイがそんな事を言っていた気がする。何も通さない。何にも影響されない。アビコ家が追い求めた『魔法』の真髄を、俺は目の当たりにしている。 「あ、あのっ!!いったん、止めて貰えますか!?私たちが代案をまとめましたので!!」  レイアースとガルシア、二人の視界にナツスミレが割り込み、注目を引き受ける。どちらともなく、構えた腕を下げると、さすがに大騒ぎは収まった。  ナツスミレは、肩で息をしているレイアースに、恐る恐る近付いた。そして、今のバトルで出来たばかりであろう腕の擦り傷に、両手で魔力を充て始めた。 「あのですね!私、少しだけ治癒魔法が使えるんですけど……」  目を凝らしてやっと見える、ぼんやりとした発光。裂傷していた部分の赤みが、少しずつ、ジリジリと、引いていった。 『おおおおー!!』 『魔法だ!!』 『これ、どんな感じなんですか?ボス!』  たちまち、レイアースとナツスミレを囲んだ輪ができた。街医者でもお目にかかれない、正規の指導を受けた治癒魔法が珍しいのだろう。ギルドのメンバーは口々に歓声を上げ、さっきまでとはまた違った形での盛況を見せていた。 「あんな小さな嬢ちゃんが……。大したもんだな……。  お前もアレ出来んの?」  輪を外れていたガルシアが俺に訊いた。 「まあ……。  魔法の才が『みなし』レベルとして扱われる衛士科でも、治癒系統は必ず最初に履修します」 「ほう……」  もっとも、実践的に使えるかどうかは別だ。俺は最低レベルの評価だった。 「あのアホに付けられた打ち身とかも治る?」  ガルシアは俺の眼前に右腕を差し出した。見事な青アザになっている。 「たぶん。  やってみます?俺はあんま得意じゃないっすけど」 「……いや、いいや。俺もあの子がいい。治してくれんなら」  この……。  場の注目と称賛を集めたナツスミレが、説明を続けている。 「この初歩的な治癒魔法は、植物に効きやすいという特徴があります。人間の傷を癒すのは、別の段階になってしまうので……。私たちはまず、枯れたしまった花や、栄養不足で萎れた葉っぱなどで練習をします」 「嬢ちゃん、それは誰でも出来んのか?また洗礼だとか心得ってもんが必要になるんじゃねえのか?」  傷の残った強面で身を乗り出すレイアースに、ナツスミレは半歩引いた。それでも苦笑いで返す。 「基礎の基礎ですので……。きちんと訓練した上での植物相手なら、殆どの人が効果を出せます。また、対象のマティエールにレイアースさんの魔力を馴染ませて置けば、上手くいく確率も上がると思います。洗礼も、それで簡易なものとして済ませば良いでしょう」 「つまり?」 「枯れた花をいくつか用意しておいて、その場で花束に変える魔法……なんてどうかと……。もう少し上のレベルを目指すなら、鉢植えの芽を花に変える案も……。  会長さんのお祝いに渡すお花を、魔法で演出してみては?……なんて思ったのですが」 『おお……』という、感嘆を含ませたどよめきが上がった。  なかなかどうして、俺も悪くない画だと思った。それをやるのが、筋モン手前の輩みたいな連中である事を差し引いても。 「私、魔法を扱う園芸部なんで、それに見合う草花の用意もできるかと……」 「そうかそうか!  嬢ちゃん!是非、その方向で俺に魔法を教えてくれ!」 「は、はい。僭越ながら……。  夜は無理ですけど、放課後に少しでしたら……」 「よっし!決まりだ!」  レイアースは威勢よく声を上げると、ひび割れたテーブルの下から大きな樽酒を取り出した。それを中央にドンと置く。 「おうお前ら!今日からこちらの……。何だっけ?」 「……ナツスミレ、です」 「ナツスミレ嬢ちゃんは、このジキタリスの『特別魔法係監修』様だ!丁重に扱え!わかったな!?わかったら飲むぞ!!」  『イエー!』だの『ヒャッホー!』だの、勝鬨のような歓声が上がる。メンバーたちはグラスで樽酒を掬い、そのまま宴会に突入してしまった。 「あの……くれぐれも、家や学校には内密で……」  その声が聞こえているのかいないのか。何の役にも立たなかった俺を差し置いて、妙な役職を与えられたナツスミレは、それでもどこか楽しそうに笑っていた。  本格的な酒盛りが始まってしまうと、俺たちも居心地が良くなかったので、折を見てアジトを出た。