死とカップ麺

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週に五回カップ麺を食べつつ朝飯抜きの生活を続けること一ヶ月、私は栄養失調と高熱で倒れた。 病院で医師に、朝飯をキチンと食べ、栄養バランスのとれた食生活をするよう注意をされ、点滴を受けた。 死ぬかもしれない。 当たり前の日常からの脱却に嬉しさが込み上げてきた。 私の脳は既に生きることを諦めているようだった。 熱の下がっても相変わらず、週に三回はカップ麺を食べていた。 容器から立ち上る湯気が、私を死の世界へ誘ってくれるような気がしてくるのだ。 麺を啜る度、死が身近に迫ってくる既視感と興奮、何もかもどうでもよくなる諦観、美味しさの幸福を刹那に感じる。 カップ麺に含まれる成分が身体に良くなく、栄養を取れないことは、死を招き寄せるスパイスだ。 濃い味よりも薄味を好むようになり、たまに味がしない、と味覚障害もどきのような状態を繰り返す瞬間に垣間見る死を、私は甘んじて享受した。 お湯を注いで三分待つ。 待ち飽きた死の糸を引き寄せる為に。 刹那の死を感じさせてくれるカップ麺を食す為に。
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