世界の片隅で天を仰ぐ

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 僕は独りで天を仰ぐ。隣には友人や恋人はおらず、一緒に見てくれる人さえいない。大学生の僕には人とのつながりの重要さを実感させられることが多い。人とのつながりがあれば簡単に物事が進むなんてことはごまんとある。しかし人とのつながりがないために僕はいらない苦労ばかりしている。 なぜこんな僕に友達ができないかという理由を考えてみた。簡潔に言うなら僕は自己中心的なのである。 例えば、旅行に行ったとしよう。そこで僕は美味しいお菓子を発見する。僕はそのお菓子に舌鼓を打ち、友達に買っていったらさぞかし喜んでくれるだろうと考えてそのお菓子を購入する。しかし、僕はその旅行の帰り道にこのお菓子を友達にも食べてほしいと言いながら買ったお菓子をすべて平らげてしまう。お土産を買ってくると聞いた友達ががっかりするのは想像するに易い。 ほかに、休み時間に彼女が僕のもとにやってきたとしよう。そして話したかったことを次々と話していく。僕はその話に適当に相槌を打ち、会話を進ませていく。さぞかし僕の顔はげっそりをしていて、顔の端っこには「その話面白くないぞ」と書いてあるはずだ。しかし話題が僕の興味があるところに移ったとたんに僕はまるでマシンガンのように話しだす。面白い話ならいいが、さして面白くもない陳腐な話ばかりを打ち続けていく。そうすると次は彼女の顔が死んでいき、しまいには顔に「つまらない」と書かれる。こんな関係でうまくいくはずなどない。 挙句の果てに僕はだれか知り合いと目が合ったときにでも目をそらし、アクションを起こさない。気さくに「よっ」って手を挙げて挨拶をすればいい話であるのだがそれが僕にはできない。その簡単な行為に対し僕は嫌悪感すら覚えてしまう。ただその人に手を挙げるという行為に。相手は無視されたと思うのが当然だろう。こんなことばかりをしていたら、周りから人がいなくなって当然だ。 ああ、こんな僕には晴れ空などは似合わない。混沌と雲が覆っている空がお似合いだ。そして誰の目も気にせず両手を広げ、天を仰ぐ。そして僕に降ってくるのは大粒の雨であるはずがなく、降ってくるのは撮るに足らない植物の種子を含んだ白い鳥の糞である。誠に滑稽なり。
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