第五章 人倫の神々

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 ここにパンデオスは結論に至り、二十の神々は思い立ち、九の白き神々は地上を覆う九の“自然”に各々の心を映された。九の黒き神々も同じく地上を覆う九の“自然”に各々の心を映された。そして最後に、生命の女神と死の女神は生命と死とに重さを与えた。  “人”は“自然”の心と生と死の尊厳に触れ、心の内にある感情が芽生えた。これが慈しみ、優しさ、慎み、正義である。だが“人”の内に別のある感情も芽生えた。これが残酷さ、無慈悲、欲望、不正である。  至高の神々の内、眠れる神を除く神々はこれをよしとされ、ここに“人”は善と悪とを半々に含むものとなった。  “人”が善と悪とを半々に持ち、善と悪とが“人”と共に地上に満ちると、善と悪とも地上に満ちた。やがて地上に満ちた善と悪とは、ある形をとった。これは体を成しつつも地上から生じたものではなく、いと高き枝より生じた神々の一部であった。これらのものは“人”を見えないところから支配するものとなった。  “人”はこれらのものを“神々”と呼び、初めの神々とは別に寺院と神殿を設け、これらのものに仕える者を選び出した。  至高の三神と、いと高き枝に生じた二十の神々はこれをみそなわし、四度目のパンデオスが開かれた。総ての神々はこれをよしとされ、地上に生じた新しき“神々”を神々として認めた。かくして地上の神々は“美徳の神々”と“悪徳の神々”と呼ばれる“人”に近い“人倫の神”となった。     
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