一章 真夏の珍客

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 (5)  僕は一人っ子だし、正直その先に起こるであろう状況を明確に予測する事はできていなかったと言っていい。 「びえええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!」 「…………ッ~!」  ――即ち、夜泣きである。  居間で眠っていた僕は突然の大音量に跳ね起き、思わず周囲を見回してしまった。 「……これほどとは」  客間の前まで行き、襖を軽く叩く。  泣き声が大きくて聞こえないのか返事が無いので声をかけた。 「日野さーん」 「朝霧君? あ、いいよ入って」  許可をとって襖を開ける。 「びぃぃいいえええぇぇぇえぇぇぇん!」 「おおおおおぅ……! 間近だとこれはまた一段と強烈だ……」  泣きじゃくる赤ん坊を抱え上げてあやそうとはしているものの、普段冷静な日野さんも困り顔の様子である。  僕も道場で子供達の相手をしたりもするけれど、流石に赤ん坊は勝手が違い過ぎる。 「ええと……朝霧君、そこのメモ用紙を見て欲しいんだけれど」 「これのこと?」 「うん。洋子さんが色々書いてくれたメモがあって……」  婆ちゃんのメモによれば新生児の夜泣きとやや成長した段階での夜泣きには原因に違いがあるようで、新生児段階のものは単純に空腹が原因である事が多いとの事だった。  成長の仕方が人と同じと言う保証はないが、参考にはなるだろう。 「粉ミルク……か」 「朝霧君、私作って来るからこの子、お願い」  そう言って僕に赤ん坊を渡してきた。 「え、あ……うん。……大丈夫かな」 「えっと、こう、首の後ろは腕で支える感じで……」 「こ、こうか……」  多分、人の赤ん坊とそう大きさは変わらないであろうと思う。  腕にかかる重みに、実感がわいてくる。  人間と異なるとしてもこの子は今、確かにここに在る。  こうして大きな声で泣く事で、自分はここに居るのだと―― 「ええええぇぇぇぇぇぇんl!」  ……頭の中でちょっといい事言ってる雰囲気出してる場合じゃなかった。  日野さんは任せたとばかり台所へ行ってしまったのでここは自力でどうにかしなければならない。 「ああーよしよし、いい子だから静かにしようなー」 「えええぇぇぇぇぇぇぇぇえ……」  お、ちょっとトーンダウンしてきたか? 「……アー!」  ぐにっと。  頬を掴まれた。 「ええ……」  まだ目も見えているのかよくわからないし当然掴まれたと言っても力があるわけではないのだけれど。  その子は僕の頬を小さい掌で掴むように触れ、そのうち今度はぺちぺちとやりながら笑い始めた。 「よくわからないけど泣かれ続けるよりはいいか……」  しかしこれ、世のお父さんお母さんたちはみんなこれを半年とか経験していくのか……ちょっと想像つかないな。  顔をべしべし叩かれつつ、僕は思わず舌を巻くほかなかった。
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