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五話
ジキタリスのアジトでは、一件隣に倉庫を借りている。非合法の混ぜ薬を隠しているわけでもなく、条例に触れる長さの刃物が、傘立ての中に紛れていたりもしない。潰れたカジノのルーレット台の上に、客用の寝具が積まれ、床下には保存食よりも多い漬物乾物、酒の肴が唸っている。多少、埃が溜まりやすいが、俺が春先に整頓してからは、まずまず片付いた状態がキープ出来ている。これ以上余計な物が増えなければ、棚の一つでも持ち込んで、俺のスペースにしてしまうのもいいかもしれない。灰色クランだろうが、出入りのバイトにも座る場所を与えるべきだ。
はめ殺しの小さな窓から差し込む明かりを頼りに、資材の入った木箱の間を半身で抜け、縦長のクローゼットの前に立つ。取っ手を左右にスライドさせると、カバーを掛けたスーツが数着吊られていた。クランのメンバーが着なくなったもの。仕立屋に洗わせたあと、放り込んだままのものだ。二・三着減っても気付かないし、咎められたりはしないだろう。どれもこれも、いかにも筋者が好きそうな派手な柄とシルエットだが、一つだけ俺の目を引く一着があった。いつか借りようと思って、機会を伺っていたのだ。雑用の倉庫整理も捨てたモンじゃない。
目当てのそれを引き抜き、袖を合わせてみる。思った通り、丈は合っているが、少し腹回りに隙間が生まれる。大きめのシャツとタイなんかで調整すれば、誤魔化せるだろうか。試しに前を空けてラフに着て、髪も後ろに流して……。
姿見の前に立ってみたら、それっぽくなった。裏地のシルクは感触が怪しいが、やはりこの色は目立つ。
葬式でも避けられる、珍しい上下黒のスーツ。ヒノモトではむしろフォーマルなんだから、文化ってのは本当におかしなもんだ。
制服を鞄に突っ込んで、棚の下段にねじ込んでから、俺はジキタリスの倉庫を後にした。
アンディシュダールの陽はまだ高く、繁華街は売り子の惹句で賑わっている。樽酒を運ぶ手押し三輪とすれ違い、走り回るガキに鼻を鳴らした。肩で切るには張り合いのない風が、露店から昇る薄煙を攫っていく。
待ち合わせ場所は、リベス川のこちら側だから、ダラダラ歩いても十分程度で着くだろう。イベントの開始までは三人で西地区をうろつく予定。どうせ、面白いモンなんか無いのに、チビのお嬢様がハシャいじまって、めんどくさいったらない。まあ……。他校の巣に遊びに行くのだから、俺も格好ぐらいは合わせてやるかと。
決して、浮かれているわけでもなく。
朝から能天気な空模様。眩しくなって視線を下げると、白い玊砂利と青草で区分けされた河川敷が広がっている。年寄り自慢の施工年数が刻まれたアーチの下。先に着いていたラフィットの野郎は、俺と目が合うと、露骨に眉をひそめた。
「うっわ……。ガラ悪りぃ……」
「どの口がほざいてんだ?」
いつもの長髪に紫のエクステ。縁無しのサングラス。襟の立ったネイビーブルーのシャツに、七分丈のスラッシュデニム。色味は派手だが、着る人間の厚かましさは抑えられている。上から下までフラットな不良。無駄にカッコつけやがって。
ラフィットは伸ばした襟足に触れながら、気怠い調子で言った。
「ガッコーのツレと出掛けることになるとはな。俺もヤキが回ったわ」
「……どうだかね」
「え。そこで『お前なんかツレじゃねー』みたいなやつ?暗過ぎないか?」
「暗くて結構。つーより、お前が浮かれてるだけだ」
「……態度も悪りぃよなぁ」
サングラスの下の苦笑い。鈍感ぶりは健在だ。コイツがユリウォとの接点を望んでいるなら、回って来たのはツキだ。
俺は別に、ユリウォのクランだとかコルザの連中に興味はない。どうか預かり知らぬところで勝手に盛り上がっててくれ。こっちは、火の粉が飛んできたら払うってだけ。
それから間もなくのこと。欄干の外側に寄りかかって、川の魚影に当たらない小石を投げて遊んでいたら、土手の方から馬車がやってきた。見間違いではない。荷物を引くそれよりはひと回り小さいけれど、飾り屋根に幌の付いた運送車だった。
これといった合図もなく馬が停止すると、おめかし気味のナツスミレと、ヤツより僅かに背の高い小さなオバサンが中から出てきた。俺たちに手を振ってヘラヘラ笑うナツスミレ。その横で鍔広のストローハットが優雅におじぎした。揺れる薄紫の髪が、夕暮れ間近の柔らかな陽射しを受けて銀を零す。俺の恐ろしい直感によると、あれは母親だ。
ナツスミレは小走りで先に俺たちの前に来ると、恥ずかしそうに言った。
「あのね……。今日の事を話題にしてたら、ママが送らせてって、聞かなくて……」
ママ呼びに軽く目眩を起こした俺は、ナツスミレに掛ける言葉を飛ばした。欄干を跨いで道に戻ったラフィットが代わりに訊く。
「大丈夫なのか?その……。俺たちみたいなのと遊んでも?」
「うーん……。パパよりはずっと理解があるから……」
ナツスミレはそう言ったあと、俺たちの服装を見回して一言付け加えた。
「たぶん」
遅れて土手からやってくるナツスミレの母親は、伸び散らした雑草に足元を気にしながらも、穏やかな笑顔を浮かべていた。それを待つ三人の間で、出所不明の緊張感が漂う。目の前に着くと、両手を胸の前で合わせて、仰々しい挨拶をした。
「こんにちは。いつも娘がお世話になっています。ナツスミレの母、アゼナリア・フォン・リィンベルトです」
「……どうも。アヤセ・アビコです」
「ラフィット・キアミールっす」
目尻に小さな笑いじわを残して、アゼナリアは頷いた。
「あらあら。二人共、聞いていたとおり、格好良いわねぇ。やんきーみたいな風貌してるけど」
「え」
「この子にボーイフレンドができたなんて、驚いちゃったわ。どうも消極的というか、真面目過ぎるところがあるから。
家では二人の話ばかりするのよ。今日はアヤセくんが授業で先生に当てられて、渋々答えたとか。三人でお弁当食べたら、おかずの取り合いになって大笑いしたとか」
ふふふ。と、静かに笑うおば様。土手の上で、馬が短く啼いた。
「この子はね、小さなころから家じゃ大人しくて、ちょっと心配なくらいだったの。アカデミーで羽目を外すとは思わないけど、少しぐらいは遊んだって良いのよって、いつも言うのだけど」
「はぁ。そうなんですか……」
娘語りの詠唱が続く。真上の天気のようなゆったり口調だが、不可解な事に、まるで隙が無い。
「そろそろ手が掛からなくなったと思っていたけど、そう……。もう二年目だものね。本当に早いものだわ。魔法の方も、潰しが効くものを身に着けてねって……。
どうかしら?ウチの子は、きちんとやっているのかしら?」
「え。それはまあ……。俺らみたいのとはデキが違うというか、何というか……」
俺に愛想が無いのは認めよう。ただ、そんな次元の話じゃなくて。これはもう、そんな返事しかできない。
「ママ!そういう事言わないでって言ったでしょ!約束破った!」
「何よー。別に変な事は言ってないじゃない……」
