六話

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六話

   アンディシュダールの西側、勝手の知らないコルザの街は、夜を迎えて新たな顔を見せていた。定規を引いたように直列した街路樹には、一本一本電飾が巻かれていて、メインストリートは昼間より明るい。交通用のシグナルは既に消灯。人々は自然と片側通行の波を作り、入り口を閉めた店は、見る限り一つなかった。 「人目の付かない所へ行きましょう」  トレニアはそう言って、店を出て左に折れる。俺も後を追った。昼間に氷菓子買った屋台が、髑髏と錫杖の銀細工を並べている。 「それにしても。さっきのはなかなか良かったですよ。アヤセくん」 「あぁ?」 「聞き分けが良過ぎて遠慮しがちなスミちゃんの為に、困難を買いましたね。荒事は歓迎しませんが、男の子としては素敵です。ポイントを稼ぎますよね」  リングを通した人差し指を、小刻みに振る。イラッときた。 「久々の外で咲いてんのかテメーは。俺はただ、あのいけ好かないお喋り野郎に、貸しを付けてえだけだ」 「ラフィットくんの為でもあると?」 「なんでだよ。アイツも関係ねーし。  あのオゼットってヤツは、評判通りで金回り良さそうだしな。このヘマを埋めてやりゃあ、上手く使えそうじゃねーか。  そうだ。賞品を取り返したら、吹っ掛けて、バイクのパーツやカスタムの手配でもさせてやろうか」 「また魔導二輪ですか……。あれはちょっと、マナの変換コストが悪いですし、自然に良くないですよ。音も凄いし……」 「へっ。オンナには分かんねーよ」  煉瓦造りのワインバーと、小さな花屋の間に、樽が積まれたスペースがある。そこから奥の外階段の裏。表の喧騒が僅かに遠くなった場所で、俺たちは足を止めた。 「コルザの中心部は、地元の方が押さえているでしょう。私たちは、反対側に絞ります」 「具体的にどうする?」 「どうするもこうするも魔法です。探知(ディテクション)のプロパティをカスタムします。それで駄目なら、空から無理矢理反応を起こしてみます」  空からどうするのか気になったが、訊いている暇はなかった。トレニアは指を組み、魔法のルーティーンを始めている。  直後、暗がりの路地に、視認が可能な程の魔力を込めた球体が浮かび上がった。球体はやがて、立方体に変化し、余分なマナを光の粒子に変えて地面に溢す。その揺らぎが収まると、内部で光線が浮かび、点を結ぶ。ここまでがとにかく速い。同じ魔法でも、アカデミーの教師が発動させる半分のタイムだ。  組んでいた指をほどき、立方体の表面を撫でる。魔力の波が完全に固定すると、リベス川で隔てた、コルザとヴルーウィンの地図が完成した。 「周辺の魔帯鉱石をサーチ。係数千五百から二千、雷の理」  トレニアが目を細め呟くと、地図上に数色の光点が出現した。当然、浮かんだ光点は繁華街に集中しながら、各方面にも点在している。山奥から見上げる夏の夜空のよう。ここからの識別は困難に見えた。 「はいはい、お見事お見事。  で。どれから当たるんだ?透徹の魔女サマ。係数がデカいヤツからか?」 「まだですよ。カスタムするって言ったじゃないですか。この状態は、一般的な探知(ディテクション)です」  何を馬鹿な……。特定の自然属性を割り出している時点で、並の魔法じゃ……。  訝しむ俺をよそに、トレニアは立方体の上部を、小指を使って文字をなぞった。 「紫電ヴォルトゥナ……っと」  光の文字の一つ一つが、繋がれた糸を解いて、地図上に落ちた。トレニアは背伸びをしてそれを覗き込んだあと、一歩下がってまた魔力を練る。左肩に添えた右手の指を、一本ずつ折っていく、新たなルーティーン。箱庭の地図は、瞬きのような無音の発光をした。残ったのは紫の光点。 「アンディシュダール市内に九つありますね。  二つ固まっているのは王立魔導研究所で、これとこれは通信社と企業。蒐集家のノエルさん宅に一つ。大型二つはオエノセラ山の発電所。『ダスク』に向かっているのが一つあって、これはオゼットさんが運ばせているものでしょうか。  ……この、リベス川方面移動しているのが、盗難に遭ったそれでしょうね」 「お、おう」  さっきまでの興行魔法が形無しだ。コイツだけは、現代魔法の舞台に立ってはいけない。  トレニアは、また指を繰って箱庭の地図を縮小させると、早足に俺の脇を抜けた。クラスメイトの小さな影が、新繁華街からこちらに向かって伸びている。 「目星が付いたので、オゼットさんの部下と連携を取るのが良いでしょう。盗人は複数人のグループかもしれませんし、捜索戦は数がものを言います」  相手は店番を巻き込んで、計画的な犯行に及んだ。捕物騒ぎになれば、間違いなく抵抗してくるだろう。 「ああ。店に戻って報告するか……。居場所さえ分かっちまえば、追い込むのは簡単だ」 「……ええっと。いいんですか?」 「何が?」  確認の意味が理解出来ず、不可解な間が生まれた。通行人の視線をいくつかやり過ごして、トレニアはぼそぼそと呟く。 「オゼットさんの部下、といいますと。やはり……コルザの不良少年達、ですよね」 「……だろうな。コルキスとかいうガキのクランメンバーだろ」 「アヤセくん。その方達と、その……仲良く出来るのですか?」 「……」  俺は『ダスク』での光景を思い返した。頭を指して嘲笑する同年代のガキ。先にガン飛ばしただの、ウチのシマでイキってんなだの、今にもコナかけてきそうな連中。ナツスミレの奴を連れていなかったら、和んでメシなんか食っていただろうか。 「自信ねえな。前にどっかで揉めたヤツもいるかもしんねえし」 「そ、それでは!私たちは私たちで盗人を追った方が良いかもしれませんね!無理に足並みを揃えようとしても、上手くやれるか、それは疑問ですし!」  そうして見せる乾いた笑顔は、ナツスミレのものではあるが、面影が薄い。コイツはコイツで、すっとぼけたキャラだ。 「お前、もしかして……。コルザの不良と組むのが嫌だからビビッて……」 「びびびびってねーですよ!何でまたそんなのっ!ありえないですよ!見たでしょ?私、凄い魔法いっぱい使えますしぃ!  さあさあ!早く追いましょう!スミちゃんの賞品を取り返しますよ!」  早口でまくし立て、早足で新繁華街に戻る、伝説の後ろ姿は、威厳の欠片も残っていなかった。アイツを称えちまった歴史の研究家たちは、実のところ赤点居残り。  まあ。俺たちだけでやるってのは賛成だ。あれだけのタンカを切った手前、賞品奪還の手柄はこっちにしないと格好が付かない。不良魔導士は、見栄と面子が最優先。  湿り気を含んだ川辺りの風は、昼間より強く吹いて、漁船の光を灯す海へと流れていった。息が詰まりそうだった人の波は、土手に差し掛かる前にプツリと切れて、俺とトレニアは開けた夜空の下に取り残されている。 「反応はあの辺りで動きを止めています」 「こんなところで、何があるってんだ……」  トレニアの指先は、橋の下の緑道から逸れた更地を指している。もう少し近付いてみようと思い、足元の暗い土手を降りた。デコボコの斜面を踵で踏みながら歩くと、夏草の湿った匂いがする。比べたことは無いが、身体に染み込んだ香りの記憶に、魔力の有無は関係ない。この大陸は暑い時期がヒノモトより長くて、うんざりする。  水辺まで十数メートルという位置に、丸太で組まれた小さな屋根付きの小屋を発見した。