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陽炎の森37
備前を領有する池田家の先祖に池田 恒興(いけだ つねおき)がいた、彼は織田信長の家臣であったが信長が死ぬと豊臣秀吉の家臣となったのです、秀吉が、
徳川家康と小牧、長久手で対峙した時の事である、にらみ合いが続いたが池田 恒興がこのままではらちがあかないので、一隊をもって家康の本拠地三河を攻める、
べきだと主張したのです、
秀吉は中入り(奇襲戦法)は敵にきずかれれば全滅になる為なかなか許可しなかったのだが、秀吉の養子である秀次を総大将として奇襲をかけると食い下がり、
秀吉はこれを許可したのである、夜陰に紛れ恒興は小牧、長久手の陣を抜け三河に向かって進軍したが、家康はこれに気ずき、途中で待ち伏せしたのです、
池田軍は支離滅裂となり、恒興、親子はあえなく討ち死にしてしまい、次男の輝政が後をついだのです、秀吉が亡くなった時、徳川につくか、豊臣につくかで内紛が、
起こつたが、家康が輝政に娘をめとらせた為、輝政は家康側にき、関が原で東軍が勝利した事により、加増を受け大大名となったのである、
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