その肩に

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 いつの日にか、兄様の目がときおり紅く染まり見えるようになりました。  その意味合い。  あのときまで。  わたくしにはわかりませんでした。  変わられた。  暴君になられた。  側近の者たちが皆一様に、口には出さぬが目配せで、兄様を陰で噂し合うようになりました。  戦場(いくさば)で、雑兵の疲れまで心を砕いていた兄様でした。  それが父上の跡を継いで、殿と呼ばれるようになったときから、まるで人が変わられたかのように、人を人とも思わぬ使い方をなさるようになりました。  わたくしも気づいておりました。  ですが、兄様は城主となられたお方。 「そのようなこと、めったやたらと口にするものではありませぬ」  わたくしは年老いた家臣を諭しました。 「しかし姫様。殿は生死を彷徨う病が癒えたのち、まるで人が変わってしまわれたようでございます」  以前は父上に言われて仕方なく、戦に出ていかれました。先祖から受け継いだ土地を守るためです。戦を仕掛けてくる輩を追い払っていました。  ですので、領地を増やすという目的で、率先して出ていくことはありませんでした。  温厚すぎて愚鈍。  陰で悪口を叩かれ嗤われていたほどです。  ですがいざ、他の武将の如く他国を散らす欲を出せば、非情ではないかと、責める声が立ちます。まこと上に立つ者は難儀なことです。  それにしても。  わたくしは記憶を辿ってみます。  確かに兄様は異なっているのです。  病で倒れる前と癒えたのちとで兄様は。  さりとて、別人と入れ替わるなど決してあり得ません。兄様の肩にはチョウのような形のアザがあります。物心ついたときから、わたくしは兄様の蝶を愛でてきました。兄様の肩には変わらず蝶が留まっております。 「わしは天下を取る。おまえを国一番の姫にしてやる」 「兄様、わたくしは充分幸せでございます。この身を飾る金銀など要りませぬ」 「金銀? そのようなつまらぬものなど、わしとて欲しゅうない。人としての定め。抗えぬものを手中に収める。未来永劫の幸を、おまえに授けよう」  秋風吹く、月光眩しき濡れ縁。  兄、妹のみの酒席。  いつになく進む兄様の杯が空となります。  下仕えを呼ぼうとするわたくしを、兄様が密やかに止めました。
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