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小夜里は武家の出で、十七のときにかなりの家柄へいったんは嫁いだが、二十二で子ができぬゆえに離縁された。
そのため、本来は御家人の武家の妻女をあらわす「新造」ではないが、ほかに適当な呼び名も思い当たらなかったのでそう呼ばせていた。
小夜里は、瀬戸内に面した安芸広島藩で生を受けた。
その名は、かの地を古の昔より守護する厳島神社の女神、市杵島姫の別名である狭依毘売からつけられた。巷では弁財天の名の方で通っている。
小夜里の家は代々、安芸広島藩で藩主に文書を管理する者として仕える「右筆」の御役目を担っていた。
その御役目とともに家督を兄に譲った隠居の父が、武家が住む城下ではなく、少し外れた町家のこの場所に、子どもたちに書を教える手習所をつくった。
婚家から出戻ったばかりの小夜里は、父の手伝いをすることになった。
実は子どもの頃から兄よりも小夜里の方が達筆である上に、和書にも漢書にも素養が感じられた。
おなごには普通、漢文で書かれた書は教えない。
だが、父は息子に教えるように娘にもそれを伝授した。
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