前編

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――この拳を、撃ちこみたい。  あいつの顔面に。  数馬はずっとそれだけを願い続けていた。  まるで祈るような気持ちで、毎日、ひたすらサンドバッグを殴りつづけた。    数馬は小学生の頃からずっと空手をやっている。  近所にある、日比谷道場に通っている。  伝統派から始まり、高校生になった現在はフルコンタクト空手である。普通の空手では、相手の顔を殴ってはいけないルールになっている。  だが、フルコンタクト空手は、相手の顔面を殴ってもいいのだ。  しかし、フルコンタクト空手といっても、制限がある。  フェイスガード。 選手は透明なプラスティックのガードで顔面を覆っており、拳は怪我をしないよう、グローブを装着しなければならない。  裸拳――つまり素手で相手の顔面を撃ってはいけないのだ。  だが、数馬はそれをやりたかった。  あいつの顔面に撃ちこみたかった。  まだ子供だった時代から、ライバルだった男だ。  相手はそう認識していなかったかもしれない。    殴りたい相手は、親友だった男だ。  木下誠一郎。まっすぐで気立てのいい、爽やかな男だ。  それだけに女性の取り巻きも多い。  むろん、それに嫉妬するほど、ねじくれてはいない。    ただ、負けたくなかった。    あいつにだけは、負けたくなかった。
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