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「明日、花火大会だよ」
「みない、みないよ。このまま、帰るから」
「どうして」
「明日も仕事だからに決まってるでしょ」
「そっけないなあ」
ナツメは営業マンが板についた笑い方で、コンビニのコーヒーをあおった。
仕事帰りの、くたびれた襟元。ワックスで後ろに固めた黒い髪。サイドを削られたみたいなツーブロックに、覚えのない目尻のシワ。ほおの表面に、脂が少し浮いている。
私はそんなナツメの鉄のような笑顔に、心がひやりと震え上がる。
車で二時間。夜の八時。私は五年前に離れた地元に帰ってきた。
私は高速を下りてしばらく下道を走った。自分の実家を通り越し、駅からすこし外れたナツメの家のマンションのあたりまで車をすすめて、近くのコンビニで車を停める。
ナツメの携帯に「着いた」と連絡をした五分後、サラリーマン風の男が、隣の車の運転席を覗き込んでいた。
辺りは人気がまばらで暗がりなのに対して、その男の白いワイシャツ姿はあまりに眩しく、悪目立ちをしていた。
彼は隣の車のひとに迷惑をかけたのか、ぺこぺこ頭を下げながら、私の車のそばに近づいてくる。
私は笑いをこらえきれずに、窓を開けて、彼をこまねいた。
「なにしてんの、ナツメ」
「いや、結衣。いるんなら、言ってよ」
ナツメは私の顔を見て、へらへらしていた。
久しぶりだなあ、とか、車わからなかった、とか言いながら、併せて、私に尋ねる。
「コーヒーでも、買ってこようか」
「うん」
私が頷くと、ナツメは昔と同じように、下唇を前歯に隠して笑った。
白みを帯びた、明るいコンビニのドアに吸い込まれるナツメを見送ると、私はとたんに肩が重くなり、疲れがどっと押し寄せてきた。
はあ。長旅だった。私はため息をついて、運転席のシートベルトをようやく外す。
フロントガラス越しに、二人でよくタバコを吸った銀色の灰皿が見えた。
この町はいつも変わらない。
一晩中明るさを保つ駅周りの空が、浅黒い色をしている。
目に見えない埃がダラダラと目の前を通り過ぎていって、知らないうちに、人間を汚す。灰色の人が多くて、空気が淀んでいる。
以前、大学の友人と話したときに聞いた話では、ナツメは未だこの町の実家で暮らしているようだった。
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