第一章 黒龍メヴィウスと赤龍ハリアー

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 二  「ねえねえ、プリモの種族は? ホントに“薄暮人(ダスカン)”だったりする?」    興味津々と紫紺の瞳を煌めかせ、重ねて聞く女剣士ハリアー。    そんな赤龍の少女を前に、プリモは途方に暮れる。  自分の口から自分の来歴を語ろうとしても、何をどう説明すればいいのか、自分では全く分からない。 「あの、わたしは……」  口ごもった困窮のプリモは、メヴィウスに目線だけで助けを求めた。  するとプリモの意図が伝わったのか、メヴィウスがため息とともに目を伏せた。  あまり気乗りのしない表情を浮かべつつ、メヴィウスがハリアーに漆黒の視線を向ける。 「『薄暮人』は神話上の存在だ。実在した証拠は何もない。プリモが何者なのか、教えてやるから耳を貸せ」 「ちゃんと返せよ」 「うるさいなっ! 知りたいなら黙って聞けよっ!」  瞬時に癇癪を爆発させるメヴィウス。  しかし意に介した風もなく、にやにや笑いを浮かべるばかりのハリアーが、すぐに膝を屈めて彼の口許に耳を寄せた。  プリモの目の前で何やら耳打ちされたハリアーが、すぐに頓狂な声を上げた。 「ええっ? プリモが? フツウの女の子にしか見えないぞ」  ハリアーの紫紺の瞳が、驚きの色に染め上げられる。  目を見開いて立ち尽くすハリアーを見上げ、主人のメヴィウスが自慢げに胸を反らせた。 「黒龍(ブラック・ドラゴン)秘伝の“黒龍術”を駆使した最高傑作の一つさ。二年くらい前に創って、時間を濃縮した部屋の中で、半年でメイドに仕上げた。いるといないとでは大違いだ」   奇妙な賛辞だが、誉められたプリモは素直に嬉しさを感じた。  が、すぐに主人の突き放したように冷淡な鼻息が、プリモの頭を直撃する。 「まあ研究の助手には使ってないけどね。何の役にも立たないから」  ささやかな喜びを素っ気ない一言に打ち砕かれ、がっくりと肩を落とすプリ モだった。 「ほう、そうかい」  妙に平板な口調でつぶやき、ハリアーが再び椅子にどっかと腰を落とした。  しょんぼりのプリモと、腕組みのメヴィウスを何度も横目に見比べて、女剣士がぼそっと突っ込む。 「相変わらず器用なのは結構だけどな、それ、確か禁断の知識だろ。いいのか?」 「そんなの人間(ホムス)の“魔術結社中央会議(セントラル)”が勝手に決めた話だ。俺には関係ないね」 「“魔術結社中央会議”? ああ、お前みたいな引き篭りが寄り集まった“魔術結社(サークル)”の、そのまた集まりのコトか。あ、でもお前は除け者だっけ」       ハリアーが冷やかすように言うと、メヴィウスは口許をむっと曲げた。 「意味がないから入ってないだけだ! 確かに人間以外は歓迎されない組織だけど」  腕組みを崩さずに、メヴィウスが不平を並べる。  その傲慢な口調には、目一杯の嘲笑が溢れている。 「大体、魔術結社中央会議なんて、潜りの呪殺団だの屍師(ヴェネフィックス・モルテ)だの、本当に危ない連中は軒並み入ってないんだぞ。上納金は無駄に高いし、そんないい加減な組織の言うことなんか、知ったことじゃない」 「そんなコトだから、冒険者がお前を退治しに来るんだろ。あたしは助けてやらないからな」 「ハリアーなんかに助けてもらうくらいなら、自分で闘った方がまだましだ」  断固としたメヴィウスの言葉を聞き、ハリアーの口許に面白そうな笑みが浮かぶ。 「ほう? お前、自分が“万器練達(マスター・アット・アームズ)”のあたしよりも強いと思ってるのか?」 「何だよ、ハリアーこそ、俺の事なんか何も知らない癖に」  憮然とした横目にハリアーを捉え、メヴィウスが鼻をふんと鳴らした。    と、即座に、ハリアーが白い犬歯を輝かせ、にんまりと笑う。 「知ってるぞ。