顔を真っ赤にして母親の服を引っ張るナツスミレ。俺やラフィットみたいな奴に、この母娘のやり取りはかなりキツい。苦笑いで顔面の神経がおかしくなりそうだ。
「もういいでしょ!送ってくれてありがと!じゃあね!」
「はいはい。
それじゃあ、二人共。娘をよろしくお願いします。あまり、遅くならないようにね」
「あ、ハイ。その辺はちゃんと……。送って行きますんで……」
アゼナリアはすっかり上機嫌な様子で、俺とラフィットを見比べていた。魔導の名家産まれだけあって、立ち姿や眼差しにも気品がある。果たして、横のチンチクリンが歳を取ってガキを産んだら、こんな淑女になるのか。
「……今度、家にもいらしてね。パパがいない時が良いわ」
揃って父親の存在を強調してくる。そんな恐ろしい約束はできないが、代わりに頭を下げておいた。
馬車が土手の向こうに消えるのを見届けて、俺たちはようやく橋を渡り始める。川面を走る生温い風が、冷や汗を掻いた肌を撫でた。
「ごめんね。うちのママ、二人に挨拶したいって……。嫌だったでしょ?」
少しばつが悪そうにして、繊細な意匠の髪留めを弄る。思えば、コイツとは自分でも驚くぐらい絡むようになったが、こういう姿は久しぶりだ。何を気にしているんだか。
「別に。よく似てんなーって思っただけ」
「え……」
「ああ、わかる。なんか雰囲気そのままだよな」
「お前、歳くってもああなんだな」
「そ、それは……。まだわからないはずなんだけど……」
もちろんそうだが、大した差は付かないだろう。どっかのボンクラ事業家みたいに没落してなければ、マダム・ナツスミレの完成形はアレだ。
「楽しそうでいいじゃん。あんなオカンに産んでもらえれば、俺ももう少し品格ってモンがあったのにな。良かったら、ウチのババアと交換してくれ」
ハンマーとタガネを手に、鍋を打つラフィットの母親を想像した。鍛冶職人の妻ってだけで強そうだ。
「もう……。冗談でもそんなこと言っちゃ駄目だよ?」
歩くのがかったるい程度に遠かった向こう岸が近付いてきて、アンディシュダール西部の街並みが見えてきた。こじんまりとした建売住宅の並びを繋ぐ、白の石畳は、政府機関による大規模舗装が施されたばかりで、傾きだした西陽を、色濃く映していた。
「いつか、二人のお母さんにも会わせてよね。それでおあいこにしよ」
声を弾ませるナツスミレ。俺は顎を持ち上げて、春からの短い記憶を呼び起こした。どっかで言ってなかったか……。
「なんだよその取引。カードの強さは前もって合わせないと……。
……アヤセ?」
「母親はヒノモトで暮らしてる。紹介は無理だな」
「あ……」
橋の上は自然音が無い。三人の足音だけが響いていた。ゴム底のスキール音。硬い革靴。背伸びしたヒール。俺とラフィットが並行で、ナツスミレは半歩分、右後方。並びの間隔は、いつからかそうなっていた。
不意の沈黙に音を上げたのは、むしろ俺のほう。
「別にお前らみたいなマザコンじゃないからよ。いなきゃいないで慣れてくるもんだ。少年少女の反抗期って、この大陸でもあんのか?」
言葉の通りで整理は付いている。なのに、いつも喧しい奴らは黙ったまま。珍しく冗談まで添えてやったのに、丸ごと損した気分だった。
橋の真ん中から見る下流の先は、古臭い三つの水門を挟んで海に変わる。白く泡立つ小さな波を横目に、俺たちは橋を渡る。たしか、遊びに行くのが目的だ。
三年と少し前。ヒノモトからこの大陸に向かう渡航船に、母親は乗らなかった。出港する直前になって、誰にも告げずに客室から姿を消したのだ。産まれ育った国を出るのも、手にした成功を捨てて未知の事業に臨む当主も、気に入らなかったのだろう。
同じ思いだった俺を。同じように父親に反発していた俺を。どうして置いて逃げたのか。当時は分からなかったから、もちろん恨んだ。その不満や憤りが外の人間に向かい始めた頃。なんとなく察するようになった。
自分にも他人にも厳しい、プライドの高い女だった。当主の財力と権力に守られていた母親は、家の方針が海外進出に定まったのを期に、再び独りになろうとしたのではないかと思う。要するに、一足先。今の俺と同じ心境になったのだ。
渡航から一年を過ぎた時期。そんな想像をするようになって、あっさり諦めが付いた。いつかヒノモトに帰る日が来ても、会いに行ったりしないし、恨んだりもしない。連れ立って歩く二人に、そう正直に話したとして……。こういう感覚が分かるだろうか。分かってくれれば、こんな天気の下で冷え込んだりはしない。
「『さっきから言おうと思っていたのですが』」
もう一人いた。家族だなんだの人間らしい不調和を超越した奴。
改まった声に振り向くと、ナツスミレがこめかみに指を当てて、複雑そうな表情を浮かべていた。お馴染みの、魔女がしゃしゃり出る合図。
「『二人とも、なんというか……。もう少し学生らしい服装をして頂きたいのですが?スミちゃんのお母様が心配します』」
何を今更……。というか、今。そんな小言を言う空気か?
「……真面目くさった格好で行ってみろ。それこそ浮くだろ。偏差値で劣ってるけど、コルザの連中はウチよりガラ悪い奴が……」
「『あとですね。女の子がおめかししてきたら、感想の一つや二つあるでしょう?さり気なく服を褒めるなんて、基本中の基本です。だからモテないんですよ』」
なるほど。どうやらアオりをくれているらしい。
「テメー。若者が楽しく街に繰り出そうとしてんだから、中で大人しく茶でも飲んでろよ」
「『酷い。私だけ仲間はずれみたいな言い方しないで下さい。私だって今日のパーティーを楽しむ権利というものが……』」
「あー?不良の溜まり場に理事長先生が何を期待していやがる。お前の分のパー券ねーんだから、本当はその楽しむ権利ねーぞ?」
物理も魔法も敵わないが、文句なら負ける気はない。けれど、実際にそれをぶつける相手は、今にも目を回しそうなナツスミレだ。
「もう!私を挟んで揉めないでよー!」
なんて忙しい奴。同情する他ない。
「とりあえず、服を褒めれば良いらしいぜ?」
ニヤケ顔のラフィットもそこそこ苛つく。俺に女子のファッションなど、どう褒めろと……。見たって何も……。
そもそも。コイツは常日頃から、きちんと仕立てた服を着ていると思っていた。色気は皆無でも、貴族の令嬢らしい品がある……のは認めよう。ジキタリスが囲っている水商売風の女と対極だから分かり易い。
光沢に嫌味のない藍色のサマードレス。極小のリングを麻紐で連ねたベルトが、上から下まで華奢なシルエットを締めている。意外と高いヒールに慣れているようで、俺とラフィットの歩速にも付いてくる。いつもより高い位置にある両肩から、シンプルな銀糸のネックレスが首筋を伝う。日焼けとは縁のない、白くひ弱な肌。
俺はナツスミレを睨みつけ、短く簡潔に言った。
「馬子にも衣装、だな」
「マゴニモイショウ?」
「安心しろ。褒めてる」
皮肉を込めた笑顔を向けてやったつもりだが……。コイツもまた、顔面の神経がイカれていたようだ。
「えへへ。ありがと」
毎度の事ながら、馬鹿馬鹿しい。トレニアはこんなやり取りをさせたくて、わざ出てきたというのか?
