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ほんの数時間前のことを思い起こしていると、階段を下りてくるらしい足音が耳に届いた。
床から頭を持ち上げてその方向を見ると、やはり彼だった。護衛などは連れていないようで、他の足音は聞こえない。私は表情を凍らせたまま彼の足を目で追う。
彼の足は、やがて私の入っている牢の前で止まった。
「……戦が終わるまでは、ここにいてもらうことになる」
「へぇ、そうなのね。てっきりすぐに殺されてしまうのだと思っていたわ」
ゆっくりと体を起こし、私は不敵に笑う。彼は眉間の皺を深くした。
「君は『民間人』だからな。無闇に殺す必要は無い」
まるで念を押すように言う。私は笑い続けた。
「じゃあ、『兵士』なら?」
「……」
「答えられないの?」
「……とにかく、君を殺すつもりはない」
「甘いわね」
「何とでも言え」
私は嘲笑するかのごとく口元を歪ませた。彼も吐き捨てるように低い声で呟く。
もう私たちの間に、あの湖で語り合ったような関係はない。今の彼と私の関係は、捕らえた者と捕らわれた者だ。
ねぇ、と声をかけると、彼は私を真っ直ぐに見つめた。私は彼の視線を促すように、細い窓から見える赤い月を見上げた。
「初めて会ったときの、あの月を覚えている?」
「ああ……覚えている」
「私は、あの時からあなたが誰かを知っていたわ」
彼は、敵国の第3王子。そして敵国の将。お飾りの将などではない。彼を潰せば、敵国の軍は壊滅する。
表情の変わらない彼。その伏せた目が、座り込んだままの私を捉える。
「だろうな。俺は、最初は気付いていなかった。君が――軍の人間だとは」
「随分警戒心が無いのね」
「……。3度目の満月の日には知っていた。赤い瞳の女戦士――我が軍でも有名だったぞ。その細腕が、目にも留まらぬ速さで何人もの兵の命を刈り取るのだと」
「あなたの軍の情報網も伊達じゃなかったのね」
私は相変わらずくすくすと笑い続ける。
ここまで分かっていて、なお私を庇おうとする彼が滑稽に思えた。私はあなたの国の兵を何人も何人も殺しているのに。
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