第一話 思い出と少女

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「そうだね、別の道だってあったかもしれない。でももう遅いんだ。一歩を踏み出すのが怖くて、尻込みしてたら、もうどこにも行けなくなっちゃった」    ただ只管に自分を責め、殻に閉じこもってしまった桜子。志穂は、そんな彼女が直面した事の深刻さを受け止めきれずにいた。眼を逸らし、部屋の隅に眼を向ける。そこには、ポリバケツ用の大きなゴミ袋が無造作に放置されていた。  透明なビニール越しに顔を覗かせる、見覚えのあるような色とりどりの光沢。嫌な予感が、志穂を駆り立てた。 「これって、嘘、どうして……」    ゴミ袋を広げ、その中身を見た志穂の眼から、じわじわと涙が溢れ出る。以前この部屋で見せてくれた、桜子の思い出の写真の数々が、雑多なゴミと共に棄てられていた。 「これ、どういう事ですか!? どうして思い出の写真を、こんなに……」 「だって、いらないから」 「いらない?」    即答する桜子と、絶句する志穂。二人が初めて会った時から、既に存在していた見えない亀裂。それは年月を経て次第に広がり、今まさに志穂の眼前にその姿を現した。志穂はその深淵を前に、ただ絶望するしかなかった。 「子どものしーちゃんには、夢のあるしーちゃんには分からないよ。何でも出来た、何にでもなれた『はず』の、子ども時代の思い出……。そんなのがあるから、余計辛くて、苦しくて……。だから、もういらないの!」 「その言葉、確かだな?」 「えっ?」    この場にいるはずの無い、第三者の声。その主は、本棚の僅かな隙間から這い出るようにその姿を現した。悪魔のように鋭利な角を生やした、山羊頭の怪人。それはタキシードを身に纏い、赤いネクタイを提げ、不敵な笑みを浮かべていた。 「もう一度訊く。その言葉は、確かだな?」    怪人が桜子の頭に手を載せ、顔を近付け問いただす。その瞬間、彼女の眼は催眠にでも掛かったかのように、焦点の定まらない虚ろな眼に変わっていった。  志穂は突然の奇怪な出来事を目の当たりにし、声も出せずにその場で固まっていた。 「思い出なんていらない。今が、みじめになるだけ」    桜子はゆっくりと頷き、そう応えた。
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