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怪我の功名、あるいは悪名
加藤さんと出会った日の翌日、私はある歓楽街の路地裏でセーラー服を着て立っていました。
素面の人、泥酔している人問わず、道行く人からはじろじろ見られます。恥ずかしい。
流石にこの恰好に関しては加藤さんに抵抗しました。二十歳にもなってセーラー服はない、と。
けれど加藤さんは聞き入れてはくれません。
私の顔が童顔であるからそれほど違和感がないこと、地元からも離れてるから知り合いに会うことがないだろうこと、私が問題にしている部分と関係ない箇所にばかりフォローをいれて、私の不満をうやむやにしようとします。私が重要視している心理的な抵抗は、二十歳にもなってセーラー服を着る、という一点です。しかし加藤さんには通じません。
饒舌で溌剌とした印象ではありますが、加藤さんはあまり会話が上手ではありませんでした。口が上手い、話し上手、とは思えても、伝達能力がある訳ではなく、理解力も乏しいようでした。ですから私は私の解釈で加藤さんの説明を読み解くしかありませんでした。
しかしそういった曖昧さを有していることこそが、彼女を社会適応者にしているのかもしれません。自分の主張の結果が成功であれば自分の手柄、失敗したら誤読した人の責任、としていれば、自分を責めずにいられるでしょう。自分を傷つけずにいられるのでしょう。
ふと自分のまとったセーラー服のスカートの裾が視界に入り、なにを呑気に人の分析なんかしているんだろうと、自分で思います。けれど人のことに目を向けている間は、自分に向き合わずにいられます。流されて生きるためには便利な性格です。
私はこれまでどおり流れに身をゆだねることにしました。
周囲に人が集まる、とまではいきませんが、通りがかる人たちの注目はそれなりにひいていました。やはり歓楽街にセーラー服、というのは背徳的な図なのでしょう。
肩から掛けたカバンは重くて、地面へ下ろします。
私はちらちらと合う周囲の目を気にしながら、セーラー服の胸ポケットからカッターナイフを取り出しました。
この場に至ってしまうと、最早、私にこれ以上失うものことはありません。隠し事のためにびくびくすることもないのです。開き直る以外に選択肢はないのです。
さてさて、それでは口上です。
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