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羊を柵に追いやるころには日も暮れ始めていた。
美しい夕焼けだ。
二人の少年は空を見上げた。
「わあ! 今日は光ってるみたいだね」
「夕日が反射してるんだな」
「最近は腹の部分ばかりだ。僕は尻尾がすきなのに」
「そうだな。尻尾はしばらく見てないな」
二人が見上げる空には、巨大な帯状のものが浮かんでいる。
夕陽の沈む方と夜の色の濃くなっている方へ、空を二分割している。両端は見えない。
『帯雲虫』と呼ばれているそれは、実のところ、なんだか分からない。
人々の営みが始まる以前から空に浮かんでいるものだ。
その名のとおり、帯雲のように空を渡る姿はあまりに大きく、全容を見たものはいない。
百足のように節のある長い体は平たく幅広で、短い足が蚰蜒のようにびっしりと、規則正しく並んでいる。
月や星や太陽のように初めから空にある。人々にとってあたりまえの風景であって天地万物の一つでしかない。
しかし、『帯雲虫』は月や星や太陽よりもひときわ、人々の探求心を沸き立たせる。それは、その姿がまるで生き物だからだ。
地を這う虫に似た形で、雲のようにただ浮かんでいる。人に害を為すこともなくただ常に空に在るだけとは分かっていても、無数の脚や艶やかな腹の節々は今にもうごめきそうだ。
夕焼けの光が甲虫特有の艶のある表面に照り返され、一層その形がありありとしている。
『帯雲虫』の端、尾のような部分は時たま見られることもあるが、もう一方の端は常に雲に覆われていて形は知られていない。
一方が尾なら、もう一方の端は頭の形をしているのだろうと誰もが想像する。雲を喰っていると昔から言い伝えられているが、空を飛ぶことでもできない限り確かめることはできない。
「あれを近くで見てみたいなぁ」
「そうだな」
二人は『帯雲虫』を眺めるのが好きだった。
羊の番をしながら草の上に寝転び、空を飛べたらと、空想話をするのがお決まりだ。
月や星や太陽にしても、同じ、“何だか分からない空に浮かぶもの”なのだが、『帯雲虫』にまつわる神話や伝説の数は比にならないほど多い。
雷は『帯雲虫』の鳴き声だとか、雲を食べているのではなく、吐き出しているだとか。
単なる物体ではなく人々の身近にある虫の形をしているが故に、沸き上がる想像は果てしない。
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