……少し考えて、出てきた疑問を取り下げた。いずれにせよ、くだらない。本当に余計な事しか言わないババアだ。
話しているうちに川を越えて、アンディシュダール西地区に差し掛かった。小綺麗な新歓楽街の入口は、忙しない買物客と放課後のガキ共で、程好く浮かれている。
制服を着ていなければ、街に溶け込むのは簡単だ。露店で買った氷菓子を手にダラダラと歩いては、気になった店先を眺める。通りの中ほど、建設中の展望台。フロックスタワーとやらを拝んでは、根本の広場で明日の学校ですればいいような話題を続けた。
まあ、俺もそこそこ楽しんでるフリをしてやったというわけ。少しも感謝なんかしてないけど、魔女のヤツが珍しく空気読んだからな。
あっという間に初夏の陽は落ちて、真新しい街灯が列を作った。来た道を戻って、川沿いから一本隣の裏通りに入ると、目的の店はすぐに見つかった。赤黒の書き文字で『ダスク』という看板の下。段差が二つあって、縦長のドアに差し掛かる。
「今夜は貸し切りだ。招待券を持ってるお客さんだけだよ」
顔面ピアスだらけ男にパー券を見せると、見た目より愛想の良い声で、俺たち三人を招き入れた。足音を鳴らす螺旋階段を三周降ってフロアに出る。
正面に現れたステージは、広くはないが二面取り。片方は使用しないのか、今は暗幕を下ろしている。開演時間少し前で、客入りはまだ半分ほど。席はいくつかのボックス席に加えて、フロアの外周が高いスツールになっている。
絞られたライティングに紛れて、冷ややかな視線を感じた。予想通り、コルザの生徒を含めた西地区の悪ガキが多い。露骨に自分の頭を指差して、ヘラヘラ笑ってる奴もいた。普段なら即ケンカの場面だが、ここは無視。近くにいた店員にドリンクを注文して、人心地を付けた。
「さて。まずは、魔法の見世物とやらを楽しませてもらうかね」
「暇潰しになるといいけどな」
俺が先に座り、一つ空けてラフィット。間に収まったナツスミレは、膝に買ったばかりのポーチを乗せた。
「二人とも、上からだね……。演者は厳選された興行科の人なんだから、きっと私たちじゃ思い付かないような創作魔法だよ」
「へっ。退屈だったら俺は抜けてバイトに行くぜ」
スツールを回してステージに向けると、運営らしき学生スタッフが、拡声ギミックの調整を始めていた。その中心で指示を出している、綺麗めのジャケットを揃えた男に、なんとなく目を引かれた。ここからは聞こえないが、そいつの発する言葉に、どいつも緊張した面持ちで頷いている。
「アイツがオゼットって奴かな」
ラフィットも同じ想像をしたらしい。事前に評判と通り名を聞いていたから、どことなく胡散臭い輩だと見込んでいたのだが……。浮かれた小僧と派手めな小娘が多い中で、やけに目付きが鋭く、いかにも仕切りが出来ますってツラだ。拡声ギミックとステージライトを整えた後は輪を離れ、壁で進行表らしき紙に目を落としている。
すると、ラフィットが立ち上がって、サングラスをテーブルに置いた。
「ちょっと声掛けてくる。食いもん、まだ頼むなよ?」
「おい」
「ケンカ絡まれても買うな。ここアウェー。ムカついたらシャバ子ママの上品なお顔を思い出せ」
言われた通り、ムカついたので思い出したところ。振る舞いは上品だけど、しゃべりは魔法の詠唱に近い、隣のチンチクリンの完成形。
ラフィットは徐々に増え始めた客の合間を大股で縫って、ステージの方へ行ってしまった。未だ物珍しい様子で、辺りをキョロキョロしているナツスミレが残る。そういう動きを設定された玩具みたいだ。きっと、この未発達のボディーのどこかに、スイッチのバーがある。
「なんかドキドキするね。来ちゃいけないところに来ちゃった気分」
「そうか?」
丸い猫の目が、じっと覗き込んでくる。今日は睫毛が少し上がっている。よく見れば、俺でも気付くもんだ。さすがに化粧はしていないようだが。
「アヤセくんはいつもクールでニヒル。どうやったら慌てたり怒ったりするの?」
「慌てたり怒ったりするに決まってんだろ。テキトーな事を言うんじゃねえよ」
「うーん。じゃあ、喜んだり興奮したりは?」
いったい、いつ、俺が感情を無くしたと思っているのか。
「美味いもんでも食えば喜ぶし、ケンカでもしてれば興奮するかもな」
ナツスミレは生意気にも、釈然としない様子を顕にした。まあ、よく見るツラで、もうそれに動揺する事などない。壁に刺してあったメニューを開いている隙に、俺は奴への視線を剥がした。
「ケンカは不味いから、美味しいものを頼もう。
あっ。これ良いんじゃない?白葱と真だこのパプリカソース和え」
「なんか飲み屋のメニューみてーだな」
「アヤセくんは、大人になったらワイン飲みそうだよね。窓際のロッキングチェアで足組んで、難しい顔しながら飲むの」
「テキトーな事を言うんじゃねえよ」
せめて、ラフィットが食いそうなものを頼んでやればいいのに。
これといった前触れもなく、フロアの照明が水槽みたいな青に切り替わった。全体を監視するように配置されたスピーカーギミックが、ざわめきを誤魔化すストリングスを静かに吐き出す。開演時刻を迎えて集まった客の視線が、自然とステージへ向かう。中央の丸テーブルで、オゼットが手のひらの拡声ギミックを転がし、イメージより朗らかな声を上げた。
「そろそろ始めようか?レディーもジェントルもいねえけど」
ブーイングと喝采が同時に起こり、そのアンバンラスな空気が笑いを誘った。地下のパーティーは、そこから熱を広げていく。
「まずはハコを貸してくれた『ダスク』のマネージャーに感謝を。ウチのイベントも今夜で八回目を数えたけど、そこまでやれたのも、ここでやった初開催がウケたからだ。何しろ……。俺たちみたいなガキに甘くてちょろい。待ち受けにしてる娘さん、とっても可愛いですねって言っとけば、団体割引だからな。今年、三歳でしたっけ?」
オゼットが向けた視線の先で、人の良さそうなオッサンが苦笑いを浮かべる。
「四歳だよ」
「そう、四才だ。悪い虫が付かないように祈ってるよ。
