一章 真夏の珍客

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 (2)  僕らが保護した赤ん坊は、客間に敷かれた布団の中で静かな寝息を立てていた。 「……」  襖を開けて覗き込んだ僕には普通の赤ん坊にしか見えない。 「ホレホレ、後がつかえておる故とっとと入るのである」 「お、押すなって」  サクラに背中を押されて中へ入る。  一同揃って赤ん坊の寝顔をまじまじ眺めて見たものの、そこに在るのはどう見ても普通の生後間もない稚児のそれである。 「……婆さん。さっき言った話からすると、この赤子はつまり妖の類と言う話か?」 「確かな事は言えないけれど、多分ね」 「しかし、儂にも普通に“視え”ておるぞ」  そう。  爺ちゃんは我が家の中で唯一霊的なものに対する感覚が普通の人と変わらない。  サクラが猫の状態の時には喋っている事も普通の鳴き声に聞こえる人である。  普通の妖であれば爺ちゃんには“視えない”はずである。  ただまあこれにはいくつか例外条件もある。 「レイカのような存在であれば普通の人間にも視認できるし会話もできる故、この赤子もその類かもしれぬ」  北鵜野森商店街にある喫茶店『アイレン』の店主である圭一さんの奥さんはその例外の最たるもので、実態を得る程霊気密度が高い事で普通の人間のように存在し続けている元・妖である。  元と言うのは……まあ色々と紆余曲折があった果てに妖としての力を殆ど使えなくなっているからなのだけれど、まあその話は今はいい。  ともかくその女性は厳密には人間の身体の組成とは異なる作りをしていながら、見た目には気さくなお姉さんにしか見えないし精神的にも色々大雑把でだらしなく人間臭いので誰もその存在に違和感を感じる事無く鵜野森町に溶け込んでいるし、この赤ん坊もそれに近い形で実体を伴っているのではないのだろうかと言う話である。 「ふむ」 「それに宗一郎殿。霊的な存在であったにせよ、ここの敷地に入れる時点で少なくとも悪性のモノではない故、しばらく様子見してもよかろうかと思われる」 「成程な……」  サクラ曰く、この鵜野森神社は若い頃の婆ちゃんが地域一体の霊気の流れを調律して以降ちょっとした結界みたいな役割を果たしているらしい。  去年の夏に対峙する事になった悪性の怪異も、鳥居から敷地内へは一切入って来られなかった事からも、それは想像できる。 「しかし……」 「宗一郎殿はまだ実感が無いようであるな」 「それはまあ、儂にはそういうモノを感じ取る事はできんからな」 「ふむ。ならば百聞一見」  サクラはそう言って懐から護符を一枚取り出す。 「サクラ、何するんだ?」 「まあ見ておれご主人」  サクラは寝ている赤ん坊のお腹の上に護符を静かに置き、何かをブツブツ唱え始めた。  やがて淡い光を発しながら、護符が赤ん坊の身体に沈み始める。 「――!」  僕らは一様に目を見張る。  サクラが静かに目を開けた時には、護符は丸ごと赤ん坊の身体の中へと消えてしまっていた。 「……今のは」 「なに、霊気の循環を整えるためのものである」  そう言って懐から同じものを取り出して爺ちゃんに手渡した。 「それ自体は普通の紙でな。書かれた祝詞に私の霊気と同期させる事で力を発現する。まあ当然普通の人間の身体にそれが入って行く事は在り得ぬ故、少なくともこの赤子の身体が人間のそれとは異なる事は理解できよう」 「……わかった」 「とりあえず様子見か……」 「……って言っても、今の所普通の赤ちゃんにしか見えませんよね。……そうなると赤ちゃんとして扱うしかないわけで」 「そうね。さしあたって色々と準備が必要になるのだけれど……」  婆ちゃんはそう言って僕の方を見て笑った。 「夢路さん、ちょっとコンビニまでお買い物お願いしていいかしら?」 「え」  数分後。  僕は自転車をとばし、全力で坂を下っていた。 「そりゃあウチにはありませんよねぇ! オムツなんて!」
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