四角の柱を伸ばした足が、川に沿って建っている。単なる釣り人用のスペースか何か。こんな人気も灯りもない場所は……。 「着工中のボート乗り場のようです。  ……人の気配があります。四人いて、魔導士は一人」  セコい悪党共の巣。 「よし。お前、その魔導士な」 「何がですか?」 「決まってんだろ。相手だよ。三人ぐらい余裕だけど、妙な魔法で援護されたらめんどくせーからな」 「いや、駄目ですよ。殺してしまいます」  息を潜めたトレニアの横顔は、小屋の様子に注視していた。 「オメー、なかなかドス効いてんじゃねーか。そう。ブッ殺すつもりでカマしてやれ」 「つもりって……。だからそんな加減、無理ですよ」 「えっ」 「えっ」  また生温い夜風が吹いた。低く屈んだ耳元で、足の長い雑草が擦れ合う音を聞く。 「なんかこう……。拘束魔法で動けなくしたり……出来ないのか?」 「私の束縛(アイビー)は、皮膚呼吸すら出来なくなるので」 「……眠らせる魔法とか?」 「睡眠(ポピー)は、眠りの中で夢魔に引き裂かれて、精神が死にます」 「じゃあ、当てなくていい。炎の魔法で牽制しつつ、逃げ道を塞ぐのは?」 「ふむ。自然属性の魔法なら、威力を抑えられるかもしれません」  トレニアは指先に小さな炎を灯し、小屋の周辺に狙いを定めた。 「俺が先に乗り込んで、奴らをあの開けた更地に引きずり出す。戦況を見てそいつを……」 「ただ、これ。一度着火したら、何をしても八時間消えないんですよ」 「仕舞ってくれ」  再び暗闇に戻った土手の斜面で、俺は頭を抱えた。思い返せば、制御塔の影響下で俺程度の魔法剣を兵器に変えた奴だ。攻撃系の魔法はすべて度が過ぎていると思った方がいい。 「……お前をおちょくるのも、程々にしておいた方が良さそうだ」  俺はいつもの軽口を叩いたつもり。けれど、トレニアは妙なくらい深刻だった。 「ごめんなさい。私、元は魔導兵器として産み出された存在なので、どうしても……。加減が出来ない、というのは、教育者として恥ずべき事です」  あまり知られていない事がある。春先に何かの間違いが起きて、ナツスミレの後から、俺やラフィットが知った、派手な歴史の嘘みたいな正体。  伝説の魔女は、実のところ俗っぽい。素の性格がそういう奴なのか、俺たちに合わせて若作りしているのか、分からないけれど。コイツは小言以外に冗談も言う。変なところでミーハーだったり、実に下らない事を自慢したりする。俺が苦手な同年代の女子と、その辺りは変わらない。 「この身になっても、また思い知らされるのです。望まぬ時を与えられて、時代に沿わない知識を積み重ねてきたと。有り様が滑稽でも、指を指して笑えれば良かったのですが……」  けれど……。今は見慣れた横顔に、影が差していた。トレニアのその様子は珍しい事……。初めての事だったかもしれない。  だからとて。俺が気の利いた事を言う訳もなく。 「辛気臭い話すんな。今はそんなのどうでもいい」  俺は、軽く握った拳でトレニアの額を小突いた。 「ひゃっ!」  奴は大袈裟に頭を押さえて「うう……」と唸っている。どうしてこう、いちいちぶりっ子リアクションを……。  そこでふと。絶対魔法の存在を思い出した。多岐多彩かつ、エグい攻撃魔法よりも代名詞であるはずの絶対回避、トランスパレントは……? 「……今のは通るんだな」 「はい。厳密な『危害』ではありませんので」  碧の瞳は、どこか戸惑いながらも、大真面目に告げた。 「全然、意味が分かんねえ。弱くても頭を叩けば、物理的な攻撃じゃねえの?」 「アヤセくん……。あなた、そういうところですよ……。  いや、むしろアリなのかな。うーん」  額を押さえながら考え込むトレニアに、俺は得体のしれない恐怖を抱いた。それから奴は、慌ててこめかみに指を添えたのだ。 「『あー。いいなあ、トレちゃんだけ。ズルいなあ……』」  ワケの分からない女子共を、相手にしている場合ではない。パーティー終了の時刻には、まだ数時間あるが、賞品の奪還が間に合わなければ、寒い芝居を打つ羽目になる。 「まあ、ハナから作戦もクソもねえよな。お前はそこで待ってろ。魔法出す前にぶっ飛ばしてやる」 「ふむ。衛士科の戦いとしてはアリですね。ご健闘を」  トレニアはそう言い残し、こそこそと身をかがめて橋の下まで行ってしまった。一応、役に立ったのでアイツはもう用済みだ。俺は立ち上がって川辺りの小屋に向かった。斜面の草むらを出ると、虫の音が途切れ、その代わりに、敵の話し声と、物を運んで動き回る足音が届いた。 「……こっちだ。金具で止めて、そこに固定しろ」 「はい。先方からの連絡は?」  四人分の人影が夜の川面で揺らいでいる。その先に浮かんでいるあれは……。後部に魔導エンジンを積んだ小型の舟……。 「向こうだって、わざわざ確認なんかしねえよ。アシが付いたら、また会場の引っ越しだぞ。こっちがちゃんと時間までに着けばいいんだよ」 「うっす。しかし、値段付きますかね、これ。ガキのパーティーの景品ですよ」 「金券の類もあるし、買ってくれるだろう。つっても、今日のところは、あそこのクランに顔見せしておくのが目的だよ。  まあ、期待していいのは、この鉱石のマティエールぐらいか」 「もし、水ん中に落としたらどうなりますかね」 「舟ごと感電して全員お陀仏……。と、言いたいところだが。放電してただの石になるだけだな」 「なんだ。そんなモンなんすね」  これだけ聞けりゃあ充分か。盗品を売り捌くのが目的のようだ。遊び半分なのか、マジのシノギのつもりなのか知らないが、これから痛い目見るのは変わらない。声を掛けて奴らを止めようとしたその時……。  静かな川面を揺らすほどの轟音が、突然橋の上から響いた。聞いているだけで、腹の中をかき混ぜるてくるような、重く断続的なリズム。遅れて届く、地を這うような排気音。魔導二輪のヘッドライトがこちらを向き、もう一度強くカラで吹かす。生命無き唸り声が、夜の川辺に不穏な波紋を広げていた。 「おい、なんだ……」 「こっち見てないですか?」  橋上から注がれるライトの中を、橋の裏に潜んでいた蝙蝠が、慌てふためき通過してゆく。聞き覚えのある音とシルエットに、俺は思わず惹き付けられていた。 「ゴールドロッドの『プロフェット』……。レイズギアのフルエキ……。  アイツ。ユリウォ・グラスハイムじゃねえか……?」 「えっ!?なんでまた……」 「知るか!早く乗せて出しちまえ!」  しまった! 「オイ!待ちやがれ!」  俺は慌てて飛び出した。が、エンジンを積んだ小型舟は、水飛沫を上げて川の中央まで進んで、中洲を器用に避けながら行ってしまった。舟のスピードはそれほど早くないが、川のど真ん中じゃ、為す術が無い。  一瞬の出来事に何秒も呆然としていたのか。 「こんな所で何をしている」  夜の挨拶が飛んでくるワケもなく。ユリウォは、冷たい刃物みたいな質問を俺に向けた。黒髪もスカーフェイスも辺りの闇に潜んでいるが、温度を飛ばした声は、奴がそこに居る事を示していた。  少し考えたが、隠すような事は何一つない。川下に向かって指を差した。 「今、舟で逃げていった奴らを追っていた。窃盗団みたいな連中だ。  アンタが橋の上で派手な音出すから気付かれちまった」  ユリウォは俺の背後を伺いながら、独り言のように言った。 「なんだ。奴らの仲間じゃねえのか」 「そんなわけない。