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う~、う~う~、あ~~あ~、うううう~~お~~。
奇妙な歌が聞こえてくる。およそこの世に現存していないであろう歌。それを歌であると断定するにはいささか不協和音が過ぎており、ともすれば唯のうめき声にも聞こえる。
それをしばらく半分眠っている頭で聞いていた龍明は、音の正体を確かめるべく起き上がる。
音の正体は、夢香が歌っている歌であった。
彼女は、見たこともない模様がびっしり描かれた表紙の本に視線を落としながら、布団の上で歌っていた。
上半身を起こし、大きく背伸びをした龍明に気づいた夢香は顔を上げた。
「おはよう、おじさん」
「うん、おはよう」
簡単な挨拶を済ませると、また本へと目を伏せ、同時に歌も再開する。寝起きに不協和音を聞かされ続けた彼は、問いかけた。
「由浅さん由浅さん、その歌? みたいなのなに?」
「なにって。童謡ですよ、森のくまさん」
「え?」
「え?」
二人はきょとんとして顔を見合わせた。龍明は愕然とした。
森のくまさん? そんな馬鹿な、それはただの呪詛ではないのか?
さすがにそれを口にだすのは失礼と考えたので、やんわりと夢香へ指摘した。
「で、でも、うーとか、あーとか言ってるよね。歌詞がないから分からなかったよ」
「ああ、出だしの『ある日』以降の歌詞忘れちゃったんですよねー」
「くまさんに出会えすらしなかったんだね」
龍明はそう言いつつ、枕元の時計をちらりと見た。デジタル時計は、午前九時三十分を表示している。
「おじさんおじさん。今更言っても遅いのかもしれないけど、もう九時半だよ。仕事行かなくて大丈夫なの?」
「うん、今日は在宅勤務だからいいんだ」
龍明は欠伸をかみ殺しながら答えた。
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