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静まりかえった会場に、歌声が響く。少し遅れて、そこにキーボードの音が重なる。繊細な音色は、一人でアレンジを考え抜いてきたらしく、心を震わせる。
隣の翔一郎さんも、やられた、と言いたげに笑みを深くした。でもそれも本当に一瞬。真剣な表情でハルが紡ぐ歌に入りこんでいくのが、薄暗い中でも見て取れた。
ハルと翔一郎さんは、似ている。その優しさは、清い。そしてその優しさと笑顔の裏に、大きな傷を隠しているらしい。
人は誰でも、傷つきながら生きてる。とはいえ、俺が噂として聞く翔一郎さんの過去は、正直つらい。それなのにどうして、そんなに人に優しく、穏やかでいられるのかを、知りたい。なぜずっと音楽に関わり続けていられるのかを、訊きたい。
翔一郎さんの横顔を見つめ続ける俺と、俺の視線に気づかずハルを見守る翔一郎さんの上に降り注ぐ、クリスタルのようなハルの歌声。
思った通りだった。歌の中の「君」は、どう聴いても静也君のことにしか思えない。ハルらしい、さわやかさとせつなさを併せ持つ、情熱的なラブソング。
翔一郎さんの肩越しに、少し離れた所にいる静也君に視線を飛ばす。唇を噛み締め、拳を握り締めて、食い入るようにステージ上のハルを見つめる横顔。
俺は二人が仲よくなっていく過程を、ツアー中ずっと見てきたつもりだ。でもこんな、成功率百パーセントじゃなけりゃ、絶対にできないことをするほどの仲だとは思えなかった。ハルの大胆さが、うらやましい。
今も翔一郎さんはすぐそばにいるけど、俺はいつも、本当の気持ちを隠したりごまかしたりして、接することしかできない。憧れすぎて、好きすぎて、もう今さら素直になんかなれない。
それに、二十近くも年の離れたガキに本気で惚れられたって、翔一郎さんも迷惑なだけだろう。そう思いつつも俺は、ずっと翔一郎さんのそばにいたいと願う。独占したいと思う。
俺はクールなふりして、内心子供じみた嫉妬ばかりしている、心の狭いヤツだ。そのくせ、想いを告げるなんてとてもできない、臆病者だ。
本心を告げて避けられるぐらいなら、どんなに苦しくたって、そばにいられた方がいいに決まってる。でも、俺の演奏や料理に喜んでくれる笑顔に、俺は充分報われてる。そう思う。
だからもうこれ以上は、望まない方がいいんだ。
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