俺はアンタの部下が開いたパーティーで遊んでただけ。その成り行きで、ロッタリーの景品を取り返す事になった」  暗くて表情までは伺えない。ユリウォは煙草に火を点けて、最初の一口を軽く吐いた。 「オゼットはメンバーだが、部下じゃない。……まあ、それはいいか。 『ダスク』のイベント中に、景品がパクられたのは聞いている。こうして、俺まで駆り出されるなんてな」 「じゃあ、アンタも?」 「追ってはいる。形だけで、やる気はないが」 「形だけ?」 「捕まえたら見せしめだ。落とし前を付けなくちゃならない。それが面倒だ。  ウチのクランの品に手を付けた盗人がどうなるか知りたいか?アヤセ」  悪名を広げているコルキスに依る、徹底的なリンチか。俺は質問に対して、正直に答えた。 「どうでもいい」 「そうか。お前は不良をやっているくせに、結構身軽なんだな」  嫌味か何かだろうか。こいつの顔色を変えてみたくなった。 「あんたこそ。アタマ張るのをダルぶっているわりに、面倒見が良いみたいだ」 「なんだ。気に触ったか?  でもまあ、確かにそうか。自分でも……」  ユリウォは悠々とした歩みで、俺の脇を抜けた。奴らの痕跡を調べようとしたのか、川辺の小屋の脇でしゃがみこむ。 「何がしたいのか、分からない時がある」  それについて、どんな反応をすればいいのか。仕方なく、俺も奴に続いて小屋に近付く。静まり返ったこの場所に、控えめな川のせせらぎが届いていた。  当然だが、これといった手掛かりもない。盗んだ品をここから川を伝って運ぶ予定だったという事実ぐらい。逃げた方向は確認できたが、川から海に出る前には水門がある。そもそも、あんなボートで外海に出ようとするのも無理な話。つまり……。 「リベス川を斜に渡って、東側に向かった?」 「だろうな」  方角的に俺のバイト先、ジキタリスのアジトがある歓楽街。それと、逃走手段に川を利用したのだから、水門手前の工場地帯のどこかが怪しい……。コルザ側より地の利はあれど、歓楽街まで逃げられたら、さすがに時間切れだ。奴らがヴォルトゥナを抱えている内に追いつかないと……。  考えに耽っていると、低く淀んだ声が追ってくる。 「お前がオゼットと、どういうやり取りをしたのかは問わないが……。  この件は、俺たちコルザのヤマだ。ヴルーウィンの小僧がウロチョロするな」 「……嫌だと言ったら?」 「怪我では済まない」  ユリウォは短く答え、煙草を持ったまま土手を上っていった。急ぐ様子もなく、バイクのエンジンをかけると、地を這う排気音と共に遠ざかっていった。瞬く朱の尾灯は、橋を東に流れていく。  俺たちにもアシが必要だ。 「あの少年……。相変わらず、年不相応な凄みがありますね。いったい、どんな経験をしてきたのでしょう」  隠れていたトレニアが、したり顔で橋脚の陰から現れた。またユリウォにビビッて、存在を背景にしていたらしい。 「それより、奴らを追わないとな。仕切り直しだ」 「そうですね」 「ていうか、もうめんどくせぇよ。  お前。テレポートとかで、奴らの近くに行けないの?」 「私だけなら可能です。でも、生身のアヤセくんは、細胞が分子分解を起こして、この宇宙から情報が消えてしまいます」 「おう」  深く訊くのはやめた。時間の無駄。 「ええっと……。走って追うなら、補助魔法は?」 「バフは嫌だ」 「なんでですか。衛士科なのだから、被補助訓練を受けているでしょう?私の機敏(アルストロメリア)は、効果抜群ですよ?」 「いや、ただでさえ補助魔法は反動がキツいのに、お前の事だから……」  伝説の魔女は、気まずい様子で顔を背けた。 「……死ぬことはありません。アヤセくんは、日頃から鍛えているでしょう」  一時の敏捷性を得るために、どんな代償を差し出せというのか。 「もう普通に追うぞ。これ以上、モタモタしてらんねえ」 「あっ。待って下さいよ!」  俺が土手の斜面に向かうと、トレニアは声を張った。 「本当は嫌だけど、仕方ありません!  ……これで行きましょう!」  視線の先の土手の上。突如出現した魔力の球体が、月明かりを受けて揺れている。その揺らぎは波紋を広げながら、複雑に、精密に、見覚えのある形を造っていった。そろそろ目を疑うのにも慣れてきていいのに。そう言いたくなるのも仕方がない。 「マジかよ……。ホント、デタラメだぜ……」  しかしながら、コイツはご機嫌だ。俺という奴に、それさえ与えておけば間違いない。この大陸唯一のイカしたオモチャは、風を起こす魔法よりずっとキレているから。あのスカーフェイスに、見せびらかしを食らったばかりだし。 「無機物なら転送も可能なので。一度、学校で実物を見た事があって良かったです。  あ。でも、鍵が必要なんでしたっけ?」 「いつも持っている。乗らなくても」  俺はスーツの内ポケットからキーを抜いた。魔導エンジンを掛けると、ハンドルを押さえた右手に、慣れた振動が伝わる。フェアリング前部に小さく刻まれた『サプライ』の文字に、仄かな灯りが点いた。 「お前やっぱ凄えよ。色々見たけど、これが今日イチの魔法だ」 「えぇ……?それはそれで複雑です……」  川沿いは遊歩道だからバイクは通れない。橋を渡って東側に移ったら、暗いリベス川を右手にして、工場地帯の道路を使う。昼間は工事用の魔導重機が幅を利かせているが、今なら空いているだろう。何度か走った事もあるので、迷う事はなかった。  クラッチを切って、アクセルを開ける。魔法で無理やり呼ばれたけれど、おかしなところもなく。俺のバイクは、いつもと変わらない返事を鳴らした。 「よし。後ろ乗れ」  俺はリアシートを顎で指して、トレニアに呼びかけた。けれど、奴はまごまごするだけで、バイクに近付こうともしなかった。 「なんだよ。急いじゃいるけど、飛ばしたりしねーって。道も良くないし」 「アヤセくん。今まで誰かを乗せた事はあるのですか?」 「そりゃあ……。ねえけど……。  そんなに危ないもんじゃねえからビビんなって」 「いや。ビビッてませんよ。  そうじゃなくて、初めて後ろに乗せるのは、私じゃなくてスミちゃんにしてあげるべきだと思います」  またワケの分からない事を……。同じ身体じゃねえか。 「じゃあ、どうすんだ?置いてっちまうぞ?」 「お気遣いなく。私はこれで……」  トレニアは胸の前で両手を合わせ、魔力を込める。素早くルーティーンを済ませると、何も無い空間から棒状の物体を引き抜いた。その先端には、本来の用途にはそぐわない、無駄に整った繊維の束を着けている。  一目見て、その先を想像して。俺はこみ上げるものを押し殺し、顔を背けた。そんなベタな事があるか。 「……何か?」 「いや。だってお前それ……」 「空飛ぶ箒です。魔導二輪よりずっと低コストで、尚かつ速いですよ。  ……アヤセくん。どうして笑っているのですか?」 「……笑ってない。だから、それ持ってこっち見んな」  訝りながら、トレニアは箒を水平に浮かせる。直後、重い風が地面に向けて発生し、長い夏草を撫で倒した。凄え出力だ。どうかしている。 「……もしかして、馬鹿にしてません?」 「してない」 「並の魔導士なら十年は修行しないと扱えない、純粋な飛行魔法ですよ?魔力で空を飛ぶ、というのは、魔導の到達点の一つ。これぞって感じしません?  ちなみに、私は半年で形にしましたけどね」  駄目だ。なんか自慢してやがる。