得体の知れない“魔術”と、ワケの分からない器械を創る“技術(テクニーク)”の両方を若くして究めた、“万有術士(マグス・ウニヴェルサリス)”サマ。正式な階梯じゃない、裏の仇名だけどな」 「そういう言い方はやめてくれ!」  そんなメヴィウスとハリアーの側に控え、彼らが言い合うに任せたプリモだった。  しかし彼らの口喧嘩は、だんだんと激しさを増すばかり。このまま放置しても、どちらも口を閉じることはないだろう。  痺れを切らしたプリモは、控えめながら、二人の間に割り込んだ。 「あのー」  メヴィウスもハリアーも、ぴっと口を閉ざした。  同時に向き直った二人を交互に見ながら、プリモはおずおずと切り出してみる。 「昼食の支度が出来ていますので、続きはお食事をしながらお願いします」  その途端、喜色満面のハリアーがぱちっと指を鳴らした。 「やった、今日はツイてる! 今朝から何も食べてなくてさ。隣の国から歩き続けて、おなか減っちゃって。おまけに雨は降るし」 「ハリアーに食べさせることなんかないんだ!」  メヴィウスが不機嫌に声を荒げ、胡乱(うろん)な口調でハリアーを責める。 「大体が大体、龍の癖に何で歩いてくるんだよ。飛んで来ればいいじゃないか」  するとちょっと痛いところを衝かれたのか、苦笑のハリアーがおどけた調子で肩をすくめた。 「あたしも剣士が長くてさ。長いこと“龍気”を使っていないんだ。やっぱり剣士は脚を使わないと」 「剣士って奴の非合理な思考は、俺には分からないな」 「お前、理屈っぽい所も全然治ってないな」 「ふん、余計なお世話だ」  非好意的に言いつつも、メヴィウスが諦めたように鼻を鳴らした。  プリモに漆黒の視線を移した彼が、ため息混じりに指示を出す。 「仕方がないから、食堂へ行くよ。準備を頼む。ハリアーも一緒だ」 「はい、旦那さま。ご用意します」  安堵とほのかな嬉しさがふんわりと胸に広がるのを感じつつ、プリモは深々とお辞儀する。 「へえ、素直ないいコだな」  感心しきりに洩らし、ハリアーがおもむろに椅子から立ち上がった。  メヴィウスとプリモの様子を目で追いながら、腕組みの女剣士はうんうんと何度もうなずく。 「よく気が付くし可愛いし、メヴィウスにはもったいない」  ハリアーの独り言を聞きとがめ、メヴィウスがキッと鋭く向き直った。 「うるさいなっ! 昼食欲しくないのか!?」 「悪い悪い」  口では言ったが、彼女が乙女っぽく作った微笑からは、謝意など微塵も読み取れない。  肩にタオルをかけたまま、ハリアーはプリモの華奢な肩をポンと叩いた。 「さ、食堂へ行こうよ」 「ちょっと待てよ」  振り返ったハリアーに、メヴィウスがむすっと片手を突き出した。 「タオル。返せ」 「ケチ!」  舌打ちのハリアーが、メヴィウスの顔にタオルをぼふっとぶつけ、くるっと背中を向けた。 「じゃ、あたしたちは食堂へ行こう。場所は知ってるから大丈夫だよ」 「はい、ハリアーさん」  プリモはハリアーに一礼を返した。  続けてプリモは、タオルを手にむすっとしたままのメヴィウスを笑顔で促す。 「旦那さまも、ご一緒においで下さい」  黒龍の塔の食堂は、長い階段を昇り切った最上階だ。円塔のてっぺんに載っかった黒い釜の底に位置する。  全体の形としては、直径十歩ばかりの円形で、黒い壁によって半月型に二分されている。  片方は大きな窓がぐるりと囲むダイニング、もう半分は厨房だ。  半月型のダイニングに一歩踏み入るなり、ハリアーが無遠慮な驚きの声を上げた。 「うっわー! すっごい綺麗じゃない!」  ダイニングの床は、黒光りする大理石で覆われている。  ほとんど鏡面の床が、きょろきょろと視線を彷徨わせるハリアーを逆さまに映す。 「前に来た時は、もっと汚くてさー。ホコリとカビが同居人、って感じだったのに」  ため息交じりの減らず口を洩らし、ハリアーがプリモに称賛の眼差しを注ぐ。 「プリモが掃除してるの? すっごいね!」 