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まあ、若様!なぜこんなあばら家に…
しかしかと云ってこのまま則子を無下に帰すわけにも行かず、酒でまわらぬ頭を必死に働かせた末一計を案じました。すなわち則子をこのまま帰さずに大宰府女官として召し抱えることにしたのです。そして則子の一子為輔を、今はまだ都にあって中納言の地位にあり、親交のあった石上高嗣の養子にと図ったのでありました。山科の名は消えるとは云え為輔の将来と則子の身を慮ってのことでございました。我子との別れは身を裂かれるほどの痛みでしたが為輔のためとさとす旅人の言葉には逆らえません。泣く泣く則子は以来大宰府の人となったのでございます。さて光陰遅からず、それから三十七年の時が流れて、その後いったい何がどうして則子が斯くも落ちぶれ果てたものか、また我子為輔のその後やいかに。哀れ、母と子の愛惜を明かすべくこれよりの講釈となる次第でございます…。
〔張り扇一擲〕神護景雲四年西暦七百七十年の、ようやく日の暮れた、ある初秋の宵のこと。庵にたたずむ則子の耳に遠く馬のいななきが聞こえ、ややあって庵に近づく人の足音が聞こえてまいります。あたりには則子の人生の黄昏を告げるかのように、虫の音が寂し気に鳴り響いております。
「(戸を叩く音)婆殿、婆殿、おられるか」
「(やや間を置いて不審気に)どなたです?こんな夜遅く」
「私だ。家持だ。あなたにいい話を告げに来た。戸を開けて中に入れておくれ」
「え?若様?……はい、はい、ただ今すぐ……」
立てつけの悪くなった敷居を軋ませながら則子が戸を開けますと、そこには今は亡き旅人の息子、大伴家持の案内(あない)を乞う姿がありました。
「まあ、若様!なぜこのようなあばら家に……お呼びくださればこちらから参上いたしましたのに」
「(軽笑)相も変わらず若様とは。55の男をつかまえて。家来どもの手前もあるではないか(軽笑)。まあ、よい。それはさて置き、ちとわけありでな。こちらの方が都合がいいのじゃ。悪い話ではない。とにかく中に入れておくれ」
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