俺はその場にいるのが耐えきれず、アクセルを思い切り捻って発進した。 「あーっ!待って下さいよーっ!」  トレニアの箒は本当に俺のバイクより速かった。あっという間に、横に付けられてしまう。そのスピードは、いっそ気味が悪くて、なお笑いを助長させた。 「橋を渡ったら右ですよ!その後、二本目の交差路を左前方!」 「案内なんかいらねえよ!お前は誰かに見られないように、上飛んどけ!」 「もうっ!」  土埃を後方に巻き上げて、トレニアの箒は高度を上げた。月と雲の間を駆ける魔女は、長い髪を手で押さえながら、夜風のベルトに滑り込む。あんな反則みたいな魔力で横付けされるなんて面白くない。  空はボケっと見上げる場所で、浮かんでて良いのはでかい雲ぐらい。地べたには、ケンカのスリルとスピードがある。誰も彼も、そこに置いていきたくなるようなストレスが、化ける瞬間。いいかげんな興味で摘んだ酒も煙草も、この快感には程遠かった。  夜に染まった橋上の景色が、視界の外に流れてゆく。借りた黒のスーツは、生地が安くて少し冷えた。成り行きで面倒な追いかけっこをしている途中なのも忘れて、スピードを目一杯浴びる。 「アヤセくーん!」 「ああー!?」 「こんな事態ですけど……、ドライブには良い夜ですねー!」  気が遠くなるほどの夜を超えてきただけあって、アイツも色々と麻痺しているみたいだ。それってどんな気分なんだろうか。俺は独りを楽しむ方だけど、二千七百年はやり過ぎで、どっかおかしくなっちまうんだろうな。  道が徐々に狭くなって、街灯の間隔は伸びてゆく。辺りの景色も変わってきた。湿った煉瓦の倉庫が並ぶ、川沿いの工業地帯。金網の外は手付かずの草っぱらが伸び放題で、ここでも虫の音が波を立てていた。  この先は道が更に悪い。俺はバイクから下りて、周囲の観察に務めた。横長の倉庫が交差点を作り、網の目になっている。昼間は工員と重機が忙しなく行き交う場所だったと思うが、夜に来ると妙に不気味な雰囲気だ。オバケは間に合っているけれど。 「反応はこの辺りで留まっているようですね。廃棄物棟の一番奥の建物……」  上空から戻ってきたトレニアは、一際錆で変色している建物を指差した。一応、足音を立てないように気を付けながら、早足で近付く。 「倉庫の中にいるのか?」 「いえ。屋外のようですが……。何か様子が変です……」  直後、鈍い打撃音とうめき声が、暗闇の中で反響した。短い怒声と複数人の足音。このすぐ先で、荒事が起きている……。 「あわわわわ!」 「お前、その辺に隠れてろ」  トレニアをその場に置いて、俺は音のする方へ駆け出した。  なんだかそんな気はしていた。案の定と言って良い。場面は、バイクのヘッドライトの小さな輪の中、ユリウォが盗人らしき輩を相手にしている最中だった。 「クソっ!!」 「死ねオラァ!!」  得物を持った四人と、肩の高さで軽く拳を構えたユリウォ。俺は不良少年のカリスマが、やたら強いらしいと聞いていたので、大勢に驚きはしなかった。振るった拳が真空の刃になるわけでも、踏み込んだ足が地面を割るわけでもない。魔法じゃあるまいし。  ただ、ユリウォが避けた位置に角材が振り下ろされ、直後の秒間に三発の打撃が入り、盗人は地面に崩れる。気圧されて、同時攻撃が出来なくなった残りに詰め寄って、ガラ空きの顎を打つ。ユリウォの体重、打撃音からして、それほど重そうな拳ではない。その代わり、ヘッドライトの影を置き去りにするような速さだった。  最後の一人、ナイフを持った手を絡め取ると、足を払って無造作に地面に叩き付けた。関節が外れた奴の聞き苦しい悲鳴。それを朝のアラームを止めるような気楽さで踏みつける。そこでようやく俺と目が合った。  普通、人を殴れば興奮する。刃物を見れば恐怖を感じる。けれど、ユリウォの凍りついた視線は、一切の熱も残してはいなかった。 「ウロチョロするなと言ったはずだが?」  俺は武道の達人ってヤツを知っているし、自分が強いと思った事もない。どこまでいって何を積んでも、上には上がいる。  だからかもしれない。誰かのケンカ見て戸惑ったのは初めてだった。 「……こっちにも、ソイツらを追う理由がある」 「それなら、遅かったみたいだな。消えろ」  何か言い返せ。腹の下から込み上げる不可解な感情が、それだけを指示していた。 「命令してんじゃねーよ。言っただろ?ソイツらがパクったブツは、俺がダスクに持ち帰る」  ユリウォは足元に転がった輩を、足で無造作に退けると、黙ってこっちに向かって来た。俺はすぐに直感した。ほんの数秒後。手の届く距離に来たら、前置きなしで殴り合いが始まる。奴は忠告し、俺は背いた。そのもっともな理由で、さっき見せた、稲妻のような拳を躊躇なく振るうだろう。  本当に大した理由なんてないのだ。自分より偉そうな奴が、逆らう奴が気に入らないから。怒りとも憎しみとも違う、名称不明の感覚を優先する。一つか二つ歳が違うらしいが、程度は一緒。理念も信仰もない不良だから。  拳を構えて視線を上げる。リーチは僅かに分がある。絶対、必須で、先に一発入れてやろうと、小指に力を込めた時……。  突然、八方からの駆動音が辺りを包んだ。無表情だったユリウォが舌打ちをする。続いて、白の光線が俺達の間を交差し、辺りは昼間のように明るくなった。数メートルまで迫っていた敵から目を切ると、体格の良い男が一人、前に出てきた。 「すいません、遅くなりました。わざわざユリウォさんに出て貰ったのに。  ……ソイツが的ですか?」  ライトの逆光と伸ばした影に挟まれた男は、俺を見ながらよく通る声でそう訊いた。すぐ後ろに数人来て、対峙していた俺とユリウォを囲む。それはとても慣れた動きで、こちらが自由に動ける距離を効果的に奪っていた。 「お前が来たか、ラド。  コイツは違う。……そっちの四人だ」  ユリウォが顎をしゃくると、いくつもの視線がそちらを向いた。 「既に死体じゃないっスか。ユリウォさんのケンカ、見逃しちゃったな」 「金を貰ってやったみたいだ。叩き起こして、画を書いた奴を吐かせろ」  ラドと呼ばれた男の軽口には取り合わず、ユリウォは光の輪を外れて、倉庫の壁に背中を預けた。 「分かりました。あれ?ていうか、こっちのガキ……」  水差し野郎のラドは、ハキハキと早口で喋る。返事をしながらもう一度俺を見た。 「黒髪で外人。ヴルーウィンの二年でしょ?」  俺もユリウォも答えなかったので、それは独り言になった。けれど構わず、ラドは勝手に納得すると、盗人たちの一人を服を掴んで引き上げた。 「こっちはこっちでマテウスじゃん。こいつ、また混ぜモンに手を出して、追い込み食らってんのかな。ほら、起きろよ」  そいつは盗難と同時に姿を消していた、モギリの派遣バイトだった。顔を何度もハタかれて、ようやく薄目を開けたが、まだ立てないようで、雑草が伝う石の地面に膝を付いた。 「う……。うぇ……」 「よう。誰に唆されてこんな真似をした?」  痛みからくる吐き気か、顔を上げられないマテウスは、唸りながら力なく首を振っている。 「とっとと答えろ」 「言え……ない……。言ったら……。奴らにも、やら……れる」 「ああ、これ面倒くさいヤツかな。  ユリウォさーん!俺の方で決めていいっすよね?」 「好きにしろ」 「あざです!それじゃ……。  今ここで洗いざらい話すなら、お前だけは見逃してやるよ。どう?」  自分だけ。