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しばらく奇妙な時間が流れたのち、私がようやく言葉を口にした理由は、私たちの目撃者がまだそこにいたからだ。
「ギター、弾いてよ」
私は裸足のまま冷たい床をあるいて、ソファに置いたギターをベッドまで持ってきた。
寝かせるように横に倒して、最後にライブをした日のままのギターケースのチャックに手をかける。
そして、腹を切るような潔い思いで、ケースを開ける。
削れたままのピック。変えていない弦。後輩からもらった手紙。ナツメの卒業論文の受領書。このケースの中には時間が詰まっていた。
「なんだ、ちっとも触ってないのか」
「だって私、ギター弾けないもの」
「ははは、そうだろう。ギターはな、ベースより難しいんだぞ」
ナツメがなめらかに指に弦を這わせ、ギターを大事そうにかまえるから驚いた。
ナツメが常に劣等感を抱いていた楽器。武器のように歪みを足して、いつも何かをごまかそうとしていた。
しかし、目の前にいるナツメはすんなりとピックをにぎった。実力を責められない、良し悪しの枷が、バンドをやめた彼を縛り付けないからだ。
思い出すように、ナツメはギターを弾きはじめた。
気分が乗ってきたのか、口元でちいさく歌ってる。
覚えにくそうにしていたけれど、一生懸命に覚えた、社会の役には立たないコード進行。
サビのところで、いつも、声が裏返る。
きっと、お酒で喉が焼けているんだろう。
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