切ない同居生活

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「ねぇ、愁君、東京に戻る前に、もう一度、昨夜行った温泉行かない?」 「はぁ? 温泉?」 「うん、あの温泉、すっごく良かった。お肌ツルツルになったもん。ほら、触ってみて? ツルツルだよ」 彼女が並木主任の手を取り、自分の頬にあてがう姿を見つめながら、汗で湿った手を握り締める。 彼女は昨日からここに来ていて並木主任とあの温泉に行ったんだ…… それを知り、激しい嫉妬と怒りが胸の中で渦巻く。 あの温泉は、私にとって特別な場所。並木主任とふたりで色々な話しをした大切な思い出の場所。なのに、そこに他の女性を連れて行くなんて……それが並木主任にとって一番大切な彼女でも許せない。 そして家族風呂に一緒に入ったのだと思うと、今度は切なさが胸を締め付ける。キリキリ痛む胸を押さえふたりから視線を逸らすと、また彼女の明るい声が聞こえてきた。 「東京に戻ったら、すぐに結婚式だね」 ……やっぱりそうなんだ。並木主任、彼女と結婚するんだね。 こちらに背を向けている並木主任の表情を窺い知ることはできなかったけれど、頷く様子は見て取れた。 もう限界…… クルリと向きを変え全体重を掛けてペダルを踏み込む。 今来た道を夢中で走り抜け、どこかも分からない十字路で自転車を停めると、どんより曇った空からハラハラと白いモノが舞い落ちてきた。 ――雪…… 涙でぐしょぐしょになった顔を天に向け、粉雪を見つめながら心の中で何度も愛しい人の名を呼ぶ。そして一番言いたくなかった言葉を絞り出した。 「……さようなら」 私の初恋……さようなら。
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