あと、持ち込んだゴミは各自持ち帰れ。盗みとケンカとクスリとクライムスペルはもちろん禁止。……最後のは言ってみただけだ。見た感じ今日の客も、そんな素養は無さそうだしな」
そう言って目を細めながらフロアを見渡し、またブーイングを浴びる。
「健全にエキサイトできる面白い魔法なら準備してある。今回も魔法が達者な未来のエンターテイナーを呼んであるから、ぜひ観てやってくれ。地位や金より拍手が好きな変人共だ」
いけ好かない喋りだが、ウケているので仕方がない。オゼットは軽やかな足取りでステージから降りると、スタッフに指示を出してから、オーナーと一緒に、キッチンカウンター横の部屋に消えた。
「アヤセ。あの部屋に誰かが来てる」
「あん?誰かって?」
頼んだ真だこはきちんと冷やした皿の上に乗っていた。最後のひと切れを、物欲しそうな目をしたナツスミレに押し付ける。
「オゼットより上の奴じゃないかな。コルザの上級生か、ケツ持ってるクランの人間か。イベントのスポンサーかもしれないけど。
さっきアイツと話してた時。ドアの方を気にしてる感じだったし、ドリンクも運んでた」
始まったイベントのホールに出ないで、裏にいる人間か。
「ユリウォかもって?」
「もしかしたら」
「話してたんなら聞けばよかったじゃねえか」
ラフィットは前髪を払ってから、おどけたポーズを取った。
「はぐらかされたんだよ。奴は本当に人前に出ないのかもな。噂通りでさ」
ガキの間じゃ、ヤバいだのなんだので有名人のユリウォ・グラスハイム。評判急騰中の学生クランを仕切って売出し中。一月前、直に対面したときは、冷たい視線と同質の大物風を吹かしていた。手下を何人も連れながらデカい顔で歩くようなタイプではない。セカンドネームも知らない後輩ロアの触れ込みは、さもありなん、というところだ。
程なくして魔法のショーが始まった。最初に出てきた男は指先から色とりどりの炎を発現させて、各テーブルに用意されていたキャンドルに火を灯していく。見事なのは確かだが「結婚式かよ」とラフィットが小声で茶化したので、俺たちの席だけ台無しになった。
興業魔法の演目はテンポよく続く。気色悪い錬金術の実演から、魔法弓の速射的当てに、天井に触れる高さの浮遊魔法。単に魔法の練度が高ければ良い、というものでもないのが、魅せる魔法の肝だった。鮮やかに決めるのが難しいなら、笑いを誘えば成立する。鳥の卵をリアルタイムで孵化させて、天井の梁に逃したのは、狙ったハプニングだったのか。特にウケたのは、ヌイグルミが動いて喋っての人形劇で、こっちのお嬢は身を乗り出して拍手をしていた。カードを使った数字当てとかだったら、飯だけ食って本当に帰るところだったが、生意気にも暇は潰せた。観ないで騒いでいるテーブルもあるが、ステージ付近の客は大いに盛り上がっている。
頭を空にして、見世物の魔法を眺めていた。衛士科の俺が、教室や演習場で習う魔法は、自衛防衛を想定したもので、それ以上の多様性は無い。魔力を帯びた武器を取り、翌日に筋肉痛を起こす補助魔法を受け、マナギミックの知識と仕組みを学ぶ。今、酒を真似たドリンクとジャンクフードを肴に観ている魔法は、それとはまるで違うものだ。次々と的を抜いた魔法矢にも殺傷力は無いし、地面から多少浮くぐらいで、どんな有利があるというのか。
「やっぱり興業科の魔法は華があるなぁ。そういうものだけど、発現早くて魔力の流れも追えないや」
「華っつってもよ。あれぐらい、習えば出来るんじゃねえの?」
ステージに向けられた横顔が、苦笑いで滲む。最初に色炎を点けて回った男が、今度は造形炎を練っていた。奔る指先が盛っている火柱を細く絞って、塔を象っていく。完成が待たれるシンボルタワー。
「どうだろう。素養の問題だから、知識があってもね……」
「素養って要するに才能だろ?お前なら出来そうだけど。クラスで一番か二番で成績良いじゃん」
ある程度のレベルまで修練を積むと、そこから先の魔法は、血統の影響が大きいと習った。いかにもありそうな話で、魔法に限った事ではないが。
「普段の魔法とはかけ離れてるよ……。間近で見れただけでも、勉強になるかなって思ったけど……」
ナツスミレは、わざわざ謙遜したりせず、ただ首を傾げて言葉を切った。
「勉強か……」
俺もそれなりに付き合いを重ねたから、察するものがあった。コイツの言う勉強は二通りある。学校で習うそれと、絶対魔法を崩すヒント集め。
ステージで煌めくあの炎は、戦争で使われた魔法とは違う。俺たちはそんな時代も知らないし、手品で殺し合いは起きない。
「あまり肩肘張るな……。つっても無駄か?お前の事だしな」
「えっ……」
「気楽にやれよ。俺は例の魔法を何度か体験しているけど、どうにかなるような気はしてないぜ。デタラメ過ぎてな。いつか破るなんて目標はイカれてる」
炎の塔が確かな輪郭を得た。後ろで揺れる影まで燃えているような、不思議な存在感だ。熱で発生した風が、フロアをゆっくりと巡る。
「アヤセくん。……ありがとね」
疎らな拍手と過剰な歓声に紛れて、ナツスミレは呟いた。
「……ああ、うるせえな。なんにも聞こえねえ」
「ふふ。それは残念だなー」
わざとらしい泡を乗せた金色のジュースが、グラスに汗を浮かべていた。冗談の一つも出てこなくて、グラスのロゴを指でなぞって間を埋める。
「私、運命論者なの。伝説の魔女が降りたのは偶然じゃない。
だから諦めないよ。この生涯を賭ける事になると思う」
前から知っていたけど、ナツスミレはこれで本気なのだろう。偽物臭い水晶玉を前にした占い師みたいに、軽々しく運命を口にした。反論は全部引っ込めて、俺は納得したフリで黙っておいた。
七名の演者による魔法のショーが、まずまずの盛況で終わりを迎えた。大人しくステージを見物していた奴も、目もくれずボックス席で乱痴気騒ぎしていた奴らも、今は拍手を揃えている。
演者の列を横から外れたオゼットは、拍手の波が引いてから拡声器を取った。
「今日の出し物はここまで。なかなか見応えがあっただろう?
