四話

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四話

 百リム乗せて大盛りにするか……。八十リム乗せてサラダを付けるか……。  配膳係のオバサンが、にこやかな笑顔の裏で『早く決めろ』と言っている気がする。確かに、何をどう食うか。それをとっとと決められない奴はみっともない。 「大盛で」 「はいよ」  百リム玉をトレイの食券に添えて、先の列に並んだ。直ぐに俺の注文したポークジンジャー定食大盛りが、湯気立てて目の前に置かれた。前に学園の食堂を利用したのがいつだったかも覚えていないが、その時の感想はよく覚えている。 (これで大盛り……?ちゃんと計ってんのか……?)  同じ失敗に首を傾げながら、窓際の席に腰を下ろした。高い陽射しが年輪模様のテーブルに写り込んで、仄かに熱を持っている。  席を一つ挟んで正面。前で麺を啜っていた生徒と目が合った。何故かソイツは食べるペースを急激に上げて、逃げるように席を立った。後ろの席でも椅子を引く音が続く。どこにいても、縁起の悪い扱いは変わらない。そんなこと、気にもしないけど。  メシは一人で食う方が気楽だ。誰かと一緒じゃないと箸が進まない、なんて人種が存在するのも知っているが、共感など到底出来ない。  備え付けの茹で野菜をソースに絡めて口に運ぶ。バラ肉も意外と厚みがあって、白米が進んだ。学園の食堂がまあまあ美味いのを知っていて、利用しなかったのは、安く簡単に済ませたかったからで、他意はない。今日はたまたま屋上に登るのが面倒だっただけだ。なんなら明日もここで食えばいい。日替わり定食を一周してみるのも一興だ。  ポークジンジャーの皿を半分消化したところ、味に変化が欲しくなったので、目に付いた胡椒瓶を取った。しかし、一振りしただけで出なくなってしまった。蓋を叩いてみても、無いものは出ない。仕方なく、後ろのテーブルから拝借しようと振り向いた時だ。  両手にトレイを持ったデカい生徒が、いつか遭遇した時と真逆の明るさを振り撒いていた。手の込んだ内巻きのロングのヘアスタイルと、静かな威圧感を放つ目元。なんとなく、おとぎ話のドラゴンを連想させる。ソイツは炎の代わりに軽口を吐いた。 「お?アヤセ。お前、食堂に来たりすんのな」 「……悪いかよ」 「いや、そんな事言ってねーじゃん。いちいち怖い顔すんなよ」  ラフィットの奴は何の断りもなく、斜向かいに座った。動作が自然過ぎて、疑問が生まれる隙も無い。そうして俺が口を開く前に、ホワイトシチューの鶏肉を掬って「今日の当番はデキる」などと嘯く。やがて、パンの端切れを詰め込んだ袋を、二枚目のトレイにドサドサと空けた。「何勝手に座ってんだよ」と言ってやってもいいのだが、俺も俺で切り口を変えていた。 「何それ。パンの端っこ、いくらするんだ?」 「知らねえの?十リムで好きなだけ袋詰め出来るんだぞ」  裏メニューかよ……。長い前髪を器用に避けて運ばれる、このホワイトシチューが、とんでもなく高コスパ食だったとは。  ラフィットは、普通に食べ合わせたら比率の合わないはずのシチューとパンの端切れを、バランス良く消化してゆく。慣れてやがる。残念ながら、誰がどこでメシを食おうが、ソイツの勝手。とりあえず、俺も食事を続けた。せっかく温められたメシを食っているし、昼休みは有限だ。  二人の皿が綺麗になって、ラフィットは隣の椅子に足を投げ出した。奴の行儀が悪いのもあるだろうが、これだけデカイと食堂のテーブルは窮屈なのだろう。俺も背は高い方だが、マナーは維持できる。  ここも昼休みの間は開放状態なので、食べ終わった奴も残ってダベっていたりするが、俺たちの周りはもう誰もいない。  俺は持ち込んだ魔導二輪のカタログを取り出して、さっき授業中に折り目を付けたページを開いた。空白部分には計算したバイト代と、ローンを組んだ場合の支払いが書き込まれている。とはいえ、今乗っているバイクを変えるは無い。こうして他のバイクやパーツを眺めるのが、単純に楽しいのだ。実際に走っても、想像しても面白いなんて、この国唯一にして最高のオモチャだ。 「それで、例の話。ちょっとは考えてくれた?」  こっちが食い終わって、雑誌を開いているのにお構いなし。ケンカをさせても、相席させても、ダメージに鈍い野郎だ。 「……何の話だ」 「え。だから……。俺と二人でこの学校シメようって計画」  ナプキンで口まわりを拭いて、グラスの水を一口。最近、飲む機会の増えた園芸部の紅茶でも頂こうかと思ったが、返却口の横、並びの列の長さを見て、その気は失せた。 「嫌だ」 「なんで?」  心底不思議そうに訊くから恐ろしい。 「なんで?じゃねーよ。  こんな魔法学校てアタマ張りたいのか?くだらねえし、恥ずかしい。やりたきゃこの間みたいに勝手に暴れてろ。けど、衛士科の棟には来んな」 「アヤセが衛士科で一番悪いし強いし名前売れてる。だから協力しろ。  俺は裏番って事でいいから。お前がトップ。この学園のケンカ最強」 「表とか裏とか、そうじゃねー。勝手にハナシ進めんな」 「ノリ悪いなー」  ラフィットは唇を尖らせて、テーブルに片肘を突いた。図体が災いしたはずみで、テーブルが足を折り、奴ごと放り出されれば痛快だが、残念ながらその絵は拝めなかった。  わけのわからない懐かれ方をしたもんだ。コイツが絡まれた屋上での七対一からこっち、校内で顔を合わせると、こうして軽口を叩かれる。放っておいても、放課後は、俺が(勝手に定めた)バイク置き場までやってくる。嫌な奴ではないが、何かの間違いでツルんでいると思われたら、それはそれで癪だ。 「いや、ほんと。学校シメるかどうかは置いといて。マジで頼むって。  アヤセはコルザのトップに顔通してあるんだろ?間に入ってくれたら、上手いこといくかもしれねえじゃん。そしたら、俺としても助かるわけよ」  どこの誰から何を聞いて、そんな勘違いしたのか。雑誌に目を落としたまま、一蹴する。 「だから、そんなの知らねーし。コルザの頭にも、ちょっと会ったってだけで、少しも仲良しじゃねーよ」  ラフィットの事情と目的はソレらしい。  実家の工房から、武器制作とそのノウハウを得ようとした、プライマリーからの、かつての悪友ミゲル・フォン・ディアブリード。ソイツが最近バックに付けたという、新栄気鋭の学生クラン『コルキス』。それを仕切っているのが、コルザアカデミーのトップで、ユリウォ・グラスハイムという、悪ガキ共の間で怖れられている有名人だ。