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実際には、男がゲームの一部と認識している歩行者たちとのーー接触寸前は、しょっちゅうであった。
いや、ハンドルの端や男の身体は、数えきれないくらい歩行者と擦過しているのだ。
相手が怪我をしなかったのは。大事故にまでいたらなかったのは、たんに偶然の結果にすぎない。
危うい場合。
『自分ルール』でブレーキをかけたくない男はムカツいてーーまぎれもない被害者たちに聞くにたえない罵声を浴びせるのだった。
本来、浴びせられるのは男の方であったのだが。
そんな、手前勝手なゲームにも破たんの時がきた。
ある日。
自分では『神』と思いこんでいたハンドルさばきは、他でもないその本人を裏切った。
通行人の一人に、もろにぶつかったのである。
相手は初老の婦人だった。
受け身もとれず。歩道に叩きつけられた婦人はーー後頭部を強打したに違いない。
そのまま、ピクリとも動かなかった。
男の方も、自身が最も嫌ったであろう『無様な転倒』をさらしていたのだが。こちらは、かすり傷程度なのだった。
婦人のまわりに、人が集まってくる。
けれども男は、その人々に加わろうとはしなかった。婦人を救けようとはしなかった。
自転車にダメージがなかったのを幸いにーーその場から逃走したのである。
男の脳裏には、こちらを向いていた婦人の苦悶の顔が刻まれていた・・・。
「ヤバいことになった」
傍若無人な男でも、そう思った。
あの婦人がどこの誰なのか、まったくわからない。
けれど激突した時。男は相手の身体が砕ける音を、はっきりと耳にしていた。
よくて大怪我。いや、ひょっとすると・・・?
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