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思わず声に出す。慌てて口をつぐむが彼の耳には届いてしまっていた。
彼が文庫本から顔を上げて夏実を見た。
初めて、夏実は彼の風景の一部からひとになった。どくり、と心臓が鳴る。
「知ってる?」
彼は片手の親指と小指で文庫本を開いたまま少し掲げてみせた。思っていたよりも低いその声に夏実は、当たり前だが、知らないひとなんだという思いがした。
「えっと……タイトルだけ。まだ、読んでないです」
「ふぅん。ネタバレしちゃおうか」
「えっ」
「うそ」
彼は夏実の驚いた顔を見て「はは」と笑った。初対面であるにも係わらず、親しげな態度。夏実が勝手に作り上げたイメージが書き換えられていく。
「……小説、読むんですね」
夏実は軽くあしらわれたお返しにそう言った。彼の外見は文庫本よりスマートフォンを持っていた方がよっぽどイメージに合う。
「女の子にモテるからね」
「は?」
電車が駅に着いて開いたドアからひとがはき出されていく。夏実と彼の周囲の席もだいぶ空席になったが、今更、距離を取る必要もなくなっていた。
夏実が真顔で聞き返すと彼はまた「はは」と笑った。
爽やかに、よく笑うひとだ。さっきの発言がなければよかったのに、と夏実は思う。
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