アカデミーの成績はイマイチでも、将来は魔法興業で食ってやろうって気概はマジな面子だ。これからも、技を磨いてくれると思う。
俺はそういうエンタメ馬鹿に舞台を用意してやりたい。ツレとダベりに来た飲み食いのついででも構わない。演者にとっては大事なアピールのチャンスだ。これからもよろしく頼む」
事務的な調子の進行役はそう言って、硬い笑顔を浮かべていた。ラフィットが言う。
「アイツはコルザ興業科の卒業生なんだってさ。自分でも興行魔法をやっていたんだけど、芽が出なくて、コンサルタントやイベントプランナーの方に回ったらしい」
「ふうん」
そいつは案外、根性がなければ出来ない事だろう。それぐらいで、いけ好かない印象は取り下げないけど。
「立派だね。こうして、イベントを仕切って慕われてるのもわかるよ」
「魔導具の横流しで儲けてんなら、そっちの成功でもいいんじゃねえの。
まあ、観るもんも観たし、暇つぶしにはなったか。土産の抽選会はまだなのか?」
冷ややかな視線を二セットで感じたが、なんてことはない。川を渡って普段より高いメシ代を払ったのだから、当然の権利だ。
俺の声が聞こえたわけではなかろうが。オゼットは軽く片手を挙げて、再び注目を促した。
「それじゃあ、ロッタリーの抽選会に移ろう。
今夜の引き手は、トリでフロックスタワーを一足早く建設したジェラルド。箱の中はみんなのラッキーナンバーが詰められた魔法のカードだ。燃やすなよ?」
冗談も交えた説明が続く中、イベントスタッフが円形フロアの中央にある台座に、前告知にもあった景品と、等数の書かれた立札を設置していく。一等の『十四代ダリア王・オーラムの肖像画』。祝結びの付いた有名高級店の食事優待券。箱入りの最新通信用ギミック。硬い根の付いたままのバンブーシュートが、どうしても場所を取っているが……。
注目を集めたのは、やはり、特賞のマティエール『紫電ヴォルトゥナ』。想像していたよりも小さい鉱石だが、存在感が他の景品とは段違いだ。断電性の高い合成樹脂で組まれた箱の中で、数秒に一度、二つ名の紫電を奔らせている。
「今日の入場券の半券に記されたシリアルナンバーが、そのまま当選番号になる。仕込みの魔法が発動するから、手元に出しておいてくれ。今からジェラルドが引いて、読み上げた番号が当たりだ。
それではさっそく……。四等からいくぞ」
仕込みの魔法?俺はジャケットの内側から半券を取り出して、端から眺めてみた。シンプルが過ぎているデザインのこの紙切れに、何かタネでもあるのか。
フロア側の照明が落ちて、再びステージ上に注目が集まった。ドラムロールはさすがに無い。炎色魔法の使い手が、抽選箱からカードをテンポ良く五枚引いた。
「四等は五名。023。014。093。055。028……。おめでとう!」
「あっ!」
その時、隣のナツスミレが短く声を上げた。見ると半券が鈍く発光し、そよ風に巻かれるように回転しながら俺たちの頭上に昇る。半券はパンッと短く鳴って破裂し、細やかな光の粒子を撒いた。続いて、何も無かった空間から花のボタンが付いた金色のカードが、ゆっくりと降りてくる。
ナツスミレの小さな両手に収まったそのカードを覗き込むと、『ナンバー014 四等当選』と記されていた。
「わっ!やったあ!すっごい嬉しい!」
ナツスミレは、声を潜めながらも、満面の笑みではしゃいだ。
「ほう。良かったな、シャバ子ちゃん」
「うん!私、景品の中でも、これが一番欲しかったの!」
「一番?当たりっていっても、四等じゃねえか。高度な謙遜しやがって」
「ええー。本当にこれが欲しかったんだけど……」
ナツスミレはそう口ごもりながらも、まだニヤついていた。まったく。お嬢様は些細なモンでも分け隔てなく有り難がってくれる出来たお人だ。
「今のも興行魔法かね。すると、オゼットのオリジナルか。いろんな事が出来るもんだな。
アヤセはナンバーいくつ?」
言われて俺は半券を確認した。
「013だ。連番で貰ったから、お前は015だろう」
「おう。よそ者丸出しの俺らが当たったってことは、接待クジ……不正の可能性は減ったな」
「よし。最低でも、二等以上を持って帰るぞ」
「ええっと……。二等は三本だから……。きゅうじゅうごぶんのごは……十九分の一だな。チョロいぜ」
コイツ、計算早いな。工学科の不良の癖に。
俺とラフィットは、魔法がいつ発動しても良いように、テーブルの皿を横に捌けてから、半券を置いた。次の抽選が始まるステージを睨み付けて、炎色魔導士の右手に、気合いと念を送り続ける。
そして……。特賞の番号が読み上げられた。円形ホールの向かい側、俺たちの反対で、どよめきが起きて、四等のそれより派手めな光が立ち昇る。当選者らしい垢抜けた女が、称賛の拍手にVサインで応えていた。
「ええっと……。残念だったね……」
パプリカソースだけが残った皿を、フォークで弄ぶ。落ちた照明の中で、酸味の効いた液体が、テーブルの小さな炎を灯していた。横を見ると、ラフィットは真顔で毛先を捏ねていた。
「チッ。セコい催しだぜ」
「勿体ぶりやがってな」
紙切れと化したテーブルの半券を指で弾く。
出し物を終えた店内は空調がよく効いていて、首周りの具合が慣れないスーツでも快適だった。最近は夜でも蒸し暑くなってきたから、もう何日かで普段着にはできなくなりそうだ。シルエットと色は気に入ったから、着れる内に馴染ませておこう。
抽選会が終了したところで、店内は再び水槽の青色に戻り、オゼットが景品交換の案内を始める。店を出る前に当選の金カードを運営に渡すこと。それまでは預かっておける旨。売買譲渡は基本認めないし、それが後日の事であっても、こちらは一切の責任を負わない旨。
「いちいち細けえのな。御苦労サマってなもんだ。
さて、どうする?観るもんは観たし、外の屋台とかでメシ食って帰るってのは……」
スツールを回して二人を伺うと、奴らはすっかり明るくなったフロアの方を向いて、何やら不思議そうな顔をしていた。運営と店側も含むコルザの連中も同様で、戸惑いを孕んだようなざわめきが、徐々に波を立てていく。
「どうした?」
「あのね。台座に乗っていた賞品が……」
ナツスミレの視線を追う。
クロスの掛かった台座の上には、何も無かった。ざわめきの理由はこれだ。
もう一度目を凝らしても、変わらない。何も無い。賞品が煙のように消えている……。
ただ、そのずっと手前。ちょうど俺たちの席と台座の間に、何かが落ちているのを見つけた。立ち上がって拾い上げると、それはニ等と書かれた立札だった。
「ありがとう。それはこちらで回収する」
声に顔を向けると、拡声器をハンカチで隠したオゼットが、神妙な面持ちで、空いた手を差し出している。無言のまま手渡すと、オゼットはくるりと反転し、またステージに戻る。スポットライトが奴を捉えると同時に、拡声器を構えて、さっきまでの声色にリチューンした。
「ああ、なんてこった!誰か見てたか!?ちょっと暗くした隙に、賞品が全部消えちまったみたいだ!
