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昭和の末くらいの頃、現在の鹿児島県霧島市国分に一人のおばあちゃんが暮らしておりました。
「花は霧島 煙草は国分」
の歌詞で始まる鹿児島県の民謡おはら節で歌われているとおり、煙草の栽培が盛んな街で当時は国分市と呼ばれていたところです。
フジエという名のおばあちゃんは豪放快活で国分市広瀬にある剣道場の師範代を務め、武道と煙草と家族をこよなく愛した生粋の薩摩隼人であった夫に先立たれ、四人の子供達のうち末娘が住む今の姶良市加治木町に一時身を寄せました。その末娘夫婦の家にはヤスという小学生の孫がいました。
ヤスはフジエばあちゃんのことが大好きでした。代々薩摩島津家家老職の武家の家柄に生まれた彼女は知性と気品、それでいて慈愛に満ちた人柄だったからです。そしてなによりヤスが嬉しかったことは体が弱く病弱で、勇猛果敢な豪傑男子を良しとする薩摩隼人としては落ちこぼれの出来そこないだった自分を大変可愛がってくれたたった一人の肉親だったからです。
フジエばあちゃんはしばしばゼイゼイヒューヒューと喘鳴を出して苦しむ孫を献身的に看病しました。
他方
「親に心配ばっかいかけっせえ情けない」
と喘息で苦しんでいる子供を尻目に
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