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少弐・石上高嗣着任
〔張扇一擲〕さて、乳母(めのと)則子への思いを残しつつ大伴家持が帰京してから早二十日ほどが過ぎ、ここ九州は大宰府の都、大野の里でも秋たけなわとなり、辺り一面の田んぼではお百姓たちが稲刈りに余念がありません。そのお百姓たちのうわさ話から則子は、つい先日奈良の都から新任の少弐が大宰府に着任したことを知りました。博多湾から大宰府にまっすぐ伸びる朱雀大路を、従者たちを従えて行列する様は、それはまあ実に見ものであったなどと口々にほめそやしております。それを聞いて則子は胸をおどらせますが、はて、ではいったいどうやって我子為介と対面したらいいのか、そもそも対面していいものやら、それがとんと見当がつきません。まさかこちらから大宰府政庁に登庁するわけにも行かず、気ばかりあせらせておりましたところ、昨晩のこと、近在の神社の宮司が突然たずねてまいりまして、「明日、新任の少弐石上様がお供の方々を引きつれて当神社に参拝にまいられる。ついては山科則子殿、あなたを接待に出すようにと、石上様から直々の御指名があった」と、そう告げに来たのでした。告げておきながらなぜこのような老女、見どころのない媼(おうな)などに接待を?と不思議がる宮司でしたが、則子は委細構わずかしこまってそれを拝命いたします。宮司が帰ったあと則子は文字通り歓喜しましたが、しかしはたと思いをめぐらしもします。はて、石上様が自分と為介を引き合わすことを思し召すのなら、ただに私を大宰府へ登庁させればよいではないか、それなのになぜ…と思案します。かつて大伴家持様、若様も自らを介して私と息子を引き合わせたいとおっしゃられていた。それはおそらく、私につれない態度を取るやも知れぬ為介の姿勢を恐れてのこと、引いては私を慮ってのことだったろう。さらには恵美押勝様の乱への連座を恐れる、私の気持ちをも思ってくださってのことだった…などと回想し、そしてそれをそのまま石上様のお気持ちとして置きかえてみたのでした。
【九州・大宰府、往時の日本における外国への顔 from pinterest】
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