車輪の音

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 ふっと,学生時代に大好きだった人のことを思い出した。  思い出したというより,なにか楽しかったことを考えて気持ちを紛らわせようと学生時代の出来事を無理矢理絞り出した。  あの時はその人を見かけるだけで近くにいる人たちに聴こえてしまうんじゃないかと思うほど胸が高鳴り,その人を追いかける視線が自分でもどうしようもできなくて友人に指摘されて恥ずかしい思いをした。  当時は,その人が私が知らない誰かと楽しげに話している姿を見るだけで,胸が締め付けられ辛くなり涙がこぼれた。  たぶん,あれが私の初恋だったと,今になってわかった。  あの人以外,私をこんな気持ちにさせる人はいなかった。私たちの距離は最初から最後まで交わることのないまま,私は気持ちを伝えないまま,卒業と同時に心の中でお別れをした。  きっとどこかで別の人に恋をして,もっともっと胸が締め付けられ切ない気持ちを味わうんだと自分に言い聞かせた。素敵な人と出会い,楽しかったり苦しかったり,ちょっとしたことで喜んだりつまらないことで喧嘩したりする,世間一般の恋人がすることを私も経験するのだろうと何度も何度も言い聞かせた。  私の初恋は,あのとき自らの決断で勝手に終わらせた。  でも,それ以来,あの人以外で私をこんな気持ちにさせる人には出会えなかった。  あの人のことを思い出しながら鞄を抱き締めて,頬に伝う涙を静かに拭いた。  あれが初恋だったと,気が付くのが遅すぎた。
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