湖と六法全書

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私はしばらく湖のほとりに立っていた。じっと美しい湖の姿を見つめていると、不思議と気持ちが落ち着いた。寒さに凍えて震えていたが、もう抗う必要はないのだと思うと、身体は寒さを受け入れ、震えは弱くなっていった。 体温を失っていくと同時に、自らの罪が徐々に消えていき、私が元の穢れなき純粋さに還っていくかのように思われた。冷たさは私を優しく包み込み、私を許してくれているようだった。 冬の夜空には、月の明かりに負けじと星々が輝いていた。私はそれを見て法律について思った。法律にはなくても良い文章はない。なくても成立するのであれば削除する。全てが慎重かつ冷徹に矛盾や重複をしないように作られている。そして、それらはある範囲で関連しあって存在している。まるで星座のように。 凍った湖の上に右足を置く。微かに氷の結合が放たれる音がした。そして、左足も氷の上に進めた。また微かな音がした。いつ割れて湖に落ちるかは分からないが、しばらくは前に進めそうだった。 私の産みの母である伯母が、どのようにこの湖で命を絶ったのかは分からなかった。また、どんな思いで自殺に至ったのかも知り得なかった。全ては隠され、全ては消え去っていた。 思いの外、長い間氷の上を歩く事ができた。震え続ける手をゆっくりとズボンのポケットに入れ、伯母の聖書の灰が入った瓶を取り出した。震える手はなかなか言うことを聞かなかった。なんとか蓋を開け、灰を撒いた。     
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