このユリウォは確かにヤバそうな輩だが、件のミゲル本人は、ラフィットに言わせると、まだまだ三下レベルの小物。  ラフィットが退学寸前まで追い込まれた悶着は、急場を有耶無耶にしただけで、まだ解決に至ってない。ミゲルはコルキスに取り入ろうとして、ラフィットの工房と商会に、低次元のちょっかいを出した。それを止めさせるには、ユリウォを巻き込む必要がある。そういう目論見らしいのだが……。 「会って名前を覚えられたんだろ?それだけでも、かなり珍しい事らしいぜ。  ユリウォって奴は、相棒のリードを別として、取り巻き抜きでは殆ど人前に出ないんだ。アヤセがブルーウィンの顔役として打診すれば、脈アリなんだって」 「それで、お前の考えた学校規模の神輿に乗れってか?」 「……ミコシ?」  ラフィットの細く整った眉が、僅かに寄る。故郷の言い回しがついつい出るのは、言ってもウザいし聞いてもウザい。 「……いや、すまん。また一肌脱げってんだろ?めんどくせーから嫌だ」 「うーん。どうしたら、このネクラをその気にさせられるのか……」  ケンカ売ってんのか。ガチでやりあったらどうなるか。勝てる気は……あまりしないけど。 「お二人って、仲良かったんすか?」  不意に俺たちのテーブルに紙コップが二つ置かれた。嗅ぎ慣れた安い香りが辺りに漂う。見上げると、メッシュを散らかした白髪の、口元の緩いガキが、意外そうなツラで、俺とラフィットを交互に見比べていた。 「飲みます?砂糖もミルクも入れてないです」 「じゃあ貰う。悪いな」 「いえ。アヤセさん、食堂珍しいっすね。何食ったんすか?」 「ポークジンジャー」 「ふーん」  どうでもいいような事を訊いておいて、大したリアクションをするでもない。対面はラフィットの足があるから、俺の隣の椅子を引く。コイツもごく自然にテーブルに付きやがった。 「誰?」 「ロアとかいう一年」 「どうも。  アヤセさんが誰かとメシ食ってるなんて、目を疑いました。それも工学科のラフィットさんとは」 「コイツが勝手に座っただけ。お前と一緒だ」  嫌味を向けてやると、どういうわけか、二人は示し合わせたように嘆息した。 「アヤセっていつもこうなんだよ。尖り過ぎ」 「ですね。はっきり言って怖いです。全く慣れません」  だったらなんで絡みに来るんだ。俺は紙コップの紅茶を引き寄せて、一口付けた。作り置きのせいか、少し酸味がある。 「また、魔導二輪ですか。飽きないっすね」  ロアの奴は、やはりというか、用があって来たわけではないらしい。だから俺も返事をしない。それを確認してから、ラフィットに水を向けた。 「先週、屋上でお二人がやりあったって話題になってますけど?」 「へえ」 「どっちが勝ったんですか?」  ちょっと悪ぶった一年共は、そういう話題が好きらしい。このロアって小僧は特に事情通を気取っているところがあって、よくその手のハナシの発信源を買って出ている。何がうんざりするって、俺のところに来ると、その手の話題を高い頻度で持ってくるからだ。  果たして退屈だったのか。ラフィットはそんな誤情報を無意味にかき混ぜた。 「あれは引き分けかな。決着が着かないから先送りにした。  ああ、俺がモメたってのは、あんま言いふらすな……」 「マジすか。やっぱラフィットさんもヤベーっすね。  俺なんか秒でしたもん。昼休みにケンカ売ったんですけど、気付いたら転がってたみたいで夜でした。校門閉まってて、花の月でもまあー寒くて」  刺されそうになった釘を避けて、ペラペラと良く喋る。確かに、先にケンカを売ったのはロアの方だった。 『アンタが縁起悪い頭してるセンパイか。勝負しましょうよ。俺が勝ったら今日中に染めてきて下さい』と、こうだ。笑えたから相手をしてやったのだが、あのあとそんなに寝てたのか。 「俺が遊ぼうって誘っても、ぜんぜん構ってくれないのに……。  その辺、どういう了見なんすか?やっぱ対等じゃないとツルまない的なやつですかね?」 「その育ちの透けた思考回路をどうにかしろ。それと、このロン毛ともツルんでねえ」  駄目だ。アホ過ぎてつい相手をしちまった。 「そうなんだよ、一年。困った事にな。協定は難航中だ」 「はあ。工学のラフィットさんとアヤセさんが組んだら、学年最強なんですけどね。ヴルーウィンは上が大人しいから、そうなったら面白くなりそうなんですけど」 「オメー、なんか知ってる風なクチ利くじゃん」 「どうなんでしょ。確かに……。どこどこの誰がつえーとか、やべーとか、俺の周り、そんなハナシばっかしてますけど」  面倒なトラブルの渦中にいるだけに、その辺りの情報が欲しいのか。巷の不良事情に明るいロアに、ラフィットは興味を持ったようだ。矛先がこの小僧にでも向いてくれれば、俺も無駄に口を開かなくても済むのだが。 「工学は粒揃いっすよね。ラフィットさんもそうだけど、魔法抜きのケンカ屋で群雄割拠って感じ。  でも春からの衛士科はパッとしないっすね。去年までやたらオラついてたフロイトさんも、最近大人しくなっちゃったって……」  よく喋るロアを、ラフィットが苦笑いで制した。 「ウチの奴らはいいよ。コルザの最終学年のユリウォって知ってる?コルキスって新クランのアタマ」 「いきなり最強じゃないですか。俺じゃなくても知ってますよ」  出てきた名前が有名過ぎて、拍子抜けしたような口ぶりだが、語れる事がそれなりにあるようで、ロアは更に機嫌を良くした。 「コルキスの立ち上げから日も浅いですし、何かと話題になってますよ。表立ってケンカをするような事は減ったみたいなんで、派手さはそれほどでもないですけど。  まあ、自前で黒髪に染めて、不吉を主張してるような奴ですからね。誰も近付こうとしないし、無闇に人前に出ないのは有名ですから」  髪が黒いと誰も近付こうとしない?出来れば今の俺もそうありたかった。頭に感じる視線を無視して、雑誌をめくる。が、ロアのトークは気持ち良く直線に入っていた。おかげで全く集中出来ない。  ラフィットは、この手の後輩の扱いにも慣れているのか、意外にも聞き上手だ。よく聞いていられるな、と素直に関心する。外野にいると、会話の温度差が計れる。ラフィットは、合いの手でその調節をしていたのだが、頃合いを見て、上手く本題に入った。 「ちょっと通したいハナシがあってよ。コルザの生徒じゃねえけど、ソイツの下に面倒なのがいてな」 「コルザ以外で傘下ですか。