「はい、ありがとうございます」  ハリアーの熱い視線が、プリモにはくすぐったくも気持ちいい。  むすっと目を伏せて黙した主人メヴィウスを気にしつつも、プリモはにっこりと笑顔でうなずく。 「床も窓も、毎日わたしが磨いていますから。気に入って頂けて、うれしいです」  半月型のダイニングは、大きな窓にぐるりと取り囲まれている。  湧水のように透明な窓ガラスを通して、緑の絨毯を思わせる湿原の彼方まで見渡せる。  さらに天井には、円いクリスタルの採光窓が開けられていて、絶えず光を提供している。  黒龍の塔の真っ黒な外見とはかけ離れ、光と清潔感に溢れたダイニングだ。  ダイニングの真ん中には、きれいに拭かれた丸テーブルと椅子が四脚置かれている。  その側でしゅんしゅんと湯気を吐くのは、鋼鉄の小さなストーブに載せられた銀色のポット。  その全てが、外からの光を受けて清廉に煌めく。 「これなら気持ちよくご飯たべられそうー!」  言いながら、ハリアーがダイニングの真ん中に置かれた丸テーブルへと歩み寄る。両手をすり合わせ、これ以上ないほど笑顔の弾けるハリアー。  対照的に、憂鬱そうにうなだれるメヴィウスも、とぼとぼと円卓に足を向ける。  この塔の主も、深いため息とともに椅子に腰を落とした。  ほとんど正反対の表情で向き合って座ったハリアーとメヴィウスに、プリモは一礼する。 「あの、少々お待ち下さい」  短く言い残し、プリモは速足に厨房への戸口をくぐった。  支度をしておいた昼食を木製の給仕用ワゴンに載せて、プリモはダイニングの円卓へと取って返し、料理をてきぱきと二人の前に並べる。  藤籠一杯の温かい丸パン、素朴なハムのソテー、それに湯気の立つクリームシチューを手早く給仕して、プリモもメヴィウスの横の席に腰掛けた。 「いっただきまーす!」  こぼれる笑顔のハリアーが、声を上げた。  続けて一片の遠慮も見せることなく、彼女は食卓の真ん中に盛られた丸パンに手を延ばす。  まだまだ温かい丸パンを手にしつつ、ハリアーが隣り合って座るメヴィウスとプリモを不思議そうに見比べた。 「それにしてもメヴィウス、お前意外と開放的だな。使用人と同じテーブルつくなんて」  ハリアーの言葉に、メヴィウスも自らパンを取って平然とうなずく。 「俺は平気だ。そう言うハリアーだって。赤龍(レッド・ドラゴン)はもっと自尊心(プライド)が高いと思ってた」 「確かに、あたしたち赤龍一族は誇り高いけどな。でもそういうヘンな気位とは全然違うさ」  パンをちぎる彼女は、張りのいい胸を反らせて断言した。  そんな誇らしげな顔のハリアーに、メヴィウスが怪訝な視線をよこす。 「そんな誇り高い赤龍が、何でこんな原野をさまよってるんだよ。しかも無一文で」  すると彼女は、根菜たっぷりのシチューを豪快に口に運びながら、こう答えた。 「さっきも言ったろ。いい“仕事”を探して渡り歩いてるところでさ。この湿原の一番近くの村で、おケラになっちゃって。雨には降られるし、全く参ったよ」 「参ったのはこっちだ」     すかさずメヴィウスが突っ込んだ。  彼もシチューを静かに食べつつ、ぶちぶち文句を垂れる。 「いつもいきなり俺の塔に来ては、さんざん引っ掻き回して去っていく。困るんだよ。何でハリアーは、そういつもいつも計画性がないんだ。いくら賞金稼ぎは不確定性が高いとは言っても、物事には限度ってものがあるだろう。大体が大体、ハリアーは……」  くどくど続く彼の苦言など、ハリアーは全く意に介さないようだ。  あっという間に平らげたシチュー皿を涼しい顔でプリモに差し出すハリアー。 「もう一杯ちょうだい。久しぶりの美味しいシチューなんだ」         自分の料理を褒められて、プリモは素直に喜びを顔に表わす。  にっこりと笑顔を浮かべ、ハリアーから白陶のシチュー皿を受け取った。 「わたし、お料理だけは得意なんです」  しかし主人のメヴィウスは、不機嫌極まる調子で嘆息する。 