陽炎の森

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正室が家康の娘であった為、その後も加増をうけ、因幡、備中、備後の親族の領有もいれて、ゆうに100万石となる、この為池田家の家老はのきなみ大名並の万石を、 領有し、知行地には陣屋があったが、幕府に遠慮して陣屋とは呼ばずお茶屋と称していたのです、 関が原で徳川につくか、豊臣につくかと対立した家老達は歴代、何かと対立し輝政をなやましていたのです、この時代は輝政の子供の時代であるが、まだ尾をひいて、 おり、幹部が派閥を作り何かと足を引っ張るのは昔も今も変わらないのです、 翌日娘と手代を商家に迎えに行き、西国街道を西へ向かったのです、若い娘なのに疲れた様子もなく歩くので、お妙えさんは健脚ですねと聞くと、そうですか、私の、 知っている人はこんなもんですけどと答えたのです、 メイが真一朗様が特別軟弱なんですよと笑っていたのです、そのころ、ゆうは真一朗より速く出立し一つ先の宿場についていたのです、この宿場は池田藩の重役で、 ある、次席家老の知行地です、お茶屋の前を通りかかると、一人の百姓姿をした男が懐に手をあてて、何かを大事そうに押さえて宿場を出て行ったのです、 なんとなく気になって後をついて行くと、 宿場を出た所に古びた神社があり、そこへ入っていったのです、お参りでもしているのかと思い、通りすぎると、ぎや~、助けてくれ~と声が聞こえたので、石段、     
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