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心躍る。ヒイカはわくわくしてきた。ゆえに階段を下りる途中、突拍子もなくミヤの背中に跳びついたのも詮方ないことだろう。抱きついて旅情での欣然を分かち合おうという試みだったけど、ヒイカを背負わざるを得ないミヤとしてはいい迷惑だ。しかも、以前より体重が増えている気が!
「なぜだか、殿の背中から悪意を感じるわ」
「……姫、耳を引っ張るのはよせ」
ヒイカを背にえっちらおっちら一階まで下りると、階段脇に若い女性が佇んでいた。壁にある館内の見取り図を見ている。緋鯉の刺繍が入った巾着を手に提げており、人差し指をくちびるに押し当てる仕草がチャーミングだ。どうやら困っている様子だが。
鼻筋のすっと高い整う横顔の、鄙にも稀な美女だった。
思わず見惚れ、はたと立ち止まってしまったミヤの左肩――丈夫そうな僧帽筋のあたり――を選んで、ヒイカは思いきり噛みついた。ガブリ!
厳つい呻きが上がる。
びっくりして、美女は大きい目を見開いて振り向いた。
にこにこと笑顔を浮かべるヒイカの隣で、ミヤが左肩を押さえて蹲っている。美女は当然の疑問を口にした。
「あの、どうなさったんですか」
「んー、ちょっとね、強烈なマーキングを」
しるしには違いない。それが歯型だとしても。糺す(ただす)ならば、ミヤの行状に対する〈からい〉採点といったところか。
ヒイカは浴衣の襟を正した。
「あなた、同じく浴衣姿だから宿泊客だよね。あたしたちに手伝えることはあるかしら。お見受けするに、お困りのようだけど」
はにかむ美女。
「それが、その……仲間とはぐれちゃって」
「あらら」
「私がもたもたしてたからいけないんです。置いてけぼりを食っちゃって。思いきってみんなで露天風呂に行くことになってるんですけど、その場所がわからなくて。ケータイに電話しても誰も出ないし」
「チカセちゃん――仲居見習いの子の話によれば、そこの勝手口から道なりにあるらしいけど。なんなら一緒に行こうか」
美女は会釈して、ふわりと笑んだ。
外はまたもや雨。
風情ある蛇の目(じゃのめ)傘と下駄を間借りして、階段のすぐ傍にある勝手口から向かう。森の小道にからころと跫音(きょうおん)を響かせながら同道、自己紹介をした。
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