言葉の意味を虚ろな頭で懸命に咀嚼する。やがて転がっている盗人仲間に視線を移した。 「アイツらは……?」 「そんな事を気にしてどうすんだ?俺は、今、目の前のお前に、仲間と雇い主を売れって言っているんだ」  ラドは節を付けて凄んでいる。どこかおどけた調子は、気味が悪くて効果的。ユリウォによって痛めつけられた盗人に、戦意はもう残っていなかった。うめき声を震わせながら、不自然に頭を揺らす。眼前の新たな暴力を恐れているのが、ありありと見て取れた。 「盗んだモノを何処に卸すつもりだったのか、どうやってコルキスから逃げるつもりだったのか……。もう知らねーけど。  場面読みな。お前は下手打ったんだよ。もう西側でのうのうと暮らせない。俺たちは明日から、お前のヤサも仕事先も押さえにいく」  立ち上げたばかりのクランと聞いていたが、組織力は確かに。改めて見渡すと、どいつもこいつも加減を知らなそうな不良少年ばかりだ。この数はケンカにならない。それは、すっかり手持ち無沙汰になった俺もなのだが。 「五体満足、別の街でやり直したいなら、とっとと吐いとけ。……三十秒、数えてやろうか?」  ラドは最後通告と共に、囲みのクランメンバーへハンドサインを送った。僅かにあったざわめきが収まり、鋭い視線が注がれる。色めき立つ暴力の圧力に、三十秒は不要だった。 「ミ、ミゲル……」  俺は無表情を努めながら、哀れな盗人の声を待った。 「ミゲル・フォン・ディアブリードっていう、やたら羽振りの良い学生だ。ソイツに金を貰って、今日のイベントに難癖付ける計画を立てた。その為の準備や魔導士は、奴が手配した。  景品は、この倉庫街で商売をしている適当なクランに買ってもらうつもりだったんだ。盗ったモノは好きにしていいと言われたから……」 「あっそう。それで?ミゲル、ね?  ……誰か知っているヤツいる?」  厚い雲が高い月を隠すよう。軽い調子だったラドの声が、鉛を抱いたように深く沈んだ。  不良少年たちの囲いに緊張が伝う。出てきた名前に覚えが無い事。あるいは、不確かな情報しか出せない事に怯んでいるのか。  ただ。俺は少し前に起きた屋上のケンカで聞いている。ミゲルとかいう奴は、コルキスをバックに付けたのではなかったか?困惑の広がる倉庫街で、やっとそれらしき発言が出た。鋲だらけのジャケットを着た男が、遠慮がちに手を挙げた。 「……最近。公立のガッコーの奴らを数人引き入れたんですけど、中にそんな名前があったと思います」 「おいおい……。ウチのメンツって事なの?ずいぶんだな」 「ただ……。今日の集合にも応じていません。聞けば、何日か前にウチの二年と揉めたみたいで……。扱いどうなんのかって現状です。すいません……」 「へえ……。なーんかキナ臭いじゃん。オモシレー……」  口先と上っ面だけで、少しも愉快に思っていないのが見て取れる。自分たちのシノギにケチを付けたのは、同年代のガキで、しかも身内。不良ってのは、ナメられるのが大嫌いで、倍返しが大好きだ。  数週間ほど前。ラフィットの幼馴染で、奴にコナをかけてきた、ミゲル・フォン・ディアブリード。コルザ方面でツラが割れてないのは、果たして幸運か計算か。  ラドは掴んでいた盗人の襟首を離すと、顔だけ俺に向けた。 「お前は?ヴルーウィン。この場に居るって事は、何か噛んでんだろ?」  態度や顔付き、纏っている空気から、コイツがそこそこやりそうなのは分かるけど。俺はナメられるのが大嫌いなので、返事に敵意と嘘を込めた。 「そんなダセー名前じゃねえ」 「……あぁ?」 「ミゲルとかいうのも知らない。俺はパーティーでパクられた景品を取り返しに来ただけだ。オゼットってニイちゃんに頼まれてな」 「オゼット?『ディーラー』とか謳ってるあのセンパイかよ」  俺がうっかりだったのは、オゼットの名前を出してしまった事か。ラドは拍子抜けした様子で、現れたときの軽い口調に戻った。 「って事は、モメたらややこしいじゃん。紛らわしいヤツ!」 「……よく分からねえけど」 「まあ、そしたらあれだ。景品。ええっと……。あの箱かな」  ぞんざいに言い捨てたラドは、光の輪を離れる。そうして、目敏く盗人達の積荷のカートを見つけると、中身を軽く確認してから、俺に寄越した。 「代わりに届けてくれるんだろ?そういう事ならヨロシク頼むわ」 「え……。ああ、そうする」 「じゃあ行くか……。  おい!運べる奴ー!ソイツら拾ってー!」  どうやらコイツはオゼット側とトラブルを起こしたくないようだ。ユリウォの方とはどうなる事かと思ったが。  気付けばそのユリウォも、いつの間にか姿が見えない。コルキスの連中は、残りの盗人を乱暴に起こして、素早く倉庫街を出ていった。どこか間抜けに残されたのは、合成樹脂の箱の中で紫の火花を散らす小さな鉱石。最新の通信マナギミックが三つ。レストランの招待券。麻布に包まれた絵画と、バンブーシュートとかいう食材が、持ち帰るのに少々嵩張るか。それと俺。 「今のコ達は、ふ、不良グループでしたね!凶器準備集合ですよ!なんてこと……!」  あと、隠れていた魔女。呑気に浮かぶ星と月の位置を測っても分からなかったので、俺は訊いた。 「イベントの終了時間、タイムリミットまでどれくらいだ?」 「あと一時間半はありますね。スピード解決です。私の魔法、お役に立てたと思いませんか?」  異論無し。俺は汚れなかったスーツの膝をはたいて、景品を載せたカートをゴロゴロと引いた。これは地味に嵩張る。エンジン付きの船は良い手だったか。  取り返した景品をどう持ち帰るのかを相談した結果。失笑モンの空飛ぶ箒の先に、ヴォルトゥナと通信ギミック。レストランのチケットは内ポケット。バンブーシュートは袋に入れて左ハンドル。一番デカくて邪魔な絵画は、バイクの燃料タンクに、バンドで括り付けるしかなかった。『サプライ』の光文字が、隠れてしまって、なんだかもの悲しい気分だ。 「これじゃあマトモに走れねえ……」 「いいじゃないですか。時間ありますし、ゆっくり走行ですよ」  まるで張り合いのない向かい風を置いて、俺とトレニアは『ダスク』までの帰路に着いた。来た時とは反転、左手に並走するリベス川は、横長に伸びた街の灯を映している。まずまずの眺めだが、拍子抜けの奪還劇の終幕には、過ぎたカットだった。 「ひとまず、ケンカにならなくて良かったですね。どうなる事かと思いましたよ」 「ああ。死人が出なくて何よりだ」 「……それは私の魔法への皮肉ですか?」 「おう。お前がガチだったら、盗人は灰だし、コルキスの奴らがエスカレートしてたら、傷害事件じゃ済まなかった。両方だな」 「……今後は加減出来る魔法を用意しておきますって。  いや、それもどうなのでしょうか……?何か間違っているような……」  この速度だと、地面の凹凸が直に響く。ハンドルは切り辛いし、物を運ぶのはもうこれっきりにしたい。 「コルザってウチより偏差値高いのに、なんであんな不良ばっかなんだ?」 「知りませんよ……。けれど、ああ……。学園の理事を勤めた身として、少々遺憾です」  真面目腐った魔女を笑い飛ばしながら、道を滑ってゆく。なんとなく訊いてはみたけれど、偏差値と血の気は全く関係無い。誰かのああしろこうしろという音が、真後ろに溢れていくのだ。どいつもこいつも勝手だから、ケンカぐらい起きる。 「お前さあ、長生きしてきたんだろ?」 「はい?」 