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一条晴輝ファーストツアー「歌うたい」、最終日。いつも通りアンコールの三曲をやったところで、俺はドラムセットから離れて、客席に頭を下げた。
俺の目の前で、ハルの肩をねぎらうようにたたく翔一郎さん。拍手と歓声が上がり、その中で二人が抱きあう。何度見ても、ぐっと来るワンシーン。それも今日が最後だ。
俺もハルと抱きあった後、翔一郎さんと一緒に下手にハケた。段取りがいつもと違うことに気づいて、歓声がざわめきに変わる。
ステージにはハルだけが残り、観客は期待に輝いた目でハルを見つめる。
最終日に間にあうか分からないけど、サプライズで新曲をやりたい。でも歌詞はまだできてないんだ。
そうハルに打ち明けられたのは、ツアーラストの東京公演初日、リハーサルの時だった。
ギタリストの椎名翔一郎さんと二人、ツアーのサポートドラマーとして参加させてもらった俺は、なんとなくハルのやりたいことが想像できた。
これから、俺の想像通りのことが起こるのかが、分かる。いやもう、答えは出たと言っていいだろう。
このツアー中、全盲のハルの移動の手助けや、ボディーガード的な仕事をしてきた静也君だけが、下手袖で最終日のステージを見守る関係者の中で、驚いた顔をしている。その表情からすると、なにも知らなかったのは明らかだ。
「どんな曲なのか、楽しみだなあ」
俺の隣で、翔一郎さんがステージ上のハルを優しい目で見守りながらつぶやく。
今、その曲はハルの頭の中だけにある。ハルは新曲のリハをしなかった。今この中で新曲披露を知らない、ただ一人に隠しておきたかったんだろう。
翔一郎さんはそれに気づいていないんだろうか。いくら一人での弾き語りだからって、リハもしないなんて不自然だ。
無事にツアーを終えた安堵感もあってか、どこまでも穏やかな翔一郎さんの横顔を、俺は見つめた。たれ目がちの目尻の皺。その一つ一つにまで優しさが行き渡ってるような、微笑み。
欲しくて焦がれて、でもとても手を出せない、その存在。
兄貴が好きだったバンドの、ボーカル兼ギターが翔一郎さんだった。俺は兄貴の影響でバンド解散後にファンになって、自分でも音楽やるようになって、その結果ここにいる。人に言われるまでもなく、夢のような人生だ。
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