となると……。  『華喰カルロ』か『ディーラー・オゼット』辺りですかね。カルロは少女趣味のオンナったらしで、面倒といえばそうかもしれないですが……」  ミゲル・フォン・ディアブリードではなく、クソダサい通り名が出てきたもんだから、ラフィットの落胆もやむなしだ。やはり、ラフィットが評したように、ミゲルが小物であるならば、新鋭クランをバックに付けたというのは、当人が謳っているだけかもしれない。  ロアは、中指のファッションリングを備え付けのナプキンで磨きながら、なおも話を続ける。 「ユリウォの傘下は、どこも羽振りは良いみたいです。そのオゼットって奴は、店を任されていて、隔週で打ってるイベントが、上手いこと当たっているんですよ」 「イベント?」 「ええ。普段は酒を出してるような店を、四・五時間借りて、そこだけティーンでも入れるようなパーティーホールにするんです。  ユリウォが人と場所を手配して、オゼットが仕切る。それで、市内の興行科の学生を雇って、魔法を使った見世物をやるってのがメインの一つ。  評判と動員は、回を重ねるごとに尻上がりで、チケット代と軽食ドリンク代だけで、きちんと黒字にもっていくそうですよ」  ふうん。そういうやり方もあるのか。俺には資金があってもできないし、やりたいとも思えないが。悪の評判でも、カリスマはそれらしき行動を取る。  ただ、意外にも感じた。ユリウォはああ見えて、人を呼んでコミュニティを作り、それを商売にする手腕に長けているのか。あの威圧的で、不遜不屈な態度。目立つためだけのスカータトゥー。見ているだけで足元から冷え込むような瞳。アイツ、誰かと仲良くしようなんて思ったりするのだろうか。 「それでだけ聞くと、健全なモンじゃねえか。ユリウォの評判からすると、キナ臭い資金集めもあんのかと思ったけど」 「そうっすね。それだけに、目を付けられにくいのかもしれません。今年、アカデミーを卒業したら、本職ギルドのスカウトがいくつも来るって人ですし……。名前の売れきった今は、派手にやる気が無いんでしょう。でも……」  ロアはブレザーのポケットから通信端末のマナギミックを取り出して、片手でそれを操作すると、俺たちに見えるように平面画像を展開させた。ラフィットが身を乗り出すと、真昼のテーブルに影が落ちる。 「お、最新式?」 「いやいや、一つ前のモデルですよ。アヤセさんが持ってないのは知ってるけど、ラフィットさんは?」 「親父のお古で受信専用だ。家のシゴトでたまにしか使わないからな。ここの奴らみたいにお坊っちゃんじゃねえからよ」 「このサイズの端末は、金食いますからね。魔力の充填も、正規付属品じゃないと、具合が悪くなって出来ないし」  この下級生、貧乏自虐に触れない辺りの感覚は買ってやってもいい。笑いを押し殺しながら、つい立ってしまった聞き耳を向ける。 「パーティーには、それなりに値の張る『お土産』が出るんですよ。それがこのイベント裏のメイン。オゼットがディーラーと呼ばれるのは、密にこの手の魔導具やら、人気アイテムを仕入れる事が出来るからなんですよね」  画像は安く刷った手作り感の溢れるチラシを映していた。洒落たフォントの文字を上から読んでみる。 「『……来場者の皆様には、希少価値のあるマティエールや、最新のマナギミック。高品質の天然素材などが、当たるかもしれない❜ロッタリー❜にご参加頂けます』?なんだこりゃ?」 「要するに、クジですよ。パー券にシリアルナンバーが振ってあって、当日決まる当選番号の半券と交換出来るってワケです。  賞品がマジで価値のあるアタリの日もあれば、その辺でも買える生活雑貨でお茶濁しの日もあるんですけどね」  なるほど。物で釣って、席を埋める狙いか。たまにでも高額賞品を出しておけば、噂が噂を呼んで、次のパーティーも繁盛する。 「オゼットって奴は、価値のある景品を用意できる。それで店を繁盛させてるから『ディーラー』」  ロアは得意気に頷いた。 「そういうことでしょうね。目玉のマティエールにしろ、ギミックにしろ、どこから引っ張ってくるのか分かりませんが、どれも旬のモノ……あるいは、価値のありそうなガラクタ。それの押し引き差し引きが上手いんですよ。  むしろ、そのオゼットを飼ってるコルキスが、今いかに伸びてるかって話でもありますが」  ラフィットは、映像のチラシを眺めながら、俺の肩を揺する。 「おもしれーじゃん。行きゃあタダで貰えるチャンス有りって事だろ?  これ行こうぜ。アヤセ」 「……バイクのパーツとか出ねえかな」 「バイク?なんかのギミックですか?」  魔導二輪の通称は、あまり浸透していないようだ。 「いや……。まあ、オモチャだよ。  ロア。お前、コレのパー券、持ってたりしねえのか?」  ロアは、映像ギミックをラフィットの方に預けて、さも残念そうに首を振った。 「無いっす。一年の教室に回ってくるもんじゃないっすよ。評判がマジならそれなりの金券ですし」  結局情報だけか。そいつは拍子抜けだ。 「次回イベントの、ロッタリー賞品が載ってる」  画像を反転させて、チラシの裏面が映された。学校名は伏せてあるが、興行科の出演者一覧。その後に「来場者全員にチャンス!今回のロッタリー景品!」とある。これも上から読んでみた。 特賞:アンディシュダール圏では、未採掘の希少鉱石『紫電・ヴォルトゥナ』(王立魔導研究所の鑑定書付き) 一等:人気画家ミルリーニア作『十四代ダリア王・オーラムの肖像』 二等:元宮廷料理人ファーブルの店『REMAIN』フルコースペアチケット※三組六名様 三等:最新世代・超薄型通信用マナギミック『Lark』※三名様 四等:エルグレア山から当日直送・採れたて高級バンブーシュート※五名様  俺たちはひとまず沈黙した。昼休みも残り半分となっていて、このテーブル以外は片付けられている。食堂の調理場から、大量の皿を一度に洗う、ガチャガチャとした音が響いていた。 「……これ。アタリの日……なのか?どうなんだ?」  告知を指差して、俺はロアに訊いてみた。半笑いのまま、目だけが窓の外に逸れる。 「さあ……。二等以下は、なんか良いモンだなって意味じゃ、分かりやすいですけど……。自分で使うか食っちまうかすればいいわけで……」 「特賞はこれ、マティエールだろ?凄い魔力があるんじゃねえのか?」 「たぶん……。  前告知があるとはいえ、特賞でマティエールじゃないとしたら、じゃあこれ何だよってなりません?」 