「居候の癖によく食べるなあ」 「いいじゃないか。プリモがくれるって言ってるんだ」  口を尖らせたハリアーの反論に、頬杖のメヴィウスは深いため息をついた。  そんな彼の顔に差す憂鬱な影は、途方もなく濃い。  プリモは、主人の漂わすどんよりとした空気が気になった。  が、そこはプリモも使用人。きちんと弁えたつもりだ。  ぐっとこらえて余計な口はきかず、黙って客の皿にシチューを注ぐ。 「で、さっきから気になってるんだけど」  プリモが差し出した皿を受け取って、ハリアーがメヴィウスに目を向けた。  半眼だけを差し向けるメヴィウスに、ハリアーが聞く。 「さっきお前、プリモはお前が創ったって言ったよな? 何のためにプリモを創ったんだ?」 「そんなの別にどうだっていいだろう。ハリアーには関係ない」  即座にハリアーの問いを突き放し、メヴィウスが銀のゴブレットに手を延ばした。  軽く目を伏せた彼は、それきりだんまりを決め込んでいる。  そんな彼のすまし顔を正面から眺めつつ、ハリアーがにやにや笑いで食い下がる。  どこか含みのある、悪戯で大人びた変な笑顔だ。 「プリモ、可愛いよな。お前、自分のお楽しみのためにこのコを創ったんじゃないだろうな?」  刹那、いきなり棒立ちになったメヴィウスの口から、ガーネット色のしぶきがぷーっと吹き出した。  自分が噴いた葡萄酒で、彼のインバネスの胸元にはじっとりと染みが広がる。  そんな呆然と立ち尽くす主人を見て、プリモも弾かれたように立ち上がった。 「だ、旦那さま?」  彼女はさっと白いナプキンを取り、主人の汚れた胸を脇から懸命に拭く。  甲斐甲斐しく世話を焼くプリモには一瞥もくれず、メヴィウスが荒々しくハリアーに言葉をぶつける。 「何でそんな発想にいくんだよっ、ハリアー!!」  彼女を睨み付ける主人の漆黒の目には、真剣な怒りと軽蔑、それに何か奇妙な羞恥のようなものが渦巻く。 「剣士って奴は、全くこれだから困る!! 野蛮で、無教養で、下品で!!」  憤然と罵倒をぶつける怒りのメヴィウス。だが彼の灼けつく視線を軽く受け流し、ハリアーが涼しい顔でへへっと肩をすくめた。 「そんなに怒るなって。お前ってば、相変わらず冗談が通じないヤツだなー」 「ハリアーの頭が単純なだけだろ! 全く……」  むすっと一言洩らし、メヴィウスが椅子に腰を落とした。  頬に紅潮の跡を留めつつ、何故か彼はプリモにちらちらと視線を寄越す。  何か気にしているようだ。  しかしプリモには、ハリアーの言葉の意味も、メヴィウスの怒りの理由も全く分からない。  小首を捻って、小さく唸るのが精一杯だった。  やがて三人は、黒龍の塔最上階でのささやかな昼食を終えた。  大満足の様子の剣士ハリアーが、プリモにきらきらの笑顔を向けてくる。 「ごちそうさま。本当に美味しかったよ。ホント、料理上手だね」 「ありがとうございます。わたし、こんなことくらいでしか旦那さまのお役には立てませんから」   ハリアーの賞賛の視線を受けて、プリモの胸が喜びに満たされる。  じんわりと広がる充実感と気恥ずかしさに、プリモはちょっぴり目を伏せる。  しかしすぐに顔を上げ、プリモは二人に尋ねた。 「お茶を淹れますが、どうなさいます?」  先に答えたのは、椅子から腰を上げた主人のメヴィウスだった。 「俺は研究に戻る。二時間後に頼む」 「はい、旦那さま」  笑顔のプリモに小さくうなずくメヴィウスは、じろりとハリアーを睨んだ。 「邪魔するなよ、ハリアー。俺は静かに器械創りに没頭したいんだ」 「はいはい、分かったよ。あたしらは女同士でお茶でも飲んでるさ」  おどけて肩をすくめたハリアーが、苦笑交じりに軽く手を振った。  メヴィウスも鼻息一つを残してくびすを返すと、二人を置き去りにしたまま、独りダイニングを立ち去っていった。
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