「このリベス川。大昔は流域も狭くて、腐った沼みたいにダラダラ流れてたらしいじゃん」 「……よく知っていますね。授業で覚えましたか」  気まぐれで黒板を眺めていただけ。 「絶対戦争(アブソリュートウォー)の決着より少し後。平和調停を結んだってのに、国と旧貴族の争いが何代も続いちまって……。裁判がテロに。マネーゲームが要人暗殺に。橋を掛けて水門が建つまで、二百年も費やしたってな」 「昨日の事のようです……。と、言いたいところですが、そうもいきませんね。あの頃は、私の名前で国務に関わるのを辞めるべきかと……」  箒の柄が魔力の粒子を振りまく。それを、夜風が攫って後ろのカーブに置いていった。 「頭の出来が違うだけで、俺らみたいなのと変わんねえよな。国の歴史ってヤツに、口先だけで解決した揉め事なんてよ……」  魔女の箒はスピードを上げて、バイクの前に出た。風に揉まれた鳥のようにくるくると回転している。かと思うと、箒は横向きのままで、背走する格好に。重力も慣性も魔法でうやむやだ。 「ありましたよ。両手で数えるほど」  トレニアがうるさいと言った魔導エンジンは、低速ギアに噛ませた静かな鼓動を続けている。それは、意図せず溢れた笑い声を遮ってくれた。  ずっと訊いてみたい事があって。目の前の景色のついでだと、その時は思った。 「お前ってさ。どうやって死んだの?」  コイツの肉体はとっくの昔に無くなった。百年ごとに、ダリアとエギザカムを往復するだけの、装飾を施した骨。バイクと同じ速さで飛べる魔法は、同級生の身体を借りて発動している。  トレニアは困ったようなツラを真上に向けて、あろうことか、非難を口にした。 「それ。スミちゃんも知りたがるんですよ。困っています」  如何にも重要そうな話題だが、その辺の経緯は話していないのか。女の友情って分からない。 「俺はともかく……。ナツスミレはそりゃ知りたいだろうよ」 「でも、これって殆ど失敗談なんですよ?トランスパレントを破ったのは身体の方だけで、それも一時的。精神体は残って、魔法は再発動しているわけですから。方法論として、おすすめ出来ません」 「……」  ナツスミレの目標は、コイツと自身の絶対魔法、トランスパレントを破る事だ。正史上は失踪の後、数年後の遺体発見という扱いになっているトレニア。無敵のメカニズムを保ったまま、しかし確かに死んだという事実。どう考えても打開のヒントになる。 「言わなきゃ駄目ですかね?何をしたのかを知るにしても、順番がもっと後なんです。私の予定では」  順番と予定って何だ。女はわざわざカレンダーに学校だとか買い物だとか色を塗る生き物だ。 「そこ隠すのがよく分かんねえ。お前ら、ホントに仲良いのか?」 「なっ!?なっ!?なんて事を!!」 「おわっ!?」  前を行くトレニアの飛行が突然乱れた。翼の役割を担う穂先が地面を擦り、バランスを失う。すんでの所で持ち堪えたが、あやうく前輪に激突するかと思った。 「あっぶねえな!ちゃんと飛べよ!」 「仲良しに決まっているでしょう!?どこを見ていたらそんな疑いが出てくるのですか!?」  見ていたらって、厳密には見てねえよ。道の真ん中で噛み合わない非難が交差する。 「んだよ。そんなマジにとんな……」 「難癖付けちゃって!私にスミちゃんを独り占めされるのが嫌なのでしょう?」 「はぁ?」 「まったく……。悪ぶってカッコ付けている癖に、つまらない嫉妬はするのですね。いいですか?ちょっと好かれていると思って安心していると、思春期の女の子は、すーぐ心変わりしちゃうんですよ?スミちゃんのような由緒正しい良家のお嬢様が、アヤセくんみたいな捻くれムッツリ不良少年と……。ひぃっ!?」  俺は初めてバイクのクラクションを使った。思ったよりも甲高いその音は、トレニアの早口を断ち切るのに一役を買った。音にビビって箒と共に夜空へ投げ出されたかに見えたトレニアは、景品を魔法で捕獲して、ピタリと逆さで停止した。 「はっ?思わず取り乱してしまいました……」  俺は改めて危ない奴だと思った。コイツと比べたら、ユリウォもコルキスも、まだシャバい。ナツスミレとの関係に茶々を入れるのは、言葉を選んでからにしよう。 「ったく……。バカバカしい。  話しても意味ねえってんなら、もういいよ。俺は別にどっちでも……」  トレニアは回転しながら滑空し、体制を立て直した。 「手段で言うなら剣です」 「……ん?」  トレニアの指が左胸を指している。滅多に出来ない夜遊びのために用意した、ナツスミレのおめかしを、トントンと突く。 「心臓を一突き。失血死でした」  月と川の間で揺れる魔女は、笑顔さえ浮かべている。強がりなのか、皮肉なのか、どちらも違うような気がして、言葉が出ない。理由もなく、波打ち際の飛沫をただ見つめるような数秒が過ぎた。  俺は別に、トレニアの言葉を疑ったわけではない。これまでコイツは、説教と冗談と屁理屈は言っても、嘘は言わなかったから。 「それは変だろう。刃物でブッ刺したら『危害』だ」 「事象としてそうですね。でも。私を刺したその彼は、特別だったのです」 「はっ!聖剣に選ばれた勇者様だったのか?」 「いいえ。名家の生まれでしたが、剣の腕は私が見てもお粗末でした」 「じゃあ、何が特別なんだ?」  口を滑らせたトレニアだったが、話し始めると言葉に淀みは無かった。碧の瞳が夜空に逸れても、その声は通る。 「その時の私が、心の底から『この人になら殺されてもいい』と思ったからです。私を殺す事も、彼の本気の願いでした。それを受け入れたのです。  選んだのは、聖剣でも運命でもありません。私自身が、彼を特別にしていました。私の抱いた彼への感情が『危害』という認識を超越したのです。  スミちゃんも聞いてください。半分以下の結果で構わないなら、お教えしましょう」  魔導エンジンを切ると、辺りは静寂へと向かった。慣性に合わせて、箒の速度も落ちていく。移りゆく視界が完全に停止したとき。伝説の魔女が溜めた息を静かに吐いているのを見た。  どうしてか、言葉を失った俺は、ただ呆けて夜空に浮かぶ魔女を見ていた。その瞳の裏に居るナツスミレを待って、トレニアは告げる。 「絶対魔法、トランスパレントに風穴を開けたのは、愛。  私が愛する人ならば、私を殺す事が出来ます」  取り返した景品を抱えて『ダスク』に戻った俺たちを、パーティーの主であるオゼットが入口で迎えた。 「コルキスのメンバーから報告を受けた。よくやってくれた」 「ああ……。まあ、殆ど何もしてないけど」  そう言って差し出した絵画を、オゼットは薄く笑って受け取った。 「景品が返ってくれば、経過は問わない。それに早かった。茶番の草稿を書き直す時間はたっぷりある」 「正直、芝居だけは死んでもバックレるつもりだった」 「お前。本当に良い度胸しているな」  オゼットに続いて階段を降りると、フロアは変わらず熱気に包まれていた。笑い声と嬌声があちこちで上がっている。今から店に入って来る客など、気にも止めない仕上がり具合だ。 「お疲れさん。お手柄だったみたいだな」  耳が嫌になる馬鹿騒ぎの中、ラフィットは元いた席でくつろいでいた。テーブルは追加の皿で隙間が無い。 「……別に。俺が留守番でも良かった」 「そうなの?  まあ。芝居やる羽目になんなくて良かったじゃん。見ろよ、これ。