第1章

2/3
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
 動けなくなった私の体を、兵隊たちが担ぎ上げ運んでいく。幾つもの小部屋を通り過ぎ、やがて巣の一番奥へとたどり着いた。 「君は……」  玉座に着いた女王を目にした瞬間、ほろ苦い記憶が脳裏に甦った。  あの頃、私の体はまだ幼かった。自由に飛び回ることもできず、ただ地面に穴を掘り、その底で待ちかまえ、そこに落ちてくる虫たちを食べて生きていた。いつの日か私も空を飛べるようになるんだ。そんなことを思いながら、穴の底からずっと空を見上げていた。  ある日、そんな私の視界をあるものがゆっくりと通り過ぎて行った。  蟻だ。いつもは私が掘った穴に落ちてきて、私の餌食となるはずの蟻。それが飛んでいる。私が捕まえようとすると無様に逃げ惑うだけの奴らだったのに。飛べたのか……。  私は羨望の眼差しでその様子を見つめた。真っ黒な肢体に透き通った翅を羽ばたかせ、優雅に空を横切るその姿は、鮮烈に私の目に焼き付いた。それからと言うもの、空を見上げるときはいつもあの蟻の姿を探すようになっていた。  その日も穴の底から空を見上げていた。すると一匹の蟻が転がり落ちてきた。しめしめ。久しぶりの食事の時間だ。蟻は私の姿に気付き、必死に穴を這い上がろうとする。しかしすり鉢状の壁面は滑りやすく、たやすくは登れない。  虚しくもがく蟻を捕まえようとしたとき、私は気づいた。その蟻に見覚えがあった。あの日空を飛んでいた姿が脳裏に甦る。どういうわけか目の前の蟻には翅がなかった。あればこんな穴に落ちることなど無かったろうに。  いろいろと訊ねたいことが思い浮かんだ。翅はどうした?もう飛べないのか?君は普通の蟻なのか?そして、空を飛んだ時はどんな気持ちなのか?  ところが相手はひたすら慄き喚き、近付こうとする私から逃げ回るばかり。私は君を食べようとしているわけではない。ただ話したいだけなのだと言っても耳を貸す気配もない。  それほど私のことを恐れるのなら、いっそ期待通りに食ってしまおうか。そんな思いもちらりと過ったが、やめておいた。図らずも憧憬の念に近いものを覚えた相手だ。  私は全力で蟻を捕まえると、穴の淵めがけて思い切り放り上げた。淵に足を掛けた蟻は振り返ることもなく、そのまま逃げて行った。その時見上げた空は、いつもより高く思えた。      そうか。君は女王になったんだな。特別な蟻だったってわけだ。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!