「そりゃそうだけど……」  そうだとして、俺たちみたいな不良魔導士に扱えるのか?誰もが思ったはずの疑問だが、謎のプライドが喉より前でそれを堰き止めている。  あえて言うなら……。無理な気しかしない。 「あ。三等はこれ。頑丈でなおかつ障害が起きにくいって話題の……」 「……出るか。メシも食ったし」 「そうしよう。一年。そのチラシ、一応転送しといてくれる?」 「あ、はい。いいっすよ。  えーっと。受信専用相手って、どの手順だったかな……」  ロアが端末探知をしている間に、俺とラフィットは席を立って、トレイを戻した。かったるい午後の授業に出るため、本棟に繋がる廊下を歩く。  衛士科と工学科が並んでいるのは、珍しい事でもないはずだが、気に触る程度には視線を感じる。わざわざ端を歩く同級生と、今にも舌打ちしそうな教師を、何人かやり過ごす。 「アヤセ。俺はいい事を思い付いた」 「そうか。良かったな。頑張れよ」  俺は別れの挨拶したつもり。だが、奴は厄介な案を提示した。 「伝説の魔女に、これらの景品の価値を教えてもらおうぜ。  パー券を獲りに動くかどうかは、その後で決めればいいし」 「……」  確かにそれは良い案なのだ。魔法やそれに関わるマティエールの知識。この国の情勢、風俗、地学、自然。トレニアなら物の価値を正確に測れるだろう。  厄介だと思ったのは、俺が最近、ナツスミレと顔を合わせていないからで。  食器類を戻しに来た配膳係のオバサンに「パンの端切れない?」と声を掛けてみたが「もう無いよ」との事。  ラフィットのケンカを見届けて、透過の小部屋に逃げ込んだ日の翌日。  俺がバイクを停めている部活棟の裏で、奴は律儀に待っていた。マナで駆動するエンジンを切ると、朝の挨拶を飛ばして言った。 「礼を言う前に消えちまったから」  そんなモン、言われる筋合いは無い。キーを抜いて、雨よけのシートを被せた。天気が良い日でもこれをしておかないと、悪戯する輩がいるかもしれないから。仮に、そんな奴がいたとしたら、命の保証はしない。 「あのシャバ娘が勝手にしゃしゃり出ただけで、俺は関係ない。成り行きだよ。気にしないで、卒業まで真面目にベンキョーするんだな」  何が可笑しいのか、朝日の届かない日陰の中で、ラフィットは相好を崩している。今俺の足元を駆け抜けて消えていった野良猫は、おそらくそれを視界に入れてしまったのだろう。 「じゃあ、礼はシャバ子ちゃんにするよ。  で、気にしちまうのはそのコの魔法だな。あの時、説明するって言わなかったか?」 「してもいいけど、アレは信じなくてもいいヤツだ」  部室棟の向こう、登校する生徒達の声が、遠くから聞こえてくる。朝一の授業を教室で大人しく待っている不良なんていない。俺はいつもギリギリを狙っている。裏口の石段に腰を下ろすと、ラフィットは斜向かいの手摺りに寄りかかった。  どこから話すか……。それと、どこを端折るか……。 「アイツの中には、トレニアっていう伝説の魔女が住んでる。  ナツスミレノの肉体に憑依してるんだと。それで人格が入れ代わった時に、現代には残っていないヤバい魔法が使えるんだ」 「トレニア……」 「でも、何か理由があってそんなややこしい事になってるんじゃない」  ここを適当に誤魔化そう。理由は一応ある。トレニアはナツスミレノの代わりに俺に伝える事があったので、あの日、表に出てきた。信じ難いがそういうことらしい。  勝手に喋る内容でもないし、俺の口から言える案件でもない。魔女だの何だのの前に、常識としてそうだろう。……こういう事は。 「世界の危機でもないし、蘇って戦争を起こすワケでも、古の魔法の継承者を探し始めたワケでもない。お化けになってフラフラしながら、この学校の理事長やってるつもりの能天気な女子だ」  夏を前にして葉脈を伸ばす木々の葉たちが、擦れて波のような音を立てている。ここは屋上よりも涼しくて快適だが、空が狭くて雲が見えない。  ラフィットは暫く訝しんで、押し黙った。そして、検討外れの質問をした。 「トレニアって誰?どっかで聞いたことある気がするけど……」  どっかで聞いたことある……だと……? 「……工学って歴史の授業無いのか?」 「あるけど、映像流してるだけで……。だいたいの奴は開始五分で寝てる」  それ以前に、この国の一般常識じゃ……。コイツ、どうやって入試をパスしたんだ……。  いや、やめよう。俺とはベクトルの違う馬鹿なんだ。近年のブルーウィン工学科が荒れてるってのは、なかなか深刻らしい。 「大昔の戦争で、絶対魔法っていうのがあったんだが……」 「それは知ってる。『無尽』と『次元』と『透過』だろ」 「よし。それの『透過』な。トランスパレントっていう、何でもすり抜けちまう絶対回避の魔法を編み出した、透徹の魔女トレニアだ。ソイツがナツスミレの中で存在している。理屈は分からんが、精神体としてな。  もちろん、トレニアは歴史上、とっくに死んでる。奴の棺『オーロフの揺り籠』には、魔女トレニアの遺骨が納められているからな」  口元に手を添えて、ラフィットは思索する。あのケンカで見せた冴えと気合は、この事実に対する感想にもしっかり及んでいた。 「ハンパねえな」  そう。俺も慣れてきて忘れそうになっていたが、とんでもない事が起きているのだ。誰かに伝える事で、改めて事の重大さを確認できたのは幸いか。  ジジイとの朝稽古で消耗、寝ぼけていたのでなければ。不思議な体験を口にする事に、浮かれていたのでなければ。工学科の同級生ラフィットは、構えさせない空気を纏っている奴だった。  俺は世間話なんて無意味に思えて振れないし、上手く伝えるような喋りなんて出来ない。魔法と勉強が下手な不良でも、水が違えば泳ぎ方が違う。けれど、ラフィットは存在を地べたに置いて、俺が変に構えず楽に出せる声を拾っている。  ナツスミレとトレニアの事を、話せる相手がいると、俺はどうしてか、思っていなかった。流れの中で、透過の小部屋を訪れた事。深夜の街を歩いた事。屋上の給水塔で弁当を広げた事も、気付いた時には話しきっていた。そこから伺える二人の性格や、抱えているルール、俺の印象なんかもだ。  一通り話し終えて、ラフィットの顔色を伺う。奴の思ったより朗らかな印象は、その時も変わっていなかった。 「ところでアヤセ。お前が歴史に詳しいのは分かったけど」 「別に詳しくは……。  それより、お前。