窃盗グループがマジックショーで退治される、キレたシナリオ」  差し出されたのは、チラシの裏に書き込まれた、即興芝居のト書き原稿。文字の上を、赤と青、フロアの照明が交互に縦断する。俺はただ、それをぼんやりと眺めていた。なんの感想も浮かんでこない。 「……何かあったのか?」 「……あ、ああ。  結局、何もしてないんだ。鉱石の魔力を追って、川を渡ったら……」 「いや、そうじゃなくて……。なんつーか……。二人共。やけに難しい顔をしてっから」  言われて思わず、ナツスミレと顔を合わせた。少し困ったような笑顔が、俺を見上げている。  ラフィットの奴は、意外とこういう勘が良い。それこそ成り行きの結果だが、奴に関係のある情報も得た。けれど、今日ここで話す気にはなれなかった。どうしてか、別件の方が気持ちの尾を引いているからだ。 「……悪い。何もないってのは少し違った。でも、この店も言ってみりゃ、コルザのシマだし……。明日でいいか?」 「お、おう……。まあ……。とりあえず無事だったわけだし、別に……」 「助かる。お前にも面倒掛けたな」  珍獣を見るような視線をやり過ごして、皿に残った冷めた肉を摘む。 「人質との再会を喜ぶのもいいけれど……。ひとまず、それを預かりたいのだが?」  そうだ。イベント中に突然消えたはずの景品を抱えている。ラフィットをその場に残した俺とナツスミレは、オゼットの後に続いた。  通されたのは、キッチンカウンター横の小部屋。表の看板と同じフォント、スタッフオンリーの札が掛けられている。  ドアを閉めると、フロアの喧騒が少し遠のいた。中は事務所兼控室といった造りで、斜めに切られた天井の、剥き出しの水道管や電気系統の配線が、下手クソなガーデニングのように伝っている。内装に凝っているのはフロアだけだった。  部屋の奥、申し訳程度の応接セットでは、手前側に人の良さそうなオッサン。さっきステージから紹介されていた、この店のオーナーだったか。  その向かいに意外な人物がいる。ナツスミレが、俺より先に横で頭を下げた。 「……ちわす」 「よう」  俺が見習いで出入りしている灰色クラン、ジキタリスのサブリーダー。ガルシア·リタンは、いつものように素っ気なかった。 「なに、お前。普段こっちで遊んでんのか?」 「いや。たまたまっすけど。……ガルシアサンは?」  ガルシアは足元に置いた趣味の悪いハンドバッグを手に取ると、グラス出しされた葡萄酒を飲み干して立ち上がった。 「お前に説明しても仕方ないけど、まあいいか。  営業だよ。西側はまだ、どのクランも縄張りを張れていないからな。挨拶がてら、色んな店で顔を覚えて貰っている」 「はあ」  ジキタリスとて、親は知れていても、まだまだ小さなクランだ。おしぼりを三ヶ月分だけ卸すのにも、地道な活動は欠かせないのだろう。 「お前、明日事務所来る?」 「はい」 「んじゃ、コーヒーのフィルターとドッグレースナビ買っといて。週刊の方。間違えんなよ。あと、クリーニング屋が来るから受け取りな?」 「……ワカリマシタ」  俺も地道だ。借金のキリトリに付いていく日はまだまだ遠い。  営業とやらは既に終わっていたのか、ガルシアはオーナーに挨拶をして、帰り支度を始めた。俺が横にずれてドアの前を空ける。すると……。 「……お前、その黒いスーツ。俺のだろ?」 「……え」 「昔、シャレで買ってみたけど、結局着なかったんだ、それ」 「あー。ええっと……」  無断で服を持ち出した俺の弁解を待たず、ガルシアは部屋を出ていった。少し考えたが、お咎めなしなら着ていても構わないのかと、勝手に判断した。それにしても、この国における黒は、よほど忌避される色らしい。ヒノモトではむしろスタンダードなのだが。 「アヤセお前。ジキタリスのメンバーなのか?アジトに出入りしているという噂は聞いていたが……」  そうだとは言えない。けれど、全く違うとも言いにくい。俺は言葉を選んで答えた。 「いや……。雑用のバイトで雇われてるだけ。準構成員ですらない」  話の流れで、ガルシアとの関係を簡単に説明した。オゼットは神妙な面持ちで頷くと、応接セットを片付けているオーナーに訊いた。 「ガルシア·リタンとは、どんな話を?」  オーナーは貰った名刺をひらひら振りながら答えた。 「特に何も。西側の景気の話をしていただけだよ。こっちが話せる範囲でね。  ケツ持ちなら間に合っているって暗に示したら、突っ込んだ話はしなくなったな」  お互い何かあれば御用立てってところ。そう加えて、オーナーは通信ギミックで通話を始めた。デスクの書類を確認をしながら、酒類の銘柄と、アメニティ商品を伝えていく。  俺とナツスミレは部外者だし、景品を置いて部屋を出ようとした。が、オゼットはまだ何事か思案している様子だった。 「なあ、俺たちはそろそろ……」 「……景品が消えた時。あれは、上手くやられたな」 「?」 「フロアは暗く、ステージに注目が集まるタイミング。何らかの魔法があったにしろ、大胆なアクションだった。あのマテウスとかいう派遣バイトが、上手く手引きをしたと言えばそれまでだが……」  魔法の心得と手品の手口。そう言えば、そんな講釈をされたっけ。 「あの……。何か……?」  ナツスミレの小声は、通話中のオーナーを気にしたもの。それを受けたオゼットは、ため息のような笑いを漏らして、襟元を正す。慣れてしまえば、気障な素振りも自然に映るものだ。 「……いや、すまない。この盗難事件は、君たちの活躍もあって、決着は付いているんだった。実行犯はコルキスが押さえて、品は回収済。画を描いた雇い主も、名前が割れた。そうだろう?」  そう努めたような軽い口調。芝居がかったオゼットに、俺たちは無言で頷く事しか出来なかった。こっちも正直、過ぎた事を思い返している余裕が、……無かったのかもしれない。 「さて……。俺はそろそろシメの打ち合わせに戻る。  アヤセもナツスミレも、本当にご苦労だった。最後まで楽しんでいってくれ」 「いえ……。こちらこそ。当選した賞品は大切に扱います」  ナツスミレは馬鹿丁寧に頭を下げた。そうした上辺の整え方は、育ちの良さなのかどうか。なんだかストレートに受け取れなくて、棚に飾られた酒瓶を眺めていた俺とは違う。 「……またイベントを打つから、その時は遊びに来るといい。三人でな」  そう言ってオゼットは、青白い照明で染まった騒がしいホールへと出ていった。  人を集めて騒いだら、物を流して金を取る。奴がエンターテイメントを諦めたという話は、たぶん違う。サーカスの楽屋で金勘定をするクールな道化師。オゼットのシノギは、大した見世物だ。 『君たちも充分変わっているさ。その短い生涯を、睡眠と魔法なんかに費やしている』  客の全員が盗まれたと錯覚した景品は、大陸の反対にある夕日の国の悪戯妖精の魔法で、未来に送られていたというシナリオ……。そういう事になった。今度は茜色に染まった舞台を眺めながら、今日の出来事を思い返していた。  ミゲル·フォン·ディアブリードは、ラフィットの懸念。本物の武器を欲しがったり、質の悪いガキを集めたりしていたが、今回は売出し中の学生クランにケンカを売った。以前聞いた、取り入ろうとしていたという話と全くの真逆。何かイザコザがあったのかは分からないが。不良の坊っちゃんは、相当の馬鹿、かつ好戦的のよう。  盗難の実行犯は、逃げるのが下手で、あえなく捕まったが、手口は悪くなかった。