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3回裏
2回に1点を許したベイスターズは3回裏の攻撃に挑もうとしていた。
悠太郎もグラウンドを必死に見つめる。
「悠ちゃん」
通路から悠太郎の背中越しに女性の声が聞こえた。
グラウンドを凝視していた悠太郎はどこかで聞き覚えのある声に振り向き、そして一瞬で声をなくした。
そこに立っているのは陽菜香だった。
10年以上も会っていなかったが悠太郎にはすぐに陽菜香だとわかった。
悠ちゃんと呼ぶ、その声、その笑顔、その仕草。
陽菜香は照れたように悠太郎を見つめている。
悠太郎はすっかり大人になった陽菜香に見惚れてしまっている。
「覚えてる?」
凍ってしまったかのように何も言葉を発しない悠太郎に陽菜香が声を掛ける。
「な、な、なんで?」
悠太郎はその言葉を出すのにどれくらい苦労しただろう。
「悠ちゃんのお母さんには伝えておいたんだけど」
「母ちゃんに?」
「今日、横浜に帰ってきたのよ、家族で」
「え?家族で?」
「け、け、結婚したの?」
「なに言ってるの悠ちゃん、お父さんとお母さんとだよ」
悠太郎は少し事態を把握はしたものの、目の前にいる陽菜香の存在がいまだに信じられないでいる。
「悠ちゃんの隣の席、私なんだけど、ほら」
陽菜香は悠太郎の母親からもらったチケットを見せる。
「あ、ああ」
悠太郎は通路へと一旦出て、陽菜香を迎え入れた。
悠太郎と陽菜香、再びスタジアムで二人揃って応援をしている。
小学校六年生のあの夏に止まってしまった時計の針が再び動き出す。
二人が見つめる3回裏のグラウンドではベイスターズがホームランで1点を取り、ゲームを再び振り出しへと戻していた。
ゲームは序盤の3回である。
まだまだ逆転と勝利のチャンスはたっぷり残されている。
そして悠太郎は再び空を見上げた。
青空の中に飛行機雲はなく、隣には陽菜香が座っている。
「ありがとう」
幼き頃の願いをしっかりと受けとめ見守り続けてくれていたこの青い空に悠太郎は心の中でつぶやいた。
この青い空のその奥にある母親の姿も今の悠太郎にはしっかりと見えているようだった。
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