湖と六法全書

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私の意識は定年後、徐々に衰えていた。昨年からはその衰えは急速に進行し、痴呆の症状が出始めていた。私には、私の思考が劣化していくことに耐えられなかった。私は私の思考に誇りを持って生きてきた。だから、認知症でありながら生き続けたくはなかった。 この国の法律上、自殺は違法とされる解釈と、違法とはならない解釈とがある。また、歴史の中にも現代の他国の法律にも、自殺を罪として罰し、財産の没収や遺体を罪ある者として晒すなどの事例がある。しかし、どちらにせよこの国では、最終的に自殺は罰せられる事はない。聖書では自殺は罪と解釈される。私は、宗教ではなくこの国の法によって伯母の自殺は許されたように感じられた。しかし、法にそのような意図も論理性もない。そのような正しくないことを感じさせてしまう事自体が、忌まわしい私を侵す痴呆の影響なのだ。 この湖のある地域は、冬の初めとはいえかなり冷え込む。それは、屋外に一晩座っているだけで、体力の衰えた老人を殺すのに十分な寒さであった。 私は、6千ページ以上ある六法全書の上に手を置いて、手触りを確かめながらじっと見つめていた。いくつも付箋が貼られている。その中には条文の背景について調べたメモが挟まれており、本の形状を少し膨らませていた。 その横には、灰が入った瓶が置かれている。それは伯母の唯一の形見であった聖書を燃やした灰である。     
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