魔法の手品のすぐ横で獲物を消すには、綿密な手順と連携が必要なのだから。  けれど。あの使い捨てを食らった派遣のバイトに、その統率力と判断力があっただろうか?それ以前に……。照明を操作し、タイミング良く実行犯を招くには、然るべき場所があると思う。  キッチンカウンター横のスタッフルームは、物音が遮断されていて、手の届く位置に配電盤があった。カタギのオーナーを除外すると、そこにいた奴は、俺もよく知っている悪党のオッサンだ。  誰も彼もが、白々しい芝居をしている。そんな気がして、浮ついていた気分も、今はすっかり地べたを這っていた。 『悪かったと思っているよ。今説明したとおり、僕は君たちの幸運をちょっと借りただけなんだ。もう間もなく、それはここで再現される』 『勘弁してくれ。無断で借りたら泥棒と一緒だ』 『そうかい?パーティーの間は、何が起きても余興なのに。人間はいつも、心配症でせっかちだ。僕が消えたあと、十秒待てるかな?せっかちさん?』 『数えてやるから帰れ。それと、店で遊びたきゃ、最低でも席料を用意してこい』 『おお怖い!羽のある僕らに向かって席に付けとは!』  演者に送られる口笛と小さな笑い。騒がしかったフロアは、受け入れた茶番劇の終わりを迎えていた。 『アンディシュダールに大いなるマナの恵みあれ!』  妖精役の女に注がれたスポットライトが消えて、紙吹雪が舞った。それを見送った頃、花飾りの付いた金色のチケットが、白煙を吹いてバンブーシュートに化ける。藍色のサマードレスでお洒落をしても、間抜け顔を晒す事は忘れてない。目と口を大きく見開いて、手品に拍手を送るチンチクリン。この横顔が勿体ぶって告げた話。 ―私が愛する人ならば、私を殺す事が出来ます―  確かにコイツの声なのに、舞台の台詞みたいに違う。  それをどう捉えれば良いのか。また、ナツスミレはどう思ったのか。イベントの夜は、まるでやる気の起きない課題をいくつか抱えて終わった。  翌日の昼休み。俺は四限の魔導具講義を抜けて、いつもの屋上に転がっていた。  色濃くなった森の緑。連なって海へ向かう鳥。重くなる瞼の先で、厚い雲が流れてゆく。あの形はなんて言うのだったか。故郷のヒノモトには、雲や雨にいくつも名前が付けられていた。  背中を伝う制御塔の駆動音。思えば、春先に付いた伝説の魔女のケチが、様々な出会いを呼び起こした。あの扉から貴族のお嬢様が現れて、あの辺で工学科が乱闘した。学生の一年は長く、最短でもあと二回。振り返るにはまだ早いのに、その瞬間の映像は、度々俺の昼寝を妨害する。 「どれもこれも、俺には関係ねえのに……」  その呟きは空に吸い込まれて消えるけれど、胸に残った靄は晴れない。俺ってこんなだったっけ?学校で話す奴なんか一人もいなくて、退屈を埋めるようにケンカばかりしていなかったか?ああ、最近は生活指導に難癖付けられたり、街で理由もなく絡まれたりしなくなったな。まるで普通なんだ。  俺は寝っ転がったまま、何となしに、黒檀の剣を精製した。制御塔が近過ぎて、上手く出来ないと踏んだのだが……。短くて軽いものの、形は取れている。才能も研鑽も積まれてないのに、一応上達はするらしい。長い平和で競技の道具に成り下がった、こんなモノの為に、家ごと海を渡った事実は消えやしない。  それが嫌だったのに……。鼻で笑えるくらいにはなった。  昼寝に至らない微睡みの中。踊り場の扉が開く音がした。首だけ起こすとナツスミレが立っていて、弁当を手にこちらへとやってくる。 「まだ四限じゃねえの?」 「うん。早弁しにきたの」  わざわざハンカチを敷いて腰を下ろす。空に戻した俺の視線を探して、そのまま同じものを見た。お喋りを加減した時間が、校舎の時計と同じ速さで過ぎていった。  探り合いは無い。トレニアの話題はしないのか。その事に安心も落胆もしなかったが、拍子は抜けた。ただ、なんとなく、いつもと同じじゃない。俺とナツスミレに「いつも通り」があるとすれば、今日はそれと並行する横道に沿っている。 「ねえ、これ見て。アヤセくん」  そんな中、ナツスミレはおもむろに弁当の包みを広げた。俺やラフィットではとても足りない女子サイズの箱と、更に小振りな惣菜の箱。見てと言って開いたのは、その惣菜のほう。 「さっそく、バンブーシュートの煮物を作ってみたんだ」 「へえ……」  俺はこの、高級と称されたバンブーシュートという食材が何なのか、そこで初めて理解した。景品として飾られている時、取り返して運んでいる時には、分からなかった。何故なら。俺がこの大陸に来る前から知っていたそれよりも、身が細いし皮の色が淡かったからだ。 「ヒノモトに似た植物があるんでしょ?これの煮物は伝統料理の一つだって、借りた本に紹介されてたの。  えーっと。なんて名前だったっけ……?ちょっとかわいい感じの響きで……」 「タケノコ」 「そうそう。タケノコ。  ダリアではめったに採れないし、毒を持っているやつもあるみたいだから、食材として栽培する習慣が無いの。親族間のパーティー巡りでも、出た事無かったし。だから、手に入れたら調理してみたいなって思ってたんだ」  白身に若干の黄味がかった煮物は、内側に特徴的な穂先の溝を残していて、歯応えのある食感を想像させた。切り方も色々あるのだろうが、ナツスミレが弁当に詰めたそれは、俺にとっても馴染み深い形をしていた。 「たぶん、同じ味にはならないけど。アヤセくん、たまには故郷の料理が食べたくなるんじゃないかなって」  その顔を見てどうしてか、気持ちの張りが弛緩していった。息を抜いてしまう。気付かれないように。 「……じゃあ、いただく」 「うん。食べよ食べよ」  箸で摘んで一切れ口に運んだ。味付けは、こっちでよく使用される香辛料を含んだソースがベースのようで、想像とのギャップがあった。けれど、芯に残る風味と食感は、ヒノモトのそれと同じ。 「ど、どうかな?」  不安と期待をちょうど半分ずつ込めた瞳。俺は正直に答えた。 「昔、家で食ってたやつと比べると、なんつーかスパイシー。ヒノモトでは、塩茹でだけして野菜と一緒に出すような料理でもあるから、出汁は薄めなんだ」 「そ、そっかぁ……。高級食材って難しいな……」 「でも、美味いよ。これも良い」  そう告げて隣を見る。  ナツスミレの顔は、何かを堪えるように緩んでいて、俺もそれ以上は言えなかった。暫く無言で弁当をつついていると「また作っちゃお」とヤツは呟いた。俺はそれを、聞こえなかったフリでやり過ごした。  あと一年と半分くらい。その間に何度、こうして空の下の弁当を食うのだろう。 「……母親がよく作っていた」 「あ、うん」 「家の裏に、コレの伸びきったヤツが馬鹿みたいに生えた林があってな。土を起こして掘るのを手伝わされた。成長しきると、そのへんの木材より硬かったりするから、これで家具も作ったりしたんだ」 「へぇー」 「ヒノモトのヤツは、もっと、根っこから太くて、二階の屋根よりも高く伸びるから……」  四限終了の鐘が鳴っても、ナツスミレは俺のつまらない話を聞いていた。竹林が作る影の涼しさも、竹で作った初めての剣も、俺には海の向こうの過去なのに。  このシャバ子ときたら、いったい何が楽しいのやら。天性の呑気を隠そうともせず、花のように笑うのだ。
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