アンディシュダールの繁華街は、呼び込みも引っ込んで、先程より一層、静まり返っている。深夜営業の許可を取っていない店はとっくに看板を仕舞っていて、石畳のメインストリートはその分、横に開けていた。  ナツスミレの家の場所を訊くと、ブルーウィンアカデミーとは反対側の東地区、港に向かう通り沿いだと言う。俺は北部工業地帯の外れ。となると、街を十字に切る議事堂前の交差点まで一緒らしい。ちなみに、魔導二輪……バイクで街まで降りて来ないのは、目を離した隙に悪戯されるのが嫌だから。  貰った差し入れを食べるのを忘れていたので、歩きながら食べた。四色も使った野菜と燻製サラミが挟まれたサンドウィッチだ。生地は冷えて少し固かったけど、仕事開けの空腹によく効いた。 「美味いなこれ。お前も一つ食えよ」  ナツスミレは何故かキョトンとしていて、一拍置いてから首をぶんぶんと振った。歩きながらは行儀が悪いか。それとも、夜中には食べないのか。  夜間用のシグナルを二つ渡って、歓楽街を抜ける。 「なんていうか……愉快な人たちだったね。ちょっと怖かったけど」  ちょうど食べ終わった頃。後ろに二・三歩分の距離を空けたナツスミレが、そんな感想を漏らした。 「普通なら『ちょっと怖かった』じゃ済まないぞ」 「あ。……そう、だよね」  光量を絞られた街灯の下、二つの影が不規則に変化して、時々左右で重なる。俺は続く話題に困りながら、足元を見て歩いていた。 「私、こんな時間に出歩くこと無かったから。なんかふわふわしてるかも」 「どっかの魔女のせいだ」 「ふふ」  含み笑いのシャバ娘。皮肉を拾って、どっかの魔女のおかげ。とか言い出しそうだ。 「でなきゃ酒に当てられたか」 「……どういう意味?」 「ふわふわしてんだろ?」  返事はない。振り返ると、ナツスミレが口元を隠してまだ笑っていた。 「アヤセくんが『ふわふわ』って言った……。なんか……」 「テメー。こっから一人で帰るか?」 「ご、ごめん!今のはふざけちゃった。ナシで……」  聴こえるように舌打ちしてから、また歩き出す。高そうなヒールの足音もすぐに付いてきた。 「アヤセくんはお酒飲んだことあるの?」 「ねえ」 「そうなんだ。ヒノモトでは、お酒は何歳から飲んでもいいの?」 「二十歳だけど……。こっちは違うのか?」 「十八からだよ。アカデミーを卒業したら、飲んでもいい頃だね。私、実の月で早生まれだから……」  王国祭、平和調停の月か。そんなこじつけみたいな些細な偶然も、トレニアとの相性に繋がる因果なのだろうか。  いつの間にか、二・三歩分後ろに離れていた距離が、二・三人分横になっていた。俺の肩にも満たない、小さな頭と長い髪。  絶対魔法と魔女に関する事以外は、どこまでも普通の女だ。ちょっと良い家に産まれただけの、擦れてない真面目な学生。魔法の無い国から来た不良学生なんかとは、本来なら接点は無い。  確かに。最近は学校でも口を開くようになった。コイツが他の生徒の目を盗んでまで、屋上に来やがるから。  その結果、自分の評判を落としているのも、承知の上なのだろう。本人の気の済むようにすればいい。それはそう思う。  一方で、俺自身はそれを歓迎できないでいる。  違う国のまともな奴を、わざわざ巻き込みたくはない。あの魔法が無かったら、コイツだって、俺に近寄ろうとは思わなかっただろう。きっと、夜中に出歩いてふわふわ浮かれる事なんて無かった。  元はと言えば、俺が気を許したせいだ。無頼を気取っていた癖に、あの透過の小部屋に魅せられたから。 「アヤセくんは誕生日……」 「ナツスミレ」 「え」 「あまり……俺に構わない方がいいんじゃないか?」  俺は故郷に帰る為の資金が欲しい。その為に灰色クランに出入りした。きな臭いバイトを続けていれば、ガルシアやレイアースのようなアウトローになる可能性も高い。学校にだって、いつまで通うか分からない。 「今日の事は抜きにしても……。俺はこの先、あんな輩と付き合う事が増えると思う。それも、俺が自ら望んでの事だ。  お前はどう見てもこっち側じゃないだろう。面倒は見れないし、見られたくもない」  冷たい沈黙が俺たちの間にあった。前後から照らされる街灯が、重なった影をバラしていた。 「俺は東の果てみたいな所から来た外人で、お前は魔法に見初められたアンディシュダールの国民だ。思想も文化も根っこが違う。  