この話をあっさり受け入れるんだな……」 「まあ。  アヤセはワルそうなヤツだけど、嘘吐くタイプじゃないだろ。実際に目の前で消えるような凄い魔法も見てるし」  懐が深いのか、素直なのか。いずれにせよ、褒めてるみたいで気色悪い。 「トレニアの精神体が、ナツスミレの肉体を借りているって話だよな」 「奴らが言うにはだけど……。見るもの聞くものを共有しているようだ。  ……それがどうかしたか?」 「トレニアの遺骨は、今はこのダリアにあって、来年の王国祭で運ばれる、『オーロフの揺り籠』にある……?」 「あ、ああ。そうだな……」 「魔女の肉体は、どうして……どうやって滅びたんだ?  トランスパレントってのは、絶対回避の無敵魔法じゃないのか?」  ブルーウィンアカデミーを囲む塀の向こう、小さな森に潜む野鳥たちが、登校時刻の予令を合図に飛び立っていく。俺たちの真上に切り取られた狭い空を横切って風に乗り、バラバラに散っていった。  分からなくなる。俺たちはどうしてこうも、浮かんでいたはずのシンプルな疑問を見失い、目に見えている出来事ばかり、日常に溶かしてしまうのだろう。  屋上に向かう階段の踊り場。ナツスミレは、扉の脇に置き捨てられた机に座って、短い足をぶらぶらさせていた。下から見ても、制服のスカートが規定通りの長さで、少しも目のやり場に困らない。机の横、突っ掛けには弁当箱。頭上の天窓から落ちる光が、床に等辺の模様を作っている。 「何してんだ、アイツ……」 「あんな置物、温泉の土産で貰った事ある」  片手の小さな文庫本に没頭していたようで、俺たちに気付くのも遅かった。机の前に立つと、小さな顔がひょいと持ち上がる。 「あっ……。アヤセくん……。ラフィットくんも……」 「……おう」  薄紫の瞳がぱちぱちと瞬く。生まれた間は、俺がそれ以上何かを言うのを待ったものか。階下の喧騒は遠く、昼休みはのどかに過ぎていった。  せいぜい一週間ぶりだ。トレニアも含めて、顔を合わせたのは。大した要件じゃないし、ちゃちゃっと済ませればいい。話題を持ってきたんだから、気まずい事なんて少しもない。  軽く切り出せばいいのに、俺は躊躇った。そうして、先に口を開いたのはナツスミレ。大盛りかサラダか。さっさと決めれない奴は、本当にみっともない。 「あのね。屋上は三年生の人がいるから……」  あえてここにいる理由だろうか。視線をゆっくりドアに移し、ポツリと言う。どこかぎこちない、薄紫の小さな頭に告げた。 「ここでいい」 「あ、うん」 「ちょっと見て欲しいモンがあってよ。ほら、アレ出せよ。さっきの」 「おう」  ラフィットが通信端末を起動させると、少し暗めの踊り場に、仄かな明かりが広がった。ロアのヤツと解像度を比べると、やはり劣る。文字は問題なく読めるが、画像の端がボンヤリしていた。 「ロッタリー……。これは?その賞品?」 「そう。簡単に言うとクジ。  お前、これの一位と二位とかさ。どんぐらい良いモノなのか分かるか?」  ナツスミレは、丸い目をじっと画面に落としてから、やがて答えた。 「けっこう豪華な景品じゃないかな。  でも、特賞と一位は聞いたことがないから、価値を測るのは難しいかも」  マティエールになるかもしれない希少鉱石と、何代か前のダリア王の絵画。やっぱソレで詰まるのか……。 「シャバ子ちゃん、このイベントな。これ系の魔導具だか芸術品だかが、結構出るんだけど、似たようなもんでもアタリハズレがあるみたいでよ。俺たちじゃ分かんねえんだわ。率直、どう?」 「うん。こういうのは鑑定士の間でも見解が割れそうだし……。  最悪、その時は話題になっても、数年経ってみないと値段が付かないケースもあるよ」  俺たちとは教養面で一線を画す良家の優等生でも殆ど同じ見解か。やはり、ここはトレニアの知識に期待したいところだが……。 「トレちゃんなら分かるかも」  察しが良くて助かる。ナツスミレは指先をこめかみに当てた。これは、奴が会話に加わる時のサインだ。 「『よく分かりませんが……。私見で価値だけを言いますと……』」  俺とラフィットは、魔女の目利きを代弁するナツスミレに注目した。その表情にも興味と関心が現れる。 「『まず、特賞の紫電・ヴォルトゥナ。鑑定書付きの本物という事でしたら、かなり強力なマティエールとして使用出来ます。二百年前なら、オエノセラ山の頂上付近を掘れば出るという鉱石でしたが、保管法が複雑だったため、良質な状態では、いくつも残っていないでしょう。  それなりの心得があれば、マナを変換して突風を起こしたり、空気中の静電気を増幅させて、利用可能なレベルに発電……といった、高位の自然魔法を会得出来ます。  個人で保管するのはお薦めしませんが、企業によっては、現品だけでも十数万リムは出すでしょうね。私の魔法、透過の小部屋でなら保管出来ますので、皆さんの教材にしたいです』」  よし。売れる。  指はこめかみに添えられたまま。ナツスミレはふんふんと頷く。 「『ミルリーニアという画家さんは、絵のタッチが独特で、モダンな画風に定評があります。ただ、まだまだキャリアが浅いんですよね。人物画に取り組むと、色使いと全体の構成に粗が見えます。確かに人気画家ですが、これからの人です。  でも、十四代を選択したという点で、この肖像画は話題になるかもしれませんね。オーラム様はご自身が絵画を嗜んでおり、偽名で応募した作品が、国際的な賞を獲ったという逸話もありますから。コレクターなら、後の上騰を見越して高値を付けるでしょう。  ちなみに。私は彼の家庭教師を務めた事もあるんですよ。大変な気分屋さんでしたねぇ。すぐ集中力が逸れるので、指導には難儀しました』」  これも売れる。  念の為、二等以下も聞いておく。 「『REMAIN』のフルコースペアチケットは?」 「『美味しそうですね』」 「通信用マナギミック『Lark』は?」 「『ごめんなさい。新しいギミックは詳しくないのでちょっと……』」 「採れたて高級バンブーシュート」 「『美味しそうですね』」  ナツスミレの指が、こめかみから髪に移る。気になったという風でもないが、さっさっと、手櫛で肩に掛かった髪を、摘むようにして背中に払った。  俺は一つ頷いて、決意を固めた。 「決まりだ。  ラフィット。俺はこれのパー券を獲りにいく」 「お、おう……。露骨にやる気出したな。  一応、本来の目的は、顔を出す可能性のあるユリウォないし、繋がってる奴にハナシを通すのが目的なんだけど……」  そんな事はどうでもいい。