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「なぁ、逢坂は趣味とかないの?」 三段リーグに停滞すること三期が過ぎたころ、ふと勉強会の場で三隅さんに言われた。 「趣味は将棋ですよ」 「いや、それ以外でさ」 「じゃあ、ありません」 「んじゃ、作れ」 その日の三隅さんはとにかくしつこかった。 停滞する僕を見るに見かねているのが、ひしひしと伝わってくる。 それが僕には痛くて仕方ない。 「山登りとかやればいいよ」 三隅さんが食らいつく。 それは将棋を捨ててからの父の趣味だ。 僕は舌打ちする。 そんな僕の態度に、三隅さんは少しばかりムッとした様子になる。 大きなため息を吐く。 それは対局の時にも目にする、三隅さんの気を落ち着けるためのルーティーンだ。 「三段リーグは厳しいよな」 唐突に三隅さんは話題を変えた。 今度は遠回しではない。 「プロ棋士の世界は強さが全てだよ。だから、とにかく強いヤツが勝つ。……でも、三段リーグはちょっと違うんだよな。年齢制限もあるから、みんな血まなこで勝ちを奪いにくる。あそこでの負けは、つまり死だ。まさに皆が死にもの狂いなんだよな。……名人を獲った人でも『もう二度と三段リーグはやりたくない』なんて言うぐらいだ。……強いだけじゃ勝てないんだ」 三隅さんは僕の目を真っ直ぐに見つめていた。 「じゃあ、弱い僕はなおさら勝てませんね」 三隅さんは再びため息を吐く。 「そうじゃない。厳しいけど頑張ろうってことだ。それに逢坂は弱くないだろ。強いだろ。文句なしの強さで三段リーグまで上がったんだし、三段リーグでも、最初はトップに立ってただろ」 「……最初だけですよ……」 「ふてるなよ。逢坂のお父さんは、それでも頑張ってたんだよ。だから……」 なぜだろう。 父のことを引き合いに出された瞬間、僕の中にふと怒りが湧いて出た。 「すみません。今日は帰ります」 三隅さんの言葉を遮って、僕は立ち上がった。 そして、そのまま勉強会を後にした。 それからは気まずくて、三隅さんの勉強会に顔を出せなくなった。 ーー井の中の蛙。 ふと僕は自分の強さがそれだったのだと悲しくなる。 大海を知った蛙は溺れて死ぬしかない。
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