俺が用意したブツをかっさらうなんて、ふざけた魔法のショーはプログラム外だ!いったい、何処のインチキ魔導士の仕業だ!?ああん!?」
眉根を寄せた笑顔と下品なハンドサインを晒したオゼットに、淀みかけた空気が四散してゆく。そこかしこで、押し殺した笑いが起きて、ノリの良すぎる奴はブーイングまで送っている。
ああ、なんだ。そういうネタなのか。俺はさっさと席に戻った。
「客の幸運を掠めとるなんて、コルザアカデミーの悪ガキだって遠慮する!
犯人の悪党はキッチリ炙り出さないとな!お前らもちょっと協力してくれ。
ひとまず、断りなく店から出ないこと。まだパーティーは続いているのに帰っちまうようなボンクラは、ここにはいないだろう?」
非常に上手な臭い芝居。オゼットは、ノンアルコールで酔っ払ったガキ共の反応を確認すると、壇上から軽やかに飛び降りた。泡立つ琥珀色のグラスを掲げながら拍手を聞き、すぐ近くの円に加わった。
まだ首を傾げたままのナツスミレに、俺は言ってやった。
「せっかくの当たりにケチが付いたな」
「う、うん。本当に盗まれてなくて良かった……。かな……?」
端切れの悪さに間が生まれる。俺は自分の外れ半券を手に取って、なんとなく眺めた。013は故郷じゃ縁起の良くない数字。
「……そういう演出だろ?これ」
「……たぶん」
「でも、どうやったんだろうな?」
いつの間に追加注文していたのか。ラフィットは、ステーキとポテトのグリルをフォークで刺して、オーロラソースに落とした。
「一度景品を見せたあと……。フロアの真ん中は暗かったし、みんなステージに注目してた。けど、あの量を音も立てずに動かすほど、長い機会は無かったと思うんだが?」
まあ……。その見解はもっともで、俺も同じ事を思った。馬鹿みたいな答えでいいなら、口にしてやろう。
「そりゃなんかの魔法だろ」
「どんな?」
「俺が分かるわけねえじゃん」
これは当然の事で、一口に魔法と言っても色々ある。今日の興行魔法なんか、見て分かる顕著な例だ。威力を抑えて色や動きを演出する仕組みなんて、衛士科最下層の俺には、ちんぷんかんぷん。それは、工学科も同じ。マナギミックの仕組みや錬成を学んだ上で、魔導具を扱ったり製作したり、というのが目処。ラフィットの奴も静かになった。
一応、この場には、今起こった手品を暴けそうな奴が一人いる。
「よう。コイツはどんな魔法なんだ?理事長センセイ」
勉強熱心な俺の質問を受けて、ナツスミレがこめかみに指を添える。ただ、伝説の魔女は回りくどかった。
「『言いたい事が三つあります』」
「……一つでいいんだが?」
「『一つ。衛士科の生徒として、魔力の発生とその状況、タイミングには、常に気を配りましょう。魔法が発現したら、目と耳と気配で察知すること。
知識と経験と体力で、様々な不可思議現象から人々を守るのが、ヴルーウィンの目指す魔導衛士です。
なぜ皆さんが景品の消失に気付かなかったのか分かりますか?はい、スミちゃん』」
なんかクソウザい授業が始まった。ナツスミレが指を離して律儀に答える。会話をするならどうせ戻すことになるのに。
「ええっと……。ロッタリーの抽選とオゼットさんの魔法に気を取られていたから?」
「『そうですね。こういったイリュージョンの魔法ショーでは、観客の注目を集めるのが肝。つまり、気を逸らされる手口や瞬間を、想定していなければならないのです。魔法を扱う者として、仕草によるミスディレクション、言葉によるミスリードが起こるケースは、常に警戒し、自らも取り入れるようにしましょうね』」
「取り入れるってお前。俺らはあんな魔法使えねーぞ」
「『扱うと言っても、魔法の話ではありません。発想の話です。
例えば……。アヤセくんが、夜の街で刃物を持った悪漢と対峙したとしましょう。黒檀の剣を素早く確実に精製したいという時に、相手がその隙を与えてくれますか?』」
「ケンカは先手必勝だ」
「『……なんか話が逸れそうなので、先に回答例を挙げます。
口では説得を仕掛けながら、マナを集める。利き手を懐に忍ばせるように見せて、逆の手で剣を精製する。直ぐに思い付くものでも、それなりに有効です。
アヤセくんは、皮肉で魔法を手品だと言いますが、実は本質の一つなんですよ』」
コイツも魔女である前にセンセイだ。単純な事をもっともらしく言う。
「戦いの時に『あ!あれは何だ!?』ってやれってか?くだらねえ」
「『それだって成功すれば魔法じゃないですか。
大地の恵みたるマナを消費すること。傷を塞いだり雷を落としたりすることだけが、魔法ではありません。魔導の発展は、先人達の工夫と挑戦を理解する事から始まり、感謝の心を持って、真理の追求を目指すのです。
……あの。ちゃんと聞いています?アヤセくん?』」
コルザ学生の溜まり場である地下フロアは、生まれかけた不穏な空気を忘れて、血気盛んなティーン共の賑わいを取り戻していた。メシも安くて味付け充分。澄ました大人も本職もいない。川の向こうじゃなければ、なんとなく入ってしまう店かも。
「雷と言えば、リジチョー」
壁際の小さなスツール。俺よりほんの……、ほんの少しだけ長い足を組み替えながら、ラフィットは訊いた。
「奴ら、目玉の景品はどこに隠したんだ?
