烏滸がましい。

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エレベーターから降りた時、喪服姿の男がわたしを見つめていた。瞳は黒く、濁ったようで、それが深い夜に溶け込んでいた。 彼と初めて出会ったのは、わたしが高校生の時だった。その頃の彼が一瞬、脳内で笑った。 「久しぶりだな」 濁った瞳の男が、わざとらしく口角を上げた。整った顔の中で異彩を放つ左右非対称なその唇が、わたしを脅迫する。お前のせいだ、そう言われているような気がした。 「お久しぶりです」 わたしはそう言うのが精一杯で、彼の顔すら見ることができない。白毛の増えた頭が彼と別れてからの年月を感じさせる。わたしも大人になったのだから、彼が歳をとったのは当然だ。 「今日は三回忌だったんだよ」 その言葉を聞いて合点がいった。彼はただ寂しさと懐かしさを背負って、わたしのもとへ来たのだ。もうあの頃の苦くて甘ったるい蜜は、この世のどこにもないというのに。 あの蜜は、わたしの身体の至る所にべったりと染み付いていて、彼はそれをだらしない顔で犬のように舐め続けた。その結果、奥さんが亡くなった。 奥さんが亡くなり彼はわたしから離れ、遅すぎる後悔をした。なんと身勝手なことだろうか。滑稽すぎて笑えてしまう。それは彼のことではなく、そんな彼を支えていこうなどと烏滸がましいことを考えていたわたしが、滑稽だったのだ。
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