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ヒイカはちょっと変わった娘さんだ。少なくとも、不思議なものが憑いている自分の婚約者になってくれるくらいには。
(のろけてる)
――おい、勝手に心を読むな。
(勝手に聴こえるんだもの。しょうがないじゃないか)
「久々の運転でくたくたなんだ。ぼうっとしていただけで」
(まあ、ぼくはどっちだって構わないけどね。ひとつ忠告をしてあげるよ)
「なんだ」
(ヒトの文化は大変だね。あのままじゃ、ヒメの洋服すけすけになっちゃうよ。あられもない恰好で宿に入るつもり?)
「……そいつは困る」
あくびをするバケを尻目に、ミヤは車を降りた。
木立を渡る風が涼しい。中腹といえ標高は平地より高い。雲が近い。大気は澄み、森と雨の匂いが蕭々(しょうしょう)として優しい。
ぼんやりと大樹を見上げるヒイカの頭にタオルをかぶせ、ミヤはわざとらしく雑に水気を拭ってやった。ミヤより頭ひとつ低いヒイカはされるがままだ。
「なにかいるのか」
「うんにゃ。見えないけどね、ここの森の神様に挨拶をしてたんだよ」
「ほう」
「そしたら歯の浮くような祝詞(のりと)をくれたんだけど、ミヤは聴きたい?」
「断る」
不愛想に即答する。すでにヒイカの術中にどっぷり嵌まっている気がするが。やはり抵抗は試みたい。
ヒイカはくるりと悪戯に微笑んだ。片えくぼができる。
「うんとキュートな狐に化かされるのも悪くないのにねえ」
「いいや、嫁入りはもう終わり。――雨上がりだ」
「おろ、いつのまに」
大手を広げて空模様を確かめるヒイカの頬を、不意打ちにミヤが撫でた。
「それに、同じ〈嫁さん〉でも、ヒイカに髭は似合わない」
逆襲に冗談めかしたつもりが、きょとんとされたので困る。
いたたまれない。
ミヤは逃げた。
「自分の口説き文句に、自分で照れるのはどうかと思うけどなあ」
そそくさと荷物を取りに戻る耳の赤いパートナーに追従して、ヒイカはにやにやと追い打ちをかけた。頬が緩むのは我ながらどうしようもないな、と呆れながらも。
「ねえ、バケもそう思うでしょー?」
(はいはい、ごちそうさま)
犬どころではない、猫も喰わないやりとりだ。甘党でもこういう甘味はどうでもよろしいとばかり、バケは尻尾をぱたりと振った。
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