見たところ、この店。スタッフルームはこの階に無いし」
僅かな時間で目の前から消した手段はともかく。それがどこにあるのか……。
「あのキッチンカウンター横の扉は?」
俺が指差した先を一瞥して、ラフィットは首を振った。
「この席からは見やすい位置にあるから、俺はずっと視界に入れてたよ。それに、抽選会の時は、照明が落ちていただろ?開けたら明かりが漏れる」
ラフィットは、あの扉の中にユリウォが居る可能性を考えていた。言葉の通り、注意は向けられていただろう。
ナツスミレがトレニアに代わって二本目の指を立てる。
「『二つ。消えたタイミングは、先ほど話した通り、分かっています。
私の意識はスミちゃんの裏ですが、魔力の探知ぐらいは無理なく働きますので。ヴォルトゥナが良質の鉱石で、魔力を放っていたのが幸いしましたね。
でも、今現在。景品がどこにあるのかは、ちょっと分かりません』」
「分からない……?」
「『少なくとも、このお店の半径五十メートル内にはありませんね。外に出て、私が本気を出せば、見つけられるかもしれませんが』」
ナツスミレは、内なる魔女の物言いに寄せて代弁した。その事実を、俺たちはどう捉えるべきなのか。
それにしても。対象が希少なマティエールとはいえ、物質が放つ微量な魔力の有無を探知するとは……。やれる事が別次元だ。
「『三つ。デザートメニューは頼まないのでしょうか?私はこの……焼き林檎のクリームブリュレ添えが食べたいです』」
時々、こうして再認識するのだ。トレニアは、俺たちの知らない魔法の時代を生きてきた事を。
「どうも。ちょっと話があるんだけど、いいかな?」
不意に声をかけられて振り向いた先。パーティーの主であるオゼットが、俺たち三人を、感情を覗かせない目で見比べていた。突然の来訪に、一瞬空気が固まる。
「話って、俺たちに?」
「ああ。君らヴルーウィンの生徒だろう?そっちの彼は、ラフィット・キアミール。さっき、わざわざ挨拶に来てくれたな」
先ほどまでのステージとは打って変わった硬い表情を崩すことなく、オゼットは確認を取った。顔を合わせると、二人は頷きを返した。
「別に構わない」
「ありがとう。五分経ったら、あっちのステージ裏に来てくれ」
オゼットは幕が降りた方のステージを指差してから、その手で壁に掛けられたこの席の伝票を抜いた。こちらが何事かと訊く暇もなかった。俺たちとの接触を周囲に悟られたくないのか、そのまま早足に離れて、別の一団とハンドシェイクを交わしていた。
このまま時間までダベって退屈するのも、それはそれで悪くない。いつもと少しだけ違う放課後は消化できた。充分、元は取れただろう。
けれど。きな臭い展開が、向こうからやって来る。クジは外すのにな。
ビロードの暗幕は、フロアに流れるBGMを遠いものにして、不可解な緊迫感の縁取りに一役買っていた。一番小さな横並びの照明を点けると、無数に走る床の傷が細く浮く。舞台の隅に、縫い目の繊細なダリアキルトを被った楽器が、いくつか固めて寄せてある。こちらは、音楽をやるときに使用するらしい。
「先に伝えておく。フロアに出した見せ賞品が消えたのは、こちらの演出じゃない。ロッタリーの賞品は全て、何者かの盗難に遭った」
明日の昼は焼き飯を食うつもりだったが、今さっき米が切れた。オゼットの口調は、事実にきちんと遺憾が籠もっていた。誰も反応を返さないので、代わりに訊く。
「それを聞かせてどうする?一応言うけど、俺たちは何も知らない」
「本当だな?」
ほんの数歩分の距離から、頭の後ろまで射抜くような視線が注がれた。もちろん、本当に知らないのだから、痛くも痒くもない。
「神に誓えばいいのか?俺は、この国で流行っている宗教なんて、一つも名前を知らない」
「神なんてまだるっこしい。今も昔も、敬虔な信者を抱えていたのは、透徹の魔女トレニアぐらいだ」
背後でラフィットが吹き出した。やめろってんだ。釣られるだろう。
オゼットは、ジャケットのボタンを片手で外しながら、ため息混じりで笑顔を向けた。
「悪い。ステージの調子でつまらない冗談を言った。ウケるとは思わなかったけど。
重ねて……。運営としては、他所の客と新参は、警戒しなくてはならないんだ。この非礼も、代表として詫びよう。君たちに疑いを向ける事を理解して欲しい」
この男も手品が得意だろうに、選んだ言葉はあけすけだ。俺は先を促した。
「わかったから、好きなだけ調べてくれ。あの量の賞品を素早く掠め盗る魔法なんて出来ないし、コルザでトラブルを起こす理由もない。俺たちは、運良く譲って貰えたパー券を持って、遊びに来ただけだ」
オゼットは脱いだジャケットをオルガンの椅子に掛けた。いつの間にか笑顔を下げて、神妙な面持ちに戻っている。
「……賞品が消えたとき。あのタイミングで、君たちが魔法を使っていないのは分かっている。入店してから直ぐに、ウチのスタッフによる、動向確認の監視を付けていたからな」
「それって、俺らが余所者だから?」
「そうだ。コルザのガキで黒髪に染めている奴なんて、まず居ない。ユリウォの真似なんて、余程のアホじゃなきゃやらんよ。調子に乗ってるとかなんとかコナ掛けられて、格好の的になる」
真似と言っても色々あるだろうに。リスペクトも許さないのかね。
流した髪に手櫛を入れた。生憎と、他人の目がウザったいのには慣れている。
「これは地毛だ。むしろ。真似してんのは、あのスカーフェイスのニイちゃんの方」
「……お前の事も仲間に聞いた。今度からリベス川を渡ったら、そんな軽口は叩かないようにしておけ。アヤセ・アビコ」
幕の外、客のバカ笑いがここまで届いた。トラブルを隠したパーティーは、この舞台を隔てて、なんとか盛況を維持している。
「確認に戻すぞ。君たちは、コイツの顔に見覚えはあるか?」
オゼットは手にしていた銘板型のマナギミックを操作して、一枚の顔写真を俺たちに示した。覗き込むと、顔面ピアスだらけの厳つい男が、顎を引いて正面を向いている。思い出すのに、それほど時間は要らなかった。
「ここの入口でチケットを渡した。モギリだろう」
「そうだ。覚えているようだな」
「そっちのスタッフじゃないのか?」
「正確には違う。人手が欲しくて借りた派遣のバイトだ。名前はマテウス。当然、偽名だろう。
でも今……。店前で番をやっているはずの、コイツの姿が見えない。連絡も途絶えた」
「……真っ黒じゃないか」
「ああ。状況証拠だけでもお釣りがくる。問題は、盗難時に何かしらの魔法を疑った場合。調べたところ、マテウスは魔導士ではないから、仲間がいるはずなんだ」
画面をスライドさせて、派遣スタッフの依頼書を開く。魔法の素養の有無、という項目は空欄になっていた。魔法が使える事を隠している可能性も、あると言えばあるが……。雇い主のオゼットが、わさわざ調べたというのなら、それ以上疑ってもしょうがない。
「コイツが手引きをして、賞品は計画的に盗まれたってことか」
「残念ながら、そういうことらしい。脇が甘かったよ。
現在、街に後輩のクラン……コルキスのメンバーを回して、捜索を始めているが、見つかる可能性は……ちょっとな……。
俺に出来るのは、店の出入りを制限して、残った客の疑いを消すこと。それしかなくてね」
それで、まずは余所者の俺たちに探りを入れた、という流れか。
深いため息を一つしてから、オゼットは話を続けた。
「ここまでの反応を見て、君たちは関係なさそうだと感じた。そもそも、共犯者を店に残すのも妙な話だしな」
監視を付けていたなら当然だ。俺たちは大人しく食って喋ってただけ。本気で店に共犯者が残っていると踏んでいたなら、アタリがヌル過ぎる。残った客への疑いは薄かったのだろう。
