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ゆらゆら。
眠りと覚醒の狭間で私は夢を見ていた。夢だとはっきり分かる夢を。
「今夜は月が綺麗ですね」
響く声は、低く空気を震わせて私の頬を撫でる。その心地よさに瞳を開くと、うつくしい人がそこにいた。
容姿だけでなく、その心根までもがうつくしい人。この時はそんなことは知る由もなかったから、ただ不思議な男だと思った。
私は記憶の波間を漂っていた。これは、彼と出会ったときの記憶。
ちょうどその夜は気味が悪いくらい真っ赤な満月が夜空にぽっかりと浮かんでいた。湖にもその血のような色の円盤が歪んだ形に映っている。
私の国では、『月が綺麗ですね』は違った意味も持つ。彼はそれを知らないようだった。
「ええ、とても」
私は冷静に言葉を返した。唐突に話しかけられた初対面の男の顔を、私は知っていた。彼はあまりにも有名だった。
そして私は真っ赤な月を見上げた。彼も、私と同じように月を見上げた。どちらももう喋る事もなく、ただただ視線を月に投げかけるのみ。
二人並んで月を見上げたのが、彼との最初の思い出だった。
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