俺はな。魔法なんかどうでもいいと思っているし、この国にも思い入れは無い。さっさと帰って、好き勝手に暮らしたいんだ」 「私……」 「トランスパレント……。  あの絶対魔法があるから、俺に絡んで夜の街に出たりしても、身の危険は無いと……。そう、思ってはいないか?」 「っ!」  ナツスミレは何かを言いかけて俯いた。初めて見る、陰の差した顔。覚えの無い痛みが、胸から腹へと通り過ぎた。ロクなモンじゃない。 「そういう問題じゃないんだ。いや、だからこそ巻き込みたくない。お前には危険が及ばないから、近くにいてもいい……。  そんな考え方は嫌なんだ」  俺にも思うところはある。それがどこまでナツスミレに伝わるだろうか。 「学校でツレとか、柄じゃないしな。不貞腐れて、やさぐれて、この国では金を稼ぐ事ばかり考えている。  お前が何を勘違いしたか知らないが、俺はお前が思っているような奴じゃない」  両足を泥の中に突っ込んだみたいだ。やけに重くて収まりが悪い。けれど、突っ立ってもいられない。棒立ちのナツスミレを置いて、俺は先に歩き出した。  そうだ。アレは謝らなくてはいけない。 「今日の事は悪かったよ。お前にじゃないけど、レイアースの大将の件で、魔法に関するアドバイスを欲しがったからな。  アレはその気があるなら、俺自身の案で何とかするべきだったんだ。だから、お前があんな所に出入りする必要は無いし……」  足音が聞こえない。ナツスミレはまだ立ち止まっているのか。危険はなくても、結果、あんな場所に連れてきてしまった責任はある。今夜の帰り道ぐらいは面倒見るつもりで……。  その時。俺は恐ろしいものを目の当たりにした。  無規則形式の立ち稽古で、ジジイの剣先を見失った時の十倍。いつかの屋上で桁外れの魔力を感知した時の二十倍。街での喧嘩の三十倍は恐怖した。 「勘違い……してない……。私……本気……なのに……」  ナツスミレは、ぽろぽろと大粒の滴を石畳に落としていた。 「でも……ごめんなさい……。調子に……乗ってた……。  アヤセ……くん……。話して……くれるから……」  グズグズと鼻を啜り、赤くなった目を何度も擦る。  ヤバい。どうしてこんな事になっているのか分からないが、とにかくヤバい。血の気が引いて、夜風の冷たさが増している。 「ごめん……なさい。泣いたら……ウザい……の」 「う、ウザくない!わかった!とりあえず落ち着け!な!?」 「うう……。ひっく……」  言っても効かなかった。夜の静寂にナツスミレのしゃくり上げが、一定のリズムで響く。ヤバい。だからヤバい。  そうだ。借りたハンカチは……。駄目だ。オレンジの濃度が高い。反対のポケットから、アジトを出る時になんとなく拝借した魔法紙おしぼりを取り出した。オブラートを破いて差し出す。 「ほら!これ使えって!」 「う、うう……」 「さっき言った事は忘れていい!あれは本気じゃない!なんとなく言ってみただけだ!わかったか!?」  反射的に出てきた言葉に、自分で驚いていた。俺は何を言った?  ナツスミレはこくこくと頷いてから、魔法紙おしぼりを目元に当てた。少しずつ泣き止んできたようだか、鼻の先がまだ赤い。 「ちょっと……。すーすーする……」 「そうか……」  もう一枚、目の前に出してやると、それも使った。鼻をかめと言ったが、それは嫌がった。 「あの……」 「なんだよ!?」 「……うん。  トレちゃんが、言いたい事が三つあるって……」 「はぁ?」  あの野郎。バックレた癖に、今のは聞いていやがったのか……。 「どうしても今伝えてって……。  私じゃないよ?トレちゃんが……」 「……なんだってんだ」 「朴念仁……。女の敵……」  どうにかして、アイツだけをぶん殴る手段はないのだろうか。 「ムッツリカッコつけ野郎……」  例の絶対魔法を破る。というのは、この泣き虫の目標だったか。そういえば。 「私は……。そんな風に思ってないよ……。トレちゃんが……」 「わかったわかった」  振り返って帰り道に戻る。  道が開けて真っ暗な海が見えていた。夜行船の淡い明滅が、光の帯を沖へと伸ばしている。  明日も学校があると思うと、とにかく憂鬱だ。
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