キリの良いところで、俺は世間話を振った。
「賞品が戻らなかったらどうするんだ?当たった奴が『盗られました。ごめんなさい』で納得すればいいけど、そうはならないだろう?」
「もちろんだ。けれど、不幸中の幸いで、小一時間あれば、殆どの賞品はツテで同じ物が用意できる。特賞のヴォルトゥナも、人気絵描きの肖像画も。客を引き止めた理由の半分は、その為の時間稼ぎだ」
「肖像画もですか?複数枚あるものではないような気がするのですが……」
「ある。賞品として出したのは、その道のプロに頼んで描いてもらった贋作なんだ」
「ええ……」
「オリジナルの方は、値がついてから動かすつもりだった。けど、こんな事態じゃ、本物を出すしかない。結果、文句は無いよな?」
悪びれる様子もなく、しれっとしてやがる。俺たちは、ただ呆れるしかなかった。
実際、コイツはヘマをしたものの、やり手なのは確かで、リカバリーは早かった。咄嗟の臭い演技で演出と錯覚させたし、外での捜索も開始しながら、あらゆる可能性を考えて、百人近くの容疑者を逃さない手段を取った。希少な品を動かしながら、目端も利く。名前が売れているというのも頷ける話だ。
ひとまず、余所者への任意同行は終わった。けれど、こっちも大事な確認をしなくてはならない。
「あの……。さっき、『殆どの賞品は替えがきく』とおっしゃいましたが……?」
「ああ……。四等のバンブーシュートだけどうだろう。それほど高価な食材ではなかったけれど、旬の天然物だから在庫が怪しい。当選者にはグレードを上げた別の賞品を薦めようかと考えて……。
いや。そういえば、君……」
「はい。私、四等の賞品を頂けるはずだったのですが……」
ナツスミレは金色のカードに化けた半券を差し出した。イベントの責任者であるオゼットは、それを見て、申し訳なさそうに顔を歪めた。
「……名前を聞いても?」
「はい。ナツスミレ・フォン・リィンベルトです」
「すまない、ナツスミレ。今日明日でモノを取り返せたら、直ぐに引き換えるけれど……。
こちらに落ち度があるのは明らかだ。今、この場で別の品をリクエストしてくれても構わない。俺が責任をもって用意しよう」
「いえ……。災難に遭ったのは運営さんの方ですし、お気遣いだけでも痛み入ります。仕方ないですよね……」
ナツスミレは落胆しながらも、笑顔を作った。たとえ相手が不良や不運でも、立場と状況を慮るお嬢様。そういうヤツだって知っている。今日は可愛らしくおめかしもしているし。
まあ、クソ喰らえだ。
「遠慮しねえで、欲しいモン言ってやれ。ナツスミレ」
「でも……」
「じゃあ、俺が言ってやる。四等のバンブーシュートだ。それ以外はいらねえ」
数秒の沈黙。硬化した空気の中でも、オゼットの顔色は変わらなかった。
「……本当に申し訳ないが。現状、難しい」
「難しいか?モノを取り返せばいい話だろう。
俺たちで盗人を捕らえてやるよ。アンタはここで賞品の帰りを待ってりゃいい」
「……なんだと?」
「これから探しに向かう。このチンピラ店番をボコにして、ここに引っ張ってくる」
そう告げてやったけども。誰も彼も困惑気味で返事がない。別に返事なんかいらないか。
「じゃ、これで失礼するぜ。追うのは早い方が良いからな」
「あ、アヤセくん!?」
幕の降りた舞台袖に向かうと、鋭い声に止められた。
「待て!捜索はこっちで始めているし、店内にいた人間が今、表に出てしまっては困る!」
「知らねえって。四等が別のモンになっちまうんじゃ困るんだよ。自分で取り返すんだから文句ねえだろ」
「……ふん。こっちも下手に出過ぎたか?モノのグレードを上げるっつってんだから、大人しく待ってろよ。ヴルーウィンのボウズ。お前、ハシャギ過ぎだぜ?」
「あぁ……?」
こっちが睨みつけると、オゼットのスカシ顔が更に怪しくなった。そっちのウデもなかなか楽しめそう。久しぶりに沸いてきそうだ。
「まあ、待て。アヤセ」
望むところを引き止めたのは、それまで黙っていたラフィットだった。
「今日のはなかなか良いイベントだったし、ここは立ててやろうぜ。だいいち、ケンカの相手が違う。悪いのは百、パクった奴だ」
「だからって、待ってても……」
ラフィットはオゼットに向き直り、何でもない調子で言った。
「代表で俺が残るよ」
「お前……。何を……」
「この二人を捜索に参加させてみないか?たぶん、上手くいく」
そう言って、視線をナツスミレに送る。正確には、裏で聞き耳を立てている魔女に。
「もしも……。イベント終了時刻までに、アヤセが賞品を持ち帰らなかったら、俺たちを犯人にしてやればいい」
「……」
「オゼット。あんた、そういう交渉をしたかったんじゃないのか?ただ話を聞くだけなら、テーブルごと奢らなくていいだろう。
賞品は替えがきく。フロアの客は残した。さっき、あんたがカマしたような、臭い芝居を出来る犯人役がいれば、盗まれた事を誤魔化せる。余所者の俺たちなら、キャストにはうってつけだもんな」
合点がいく。そのまま続けるおどけた調子も、なかなかハマっていた。
「エクストラステージは、魔法の捕物劇です。賞品は無事、当選者に渡りました……。即興で描いたシナリオにしては、上々ってね。
どう?当たってる?」
オゼットは、これみよがしな舌打ちを一つして、そのあと小さく笑った。
ラフィットの指摘は的を射ていた。さっきの暗算といい、今日のコイツは何かの間違いみたいに冴えている。俺の見ていないところで頭を打ったに違いない。
「では、こうしよう。
アヤセとお嬢さんは捜索に出てもらう。ラフィットは待機しつつ、ステージの打ち合わせ。
時間になっても賞品が返ってこなかったら、三人はキャスト出演してもらう。結果どう転んでも、この件は他言無用。捜索過程で被害や怪我があっても自責」
「決まりだ。行くぞ」
声を掛けると、ナツスミレは戸惑い気味に俺を見上げていた。
「アヤセくん……。いいの?私が賞品を我慢すれば……」
「あぁ?お前、アレが一番欲しかったって言ったじゃねえか。貰って当たり前の権利抱えて、なんで我慢する必要があんだよ」
今度は小さい頭が俯いた。これには、さすがの俺もちょっと苛つく。
「ごめん……迷惑かけちゃって……」
「そんなもん、かかってねえ。
まあ。お前が気にしてんなら、奴に責任を取らせるだけだ」
「え……」
ナツスミレは賞品を貰えるはずだったのに、ガッカリな展開でヘコんでいる。捜索には相応の手段が必要だ。盗人は犯罪者なんだから、武器を持っているかもしれない。絶対魔法で怪我はしないとわかっていても、あの過保護が、一心同体の可愛いダチに、血生臭い事をさせるだろうか。
「ほら、さっさと行くぞ。俺はお前に言ってんだよ。年寄りはこんな遅くまで起きていられねーのか?」
ナツスミレの身体が一瞬強張り、その瞼がゆっくりと閉じた。
思えば春先からの付き合いだ。減らず口を叩く仲だし、どう煽れば釣れるかもだんだん分かってきた。けれど、女子丸出しの発想言動と、足元から湧き上がる怖気を帯びたこの魔力だけは、理解の範疇の外の外。
舞台の照明が突如として、点消灯を繰り返した。桁違いの魔力が、ギミックの回路に支障をきたしたのかもしれない。明滅のその隙間。深い碧の瞳に非難の色が滲んでいる。
「未婚の女性にそんな酷い言い方あります?歳の話はやめましょうよ……」
アラウンド二千七百で歳がどうこう言うか?どこまで理解の外へ行く気だ、このババア。
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