俺はタダで貰える賞品が欲しい。  話題のパーティーとは言っても、所詮は学生の催しだ。せいぜい、多くて百人程度のハコだろう。コストが掛からないのなら、確率は悪くない。ラフィットに強力した体も保てるし。一度でも付き合ってやれば、今後の誘いも断りやすくなるというものだ。 「ウチの学校に持ってるヤツいねえかな……」 「って。それをぶん取る気かよ。アヤセ、思ってた以上に危ねえな」  呆れ口調で言われて納得した。突然、欲しくなったからといって、奪い取ったらただのヤバい奴だ。少し冷静にならないと。 「揉めるのは嫌だぜ?俺はまだ、退学手前の要注意人物だからよ」 「分かったって。手荒はナシだ。  ひとまず、放課後になったら、ロアの小僧を捕まえて、持ってそうな奴を教えてもらってだな……」 「それで?首尾よく見つけたとして。譲ってくれってお願いすんの?ほぼ恐喝じゃねえか」 「そうなんねえようにするんだよ。なんか上手いこと……。  金以外で交渉できればいいんだが、これといって代わりの物もねえ。それとそうか。パー券も一枚じゃ……」  ラフィットとの相談の最中。黙ってやり取りを聞いていたナツスミレと目が合った。薄暗い踊り場で、見上げる猫の目が、興味の色を帯びている。  用は済んだから、教室に帰れ。……などと、流石に言えるはずもなく。不良二人とお嬢。三角形の形を取って、向かい合っていた。  妙な空気に気圧されて、俺はナツスミレに確認を取ってしまった。知識を借りたという筋を通したつもりでも、結果的に間違いは間違いだった。 「……お前も行きたいのか?」  ナツスミレは、ガキが公園の玉遊びに誘われた時のツラで返事をした。 「こういう街のお店、学生イベントとか……。行ってみたい。  夜遅くじゃなければ、許してくれるかもしれないし」  あいにく、開始時間は陽が落ちてすぐの頃。どんなに遅くなっても、日付が変わる前には帰れるか。  密かに人気のイベントチケットを三枚。さて、どうやって手に入れよう。マイルドな表現にしても、魔法学校の学生達が盛り場に繰り出す計画。その字面と絵面のキナ臭さは、どうしても拭えなかった。 「お洋服。ドレスだと浮いちゃうかな?でも、大人っぽい方がいいよね?  濃い目の色ってあんまり着ないんだけど、そういうのにしようかなぁ」 「アヤセ。シャバ子姫はお召し物で迷っておいでだ」 「どうでもいい。せいぜい、身長でプライマリーだと誤解されないように、無理目のヒールでも突っ掛けてこい」 「あ、すっごい辛辣。ふふっ」  具体的なパー券の獲得手段に難航気味だった俺たちの思考は、簡単に逸れていった。ヒノモトには取らぬ狸の皮算用という諺があるが、それ以前に、己の皮の見栄えを気にしてどうする。屋上に繋がる狭い踊り場は、外の陽気を透かしたように浮かれていた。  まあ、無理もない。イベント景品目当ての俺。開催者に接触したいラフィット。ちょっと夜遊びしてみたいナツスミレ。結局のところ、三人のうち二人が遊び気分じゃ、そもそもの参加したい理由だってあやふやになる。ラフィットだって、それを咎めるようなことはしなかった。 「店の場所は……リベス川から一本入った所か。飲み屋の並びだけど、近いし、もしかしたらコルザの連中の溜まり場かもしれねえな。変なの来なきゃいいけど……。そうもいかないか……」 「待ち合わせどこにするの?私、川の向こう側にほとんど行ったことないから、お店探してみたいな」  兎にも角にもパー券か。コルザの人間から渡ってくるモンだとしたら、ウチの学生を当たっても目は薄い……。ジキタリスの連中は、俺ら学生の催しなんか、相手にしない気がするし……。元々無いようなツテもバッサリ途絶えている。 「女子ウケするような店あったかな……。東はリゾート開発中っていうけど、埋め立て段階だし。こっちみたいに劇場とかカジノとか無いから」 「港のフロックスタワーが完成してからだね。  ラフィットくんは、向こう側に行くことあるの?」 「昔、川沿いに王国警備の訓練場があったからな。親父の手伝いで通ってた事が……」  呑気な二人を置いて、踊り場をうろつきながら考えを巡らせていると、手癖で屋上のドアを開けていた。光感差で目眩を覚える程の濃い青空が、フェンスの向こうまで広がっている。その手前で、一組の男女が視界に入った。  男の方は片膝を立てて話しながら、だらけた様子で横の女に向かって喋っていた。制服のズボンは腰履きで、上は襟付きマーブル模様のカットソー。わざわざ派手に着崩しているのは、大抵不良肌の三年だ。撫で付けるように立てた金髪と、ふてぶてしい上がり方をした口元に見覚えがある。横にピッタリ付いている、重そうな睫毛の派手な女は知らない。退屈そうにも見える澄ました顔で、金髪の声に耳を傾けている。  思えば屋上に先客が居るのも久しぶりだ。別に縄張りを気取っていたわけでもないが、少し来ていなかっただけで、巣にされるのも気に食わない。屋上の真ん中を真っ直ぐ進み、三年達の目の前に立った。露骨な不愉快と、微かな戸惑いを滲ませた目が、俺を見上げる。 「……なに?なんか用?」  軽い口調でやや低目の声。やはり見覚えがある。街の路地裏か、バイクで付けた海浜公園か、はたまた春先のこの屋上か。いずれにせよ、この態度からして、剣呑ならざる場面だろう。もちろん、それで怯むような事もない。 「センパイ。最近、コルザの奴が回してるイベントがあるんだけどさ。それのパー券持ってたりしない?詳しい奴か、行ったことある奴でもいいや」  距離ほど甘くはないものの、それなりに馴染んだ関係を匂わせる二人が、困惑顔を合わせる。女の方が口を開きかけたところ、それを阻むように金髪が、どこか凄むような口調で答えた。 「そんなの持ってねえよ。  あそこの連中とは、遊び方とかノリが違うし、ブルーウィンはナメられてるじゃんよ。コルザで人を集めるようなネタがあっても、ウチの奴らには、降りてこねーだろ」  そんなモンかね。コルザが気取ってんのか、ウチのアカデミーが評判通りの下火なのか。 「そっか。サンキュー」  そう言って、踵を返したところ。即座に声を掛けられた。 「なあ、アビコ・アヤセよ。ちょっといいか?」 「?」  俺と違って人の名前を覚えているセンパイは、女に一声掛けてから、立ち上がってフェンスの際まで近付き、半身で手招きをした。そこまで来いということか?ナツスミレとラフィットが様子に気付いて、揃ってこちらを見ているが、何でもないという意味を込めて、片手を振った。  昼休みに女といるところを邪魔したのは俺だ。不快に感じるような理由もなく、素直に従った。 「なんすか」  金髪は視線を階下に泳がせながら、それでも、年長者の威厳を示すように告げた。 「衛士科の三年は、もうお前に絡まないって事になってる」 「はあ……」  話が見えないので、それだけ反応して黙る事で先を促した。どこかアピール臭い舌打ちを一つして、金髪は皮肉めいた笑いをこぼす。 「わかんだろ?シメようって言い出す奴もいなくなったんだ。春先に何人か挑んだけど、返り討ちだったじゃねえか。……俺もガチでやって負けたし。  お前もお前で、二年で徒党組んだり、上に揉め事持ってきたりしないしさ。変に吹いたりしないなら、デカい顔してろよって事」 「ああ、そういう……」  何の話かと思ったら、その手の……。 「下にやられまくって面目丸潰れってほど、俺の代はイキってなかったな。お前の場合は危ねえとか強えとか、その辺通り越して見た目から『不吉』だしよ。  みんな降りて、残りの一年間は大人しくやるってさ。俺もそのつもり」  その『大人しく』があの派手な女ね。フットワークが良いもんだ。  男は敷居を跨げば七人の敵あり。などという言葉が、これまたヒノモトで伝わっていたが。……俺の敵は多過ぎた。季節が一周しても続いた、売った買ったのケンカの末、目の前の上級生が『どこかで見かけたようなセンパイ』に成り下がる程度には。 「あのさ……。一応言うけど……。  俺は別に学校シメたいとかこれっぽっちも思ってない。アンタらをナメてるわけでもない。俺がその時ナメられたくなかっただけ。勝った負けたも、学年も、気にしたことなんか無い」 「へえ……」  金髪は少し意外そうな声を漏らした。全部本心かというと、また少し違うかもしれないが……。これでも、立ててやったつもりだ。不吉などと随分な事を言われておいてなお。 「イカれた国から来た奴かと思ってたけど、そうでもないんだな」  心外だ。 「この国の方がよっぽどイカれてる。  魔法なんてぶっ飛んだ文化があるクセに、バリエーションに富んだ不良のガキも、ちゃんといるんだから。  強い弱い関係無く、ケンカ卒業ってのは利口だと思うぜ」  この感覚が言葉で伝わったかどうかは分からない。目の色髪の色はおろか、食い物を掻き込む食器まで違うのだ。価値観をどちらかに合わせるなんて、出来やしない。  それでも金髪は「ふうん」と呟いて、変わらず階下を眺めている。視線の先に釣られて、何が起きているわけでもない演習場を見た。昼休みを思い思いに過ごす生徒が行き交っている。トレーニングで外周を走っている奴。薬草園で水を撒いている奴。設計図を片手に、魔導具精製に勤しんでいる奴。 「お前が最近、屋上にいないって聞いたから、ここにいたけどよ。シマ変えたわけじゃなかったか」 「……それって、ここが俺の縄張りになってるって意味?」  金髪は少し芝居がかった仕草で頷いた。 「普通の生徒は、好き好んで制御塔のある屋上なんて来ないだろ。アウトロー気取ってる奴の溜まり場だよ。伝統なんじゃねえかな。上の代からそうみたいだし」  色々と口を挟みたいが、確かにそう。俺はずっとサボり場所にここを選んでいた。けれど、なんとなく。一週間は足が向かなかった。  ナツスミレとトレニア。アイツらと会うのを、俺はみっともなく避けていた。二人の関係に落胆した。在り方に整理が付かないでいた。どうして俺がそんな事を気にしなきゃいけないのか分からなくて、足が階段に向かなかった。  見上げると、夏を前にして積み重なる雲が、太陽に向かってジリジリと流れてゆく。久々の屋上は風も無いのに、空の模様は音もなく形を変える。 「もう来ねえからよ。お前も程々にやってくれや」  制服の改造にどんな工夫が施されているのか、腰履きズボンの裾は、ギリギリで地面に触れない。金髪は女に声を掛けて、自分は先に屋上を出ていった。  魔法を教えるなんて学校でも、トッポい奴はいて、威張りたかったそいつも、いつかは卒業する。辞めちまう奴は、素行もあるけど、それ以上に人当たりが悪いのだろう。  ラフィットの梯子は、最後の足場が残った。俺は、気が付いたら通うのに慣れていた。嫌だし面倒だけど、文句を言いながら二度目の春を越えていた。  自分がまだこの景色を眺めている理由を思うと、おかしくなりそうだ。黙って辞めたら、奴らはどんな顔をするだろう。どうでもいいはずなのに、そんな想像をしたりするから、余計にワケが分からない。発散してやりたい時に限って、誰もケンカを売ってこないのはなんでだ。 「ねえ」  振り向くと、金髪が連れていた女が俺を見ていた。こうして女子に正面からガン飛ばされるのもなかなかない。屋外で見ても濃いアイシャドウが、眼力を増幅させている。ネイルで尖った指先に、視線が吸われる。そこには三枚の紙切れが挟まっていた。 「さっき話してたコルザのパー券って、コレだと思うけど……」  そう言って差し出された紙切れを、俺は受け取った。表題とデザインはシンプルに『パフォーマンス・バイ・コルキス〜vol8〜』とある。会場となる店の名前と時刻の上から、シリアルナンバー入りのスタンプも押されていた。数字は0が頭の三桁になっている。 「こいつは……」 「欲しかったらあげる。でも、転売はダメ。あたしから貰ったって分からなくなったら、面倒になるかもだし」 「あ、ああ。それはしない。でも、どうしてコレを?」  ブランドのロゴが入ったポーチを持ち替えながら、空いた手で黄色の襟章を指す。 「前回、依頼が来て、キャストで出演したんだ。あたし、興行科だから」  俺にくれる理由を訊いたつもりだったが、女はパー券を持っていた理由の方を答えた。 「まあ……。出たはいいけど、あたしレベルの水芸火芸じゃ、あんまりウケなくて……。今回は枠を取られちゃったから、その代わりってとこじゃないかな」 「はあ。なるほど」 「出演者は市内から集めてたけど、客はコルザの生徒が大半だし、それなり敷居高いよ?あそこ、あんたみたいな不良多い癖に、魔法の練度、妙に高いから」  俺から言わせれば、不良が真面目に魔法やってる方がおかしい。けどそれは、ブルーウィンの感覚で、川を挟めば価値観も変わる。  男の方が先に出ていったのに、俺と話していても良いのだろうか。余計な心配を他所に、女は訥々と語る。興行科だけあって、声量は控えめでもよく通る声だ。 「フロイトがケンカしなくなったのは、今の三年がアンタにやられまくったからなんだってね。あたしはそういうの興味ないから、良かったって思ってる。魔法で治療出来ても、怪我は怪我だし。  だから、変な話だけど……。お礼みたいなもんかな」  パー券をくれた理由と、金髪の名前が判明した。入学からの撃退を続けた事が、こんな形で得になるとは思わなかった。不可抗力も甚だしいが、この女がお礼だと言うなら、ありがたく頂戴しよう。 「そういうことなら……。すんません。貰います」  女は澄ました顔付きで頷いた。……かと思うと、そのまま意表を突いてきた。 「あの小さいコ。アンタを待ってたんだね」 「え」 「昼休み。ずっと踊り場にいたよ。  あんな所で一人弁当してるなんて、おかしなコだなって思ってた」  あの踊り場にいた?アイツが俺を待っていた? 「……どうして俺だと?」  今はラフィットもいる。初対面のこの女が、わざわざ俺だと断定する理由が分からない。屋上入口の二人を見ると、まだ不思議そうにこっちを伺っている。女の視線もそっちに移った。 「いや、それは雰囲気で。あの長髪くんはなんか違うし、アンタでしょ。違うの?」  雰囲気……だと……?こいつもアレか。女子特有の何かか?よっぽど魔法だ。 「……たぶん」  女は俺の返事が気に入らないのか、僅かに眉根を寄せた。非難されるのは慣れているつもりでも、女子のそれというのは、いつも鋭く、躊躇いというものが無い。 「そっけない奴だ」  正直、どこかでそうかもしれないと怯えていた。ナツスミレは、人目や体裁を気にして、教室や廊下では俺に絡もうとしない。お互いの立場を考慮しているその感覚は、美徳であって、不快に感じた事はない。それが跳ね返って罪悪感になっていた。  ずっと、とはいつからだ?週明けからという意味か。昼休み中、目一杯という意味か。  ……どちらでも同じだ。俺はナツスミレを避けていた。 「『アヤセがいるから、三年はここに来辛い』んだって。フロイトがそんなコト言い出すなんて、びっくりした。よっぽどアブない奴なんだと思ってたけど……。可愛いコ付いてるじゃん。冷たくすんの、もったいないよ?」  それは、いたたまれないと思ったから。ある日、そこにあった友情らしきものに翳りを見て、知らず抱いていた期待が、淡いものだと知ったから。  柔らかな小雨が降り続ける、狭く静かな箱庭で、トレニアはナツスミレの夢を応援するといっておきながら、その実、爪の先ほどの期待もしていなかった。  俺が口を挟む事じゃないのは分かっている。ただ、チンチクリンのお嬢様が、絶対魔法の伝説を破ったら、それは痛快だろうと思っていた。だから、大して考える事もなく、偉そうにやってみろなどと……。 「男らしくねえか」 「うーん?そこまでは言わないけど……」 「反省するよ。チケット。ありがとな」  俺は女より先にその場を離れて、貯水槽の梯子に手を掛けた。ヒヤリとした感触を掴んで、一段ずつ踏んでいった。振り返ると、女の背中はもう見えなくなっていた。  長く雨風に晒されて、ざらついた縁に立つ。ほぼ真上の太陽からずっと下へと視線を移す。古臭い佇まいの議事堂よりもっと先、波の立たない漁港を睨んで、水平線の切れ目を探した。久しぶりの景色だが、何も変わっていない。 「なんでわざわざこんなトコに上るんだ?狭いんだよ、ここ」  工学科の札付き不良が、顔だけ出しながら、そんな質問をする。答えはずっと昔から決まっていた。 「バカと煙は高い所が好きなんだよ」 「なんだそりゃ。煙って好きで浮かんでんのか?」  知らねえよ。本当にバカだな。 「ヒノモトのコトワザだよ。  アンズルヨリウムガヤスシ。テノマイアシノフムトコロヲシラズ」  音も立てずに上ってきた同級生のシャバ子。渋いのを知ってやがる。このチンチクリンが、どんな本から母国の諺を仕入れているのか、少し気になった。  生まれ故郷の言葉を聞いて、里心が付くなんてことは無い。むしろ、気分が滅入るぐらいだ。 「故郷に帰りてえって、目標になんのかな。  ……なんかパッとしねえよな」  ナツスミレとラフィットは、俺のボヤキを受けて、抜けたツラを晒している。いつかもそうだった。この空の下では、どうにも口が滑る。 「そういうもんか?生まれ故郷に帰る為に、金を貯めたいってのは……。まあ、マトモなんじゃねえの?なあ?」  ナツスミレは髪を押さえながら頷いた。口元だけが薄く笑っている。俺が読めたのはその表面だけ。  今、コイツが何を思っているか。あれから、心変わりは起きていないのか。訊いてやったら、三枚目になれるかもしれない。それは、なかなか悪くない。きっと面白い場面になる。  家業を継ぐ。普通過ぎて逆に難しいやつ。伝説の魔法を破る。明らかに無理目のやつ。それに比べたら、小さくて易しいもんだ。 「マトモかどうかじゃねえよ。パッとしねえから、楽勝だってこと」 「……やっぱり、アヤセはややこしいわ」  売られたケンカを続けていたら、荒っぽい輩は女を作って卒業してしまった。なんて賢い。一年も長く生きているだけのことはある。学業を納めて、次のステージに進むのが卒業なら、それは見事な勝ち逃げだ。俺はまだまだ、このクソダルい校舎に居残りしなくてはならない。 「楽勝は困るんだけどな……。もう少し……。ゆっくりがいい……。  せめて、私たちの卒業まで、待ってくれてもいいよね……」  景色に沿わない辛気臭い声を、俺は目一杯、嘲笑ってやった。 「嫌だね。帰れる日が来たら、こんな国、ソッコーで出てってやる。俺はベンキョーも魔法も大嫌いだからな」  ナツスミレは、なんのアピールか、生意気に頬を膨らませていた。いつまで経ってもそうしているので、隙を突き、両側から手のひらで押してやる。『ぶふぅー』と息が漏れて、俺とラフィットは指を指して笑った。  魔女は全てを語った訳じゃなかった。肉体を失くした日の事は、伝説となるはずの隠れた逸話か。はたまた、聞くに堪えない与太話か。秘密も隠し事もあるなんて、その辺の女子と変わりない。そこにいる、目を吊り上げても怖くない同級生と、上から下まで同じだ。  衣替えは来月、雲の月。暑苦しいブレザーにねじ込んだ三枚の紙切れは、思い出とかいう、生煮えの景品に化けるのかもしれない。
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