第一話 思い出と少女

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「会社で、酷い目に遭ったんじゃないかって。私は何にも知らないただの子どもだけど、聞き役くらいにはなれます。それでも駄目なら、叔母さんに……」  そんな志穂の言葉に対し、桜子は「ふう」と大きな溜息をついてから向き直り、意を決したような表情で応える。 「安心して。私が会社を辞めたのは、誰のせいでもない。他でもない、私自身のせいだから」    「嘘だ」と、喉元まで出かけた言葉をすんでの所で止める志穂。しかしそれで納得できるはずも無かった。 「桜子さん自身のせいって、どういう……?」 「自分が無価値な人間だって、ようやく思い知ったんだ」 「そんな事! 桜子さんは優しくて、勉強も教えてくれて、私の話だって……」 「少なくとも、あの場所ではそんなの役に立たないよ。目に見える結果以外必要とされない、あの場所じゃ……。嫌いな事に一生懸命になるって、こんなに辛いんだね」    何も言い返せない。志穂は桜子という大人について、何も知らなかったのだ。スーツ姿の彼女が語る、イメージだけの宙に浮いた言葉。それだけを鵜呑みにし、勝手な虚像を思い浮かべていた。 「まあ、自分っていう人間を知れて、むしろ良かったって思うよ。この年になってようやく、ね。しーちゃんと違って夢が無かったから、うんと遠回りしちゃったけど」 「夢……?」 「そう、夢。小さい頃は、バカみたいに色んな夢を見てた。パティシエ、アイドル、宇宙飛行士。でもね、だんだんそうじゃなくなっていくんだ。私もそう。何になりたいか、何ならなれるのか、分からなくなって……」 「……」 「それでも、何者にもなれないのは恐かった。だから言われるままに勉強して、大学を出て、あの会社に入ったの。そしたら、このザマ」    両手を広げ、カップを持ったままおどけてみせる。ココアの湯気が、弱々しく左右に揺れて消えた。 「でも、他の職場とか、仕事だったら……」
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