ケイルとリモネード

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ねえ、どんな人がいたなら自分にとって安らぎになるもの? 自分にとって?そうね、その人といることで安らぎを得られるような人。 その人は誰にとってもそうなもの? どうかしら。まあそういう人はそういうものかもしれないわね。 具体的にはどのようによって安らぎを得られたりする? 優しかったりするんじゃない?人当たりが良くてなにを言ったところでこちらがショックを受けたり嫌な気持ちになることが無いような。その人の返答というものは良い意味で予想外のことはなく、期待した通りだからそうなの。ただ安らぎというのはそういうことだった? 知らないわ。でもそういった人でなくても安らぎを与えられることってないかしら? 例えば? 例えばそうね、弱さが隠れたりするような人。 その人の弱さ? 自分のよ。人ってなにかしら弱さを持っているもので、四六時中と言っていいくらいの頻度でもって悲しくもそういうものを意識して生活したり生きていたりさせられているものでしょう? その人といるとそういった弱さが自分から隠れるということかしらね。もしくは忘れさせてくれるとか。 そうでないかもしれないけど、まあそういうこと。 具体的にどういう会話をするようなものか、思い出すことはすぐにはできないけどでもそういう人がすぐ近くにいる人は幸せかもしれないわね。 気づきにくいとしたってそれはちゃんと認識すべきことなのだわ。そうして感謝してもいい。 その幸運に? その人へに決まっているでしょう? そうね。 不思議でそしてまた悲しいことに世の中の自分の周りにはなぜかそうでないような人ばかりがいるものなんだもの。その中においてのそういう人は、 自分に安らぎを与えてくれる人? そういう人は本当に貴重なものよ?出会えない人のほうが多いくらい。 確かにみんながみんなそうなのは不思議よね。 実際的に言えばそういうう人はその辺にごろごろ転がっているものなんだけどね。見つけにくいというか人って嫌な印象ばかりに目が行ってしまうものだから、自分にとってのそういう人たちのことを見落としてしまいがちなのよ、その存在ごと。 人はもっと自分にとっていい人、害のない人のことを積極的に思い出してそして意識を